新春恒例のスポーツイベントたけなわだ。テレビは大きな試合を毎日、連続して伝えている。スポーツファンには幸せなひととき。とはいえ、あらゆる競技に精通している人は多くない。それなりの知識はあるが、抜群に詳しいわけではない。そのクチに入るであろう一人として言わせてもらえば、伝え手は、観戦に先立ち、どちらがどれほど強そうかという情報、いわゆる下馬評を明確に示して欲しい。

 下馬評を知って観戦するのと、しないのとでは、試合への入り込み方、のめり込み方に大きな差が出る。どちらが先制点を挙げた方が試合は面白くなるのか。どちらが勝てば番狂わせなのか。それは小さな番狂わせなのか。大きな番狂わせか。何を隠そう下馬評の低い方に肩入れしたくなる判官贔屓なので、是非ともそこはハッキリして欲しいのだ。

 番組でその役を果たすことができるのは、専門知識豊富な解説者。だが、それを口にすれば、中立公正な立場にあるのか、視聴者から怪しまれかねない。予想が外れれば専門性も疑われる。リスク大というわけで、その歯切れは総じて悪い。冒頭で、提示すべき情報を、試合後半にさしかかった頃に、ボソリと告られたりすると、何をいまさらと、そのご都合主義を恨みたくなる。

 実況アナはもっと言いにくい立場にある。接戦を装わないと、視聴率に影響しかねないからだ。昨年12月のクラブW杯決勝、鹿島対レアル・マドリーは、結果が開始前から簡単に予想できそうな対戦だった。0−3でマドリー。0−4以上にならないことを祈りたくなるミスマッチ。だが、それを冒頭で言ってしまっては身も蓋もない。視聴者の観戦意欲を削ぐことになる。この試合の模様を僕は現場にいたので、実況アナ氏がどのような言い回しで、視聴者の興味を繋ぎ止めようとしたのか知る身ではないが、本心をオブラードで包むように、「可能性はある」的な曖昧な表現で、その場を乗りきろうとしたのではないか。

 鹿島対レアル・マドリー。ブックメーカー各社の予想オッズを見損なったので、確かなことは言えないが、マドリー勝利は、1.01倍にも届かなかったはず。一方、鹿島の勝利は50〜60倍。延長予想でも20倍前後はあったと思う。

 それをテレビが試合前、伝えることはまずない。たっぷり予想する時間がある人は、それでもオッケーだ。その道のツウもしかり。事前の予想記事に目を通せば、あらましはだいたい把握できる。だが、そうした人は半分もいないと思う。サッカーに限れば、事前のプレビュー記事でも、独自の見解を示すことが少なく、アゲアゲ報道が多いので、ファンはどちらが有利か、十分把握しないまま、試合を迎えることになる。

 そして試合後は、勝てば大騒ぎ。強敵相手に勝利したならそれでもいいが、弱小相手に勝利しても、ノリはほぼ同じ。アバウトな反応しかできない仕組みが構築されている。

 下馬評がキチンと提示されない。日本のスポーツ界の大きな問題だと思う。競馬はなぜ面白いか。予想が充実しているからだ。まさに下馬評や前売りオッズがあるからこそ盛り上がる。しっかり予想して、状況を冷静に分析してから観戦に臨む。よって観戦に熱が入る。日本のスポーツは、馬が競争する姿だけを見せられているような状態にある。そんな気さえする。

 予想する行為は、競馬ではギャンブルと同義語だ。カジノ法案(統合型リゾート整備推進法案)是か非かが論じられたとき、ギャンブル依存症が取り沙汰され、ネックになっていたが、カジノはともかく、予想する行為には、人間としてのメリットも多分に含まれている。知的好奇心を刺激すると言えば格好よすぎるが、物事を冷静に考えるトレーニングにはなる。客観的になれるし、平衡感覚も養える。スポーツを見る目も養える。