【好評連載・フィフィ姐さんの言いたい放題】明治時代から続く民法の規定について、2つの判断が下された。まず、夫婦別姓を認めるか否か。現在、民法では夫婦は同じ名字を名乗ることが義務づけられている。これが憲法違反になるのではないかとの訴えについて、最高裁は16日、合憲つまり別姓は認めないとの判断を下した。男性12人と女性3人からなる裁判官15人のうち、女性全員と男性2人の計5人の裁判官は、夫婦別姓を認めないのは憲法違反であるとしたが、家族の呼称を1つにするのは合理性があるなどとして合憲であるとの意見が多数となった形だ。一方、女性の再婚禁止期間が半年であることについては、違憲であるとの判決が下された。

時代錯誤ということで違憲判決が出て当然

まず、女性の再婚禁止期間が半年であることについて、違憲であるとの判決。胎児の問題があるから、明治時代には半年という期間を設けたのだろうけど、いまは科学的に、DNA鑑定で父親が誰なのかすぐにわかる時代ですからね。時代錯誤ということで、違憲判決が出て当然だと思います。

そして問題の、夫婦別姓を認めるか否か。日本では夫婦が同じ名字を名乗るということが、100年以上に渡り引き継がれているようですけど、海外では多くの場合、夫婦別姓は認められていますよ。

今回、合憲であるとの判決が下されましたが、その理由も極めて不明瞭ですよね。

私の場合は国際結婚だったので、日本国内でも夫婦別姓が認められました。それなのに、なぜ日本人同士だと認められないのか。まずそこからしておかしい。少なくとも、日本人同士でも夫婦別姓にするか否か、それぞれが選択できる状況にするべきだと思うよ。

エジプトの場合、夫婦別姓が認められています。結婚して夫の名字になったならば、妻は自分の名字がなくなる、つまり自分の家系がなくなってしまうことになりますからね。別姓にすることで、自分の出身、家を大事にしているんだよね。そして、子どもの名前は自動的に夫の名を引き継ぎます。たとえ離婚後に再婚しても、前の夫の名が入ったまま。そうすることによって、父親はずっと子どもに対する責任を持たなければならないことになるし、子どももその人が父親ということがわかるわけ。

イスラムは女性を弾圧しているというイメージを持たれがちだけど、実際には女性を配慮した法律になっているんです。

なぜ日本では夫婦別姓が認められないのか

じゃあ、なんで日本では夫婦別姓が認められないのか。その背景には、世間体を気にしすぎる日本の風潮があるように思えます。

“離婚したら名字が変わってしまうから、離婚したことが世間にわかっちゃうよ、それでもいいの?”という男性の女性を束縛する意識も感じられますよね。そして実際、世間は名字が変わったことに干渉してくるから、肩身の狭い思いをしなければならない。世間体を気にせざるを得ない風潮があるわけ。あるいは、親が離婚し、親権を母親が持った場合、子どもの名字が変わってしまうことになって、それが原因で子どもがいじめられてしまうのではないかという世間体を気にした危惧。

だけどさ、海外には英語でステップファザー、ステップマザーという言葉が浸透しているように、たとえ養子となったり、再婚した父親と自分の名字が異なっても、それを本人も周りも自然に受け入れることのできる環境があるんだよね。

名字が変わったことで、いじめられてしまう日本の文化。これも大人が世間体を気にしすぎることが、その一因となっているんじゃないかな。このご時世、事実婚やLGBTなど、さまざまな家族の形、愛の形があります。生き方も多様化していくなかで、法律によって個人の生き方を制限する日本の司法には疑問を感じてしまいます。

司法は、さまざまな生き方を認めるものでなくてはならないはず。夫婦別姓に関して、慎重派の学者のなかには、”夫婦が同じ名字にすることで家族の絆が生まれる”といった意見もあったけど、家族や愛は、果たしてそんなもので絆ができるものなのでしょうか。

《構成・文/岸沙織》