学生の窓口編集部

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「ロミオとジュリエット」や「ハムレット」で知られるシェークスピア。偉大な劇作家として誰もが知っている人物なのに、「ケチ」がたたって他界したのはご存じでしょうか?

有名人でありながらシェークスピアの記録には不明点が多く、作家としてブレイクする直前の7年間は、どこで何をして暮らしていたのかナゾのまま…鹿ドロボウして追放された!なんて不名誉な話も残っています。妻とは晩年まで不仲が続き、残した遺産は「ベッド」だけ、52歳で他界したのも腐ったニシンを食べたのが原因と言われるほど「けちんぼ」でした。

「終わりよければすべてよし」なんて言葉を作った人物なのに、最後の最後でやっちまった!人物だったのです。

■偉大な作家が「鹿ドロボウ」?

「オセロー」「リア王」など数多くの作品を残したウィリアム・シェークスピアは1564年にイングランド王国に生まれました。半農半商の父は町長を務めた人物でもあり、暮らしぶりは裕福でしたが没落…このあたりからシェークスピアの公的な記録も断片的になり、諸説あるので、現在主流となっている「推定」をベースに進めることにします。

その後はカトリック系の学校に通ったとされていますが、これも推定…やがて18歳になると8歳年上のアン・ハザウェイと結婚します。このときアンはすでに妊娠中の「できちゃった結婚」。ここまで「推定」ばかりの人生なのに、こんな記録が残っているのはシェークスピアの人柄なのかもしれません。

21歳で双子を授かり、28歳になるとロンドンで大活躍、俳優と台本の作者の兼任から始まり、やがては誰もが知っている売れっ子作家にまで上り詰め、残された屋敷などから「大もうかり」していた様子がうかがえます。

21歳から28歳まで飛び過ぎ!と思うかも知れませんが、「空白」と呼べるほどに記録がなく、残念ながら推定すら困難。そのためこの時期のウワサは多く、

 ・学校の先生をしていた

 ・さる金持ちの馬の世話係

と、どれも根拠がはっきりしない話ばかり。なかには「鹿ドロボウをして追放された」なんて説もあり、しかも、

 ・鹿の持ち主に見つかった

 ・腹いせに、持ち主を侮辱する詩を書いた

 ・持ち主ブチ切れ、シェークスピアを追放

なんて話があるのは、「才能の使いかた違くね?」な怪しい人物とみられていた証拠、ともいえるでしょう。

■腐ったニシンが最後の晩餐?

売れっ子作家の反面、かなり「ケチ」な面も持っていました。妻アンに残した遺産はたったひとつの「ベッド」だけ…マジ?と疑いたくなるような遺言を書いたのです。

この背景には、

 ・妻アンとは、結婚当初から不仲だった

 ・遺産の多くを、長女スザンナに残したかった

があり、アン用にと遺言に記されたものは「2番目に上等なベッド」のみ。いくら折り合いが悪いとはいえ、34年も連れ添った伴侶に対する遺産がこれだけではケチ過ぎるとしか言えません。

52歳で他界したのも、原因は腐ったニシンを食べたためとされ、結果「感染症による病死」と考えられています。ケチったのかは定かではありませんが、フツウの食べ物が買えない経済状態だったとは思えませんし、せめて腐っていない食材にしましょうよ、と言いたいところです。

皆さんご存じの言葉「終わりよければすべてよし」は、彼の作品名のひとつ。それなのに最後で「やっちまった!」のは、シェークスピアのからだをはった「ユーモア」だったのかもしれません。

■まとめ

 ・シェークスピアは、ブレイクするまでの7年間の記録がほとんど残っていない

 ・その時期は、鹿を盗んで追放されていたなんて不名誉なウワサもある

 ・34年も連れ添った伴侶・アンに残した財産は「ベッド」だけ…

 ・腐ったニシンを食べ、感染症で他界したと推定されている

(関口 寿/ガリレオワークス)