ドーム興行を行なえば5万人の大観衆を動員し、関連グッズも大ヒット。1990年代のプロレス界は過去最高のブームに沸いていた。その立役者が当時、新日本プロレスの"闘魂三銃士"(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)だった。今年は三銃士の結成から25周年。残念ながら橋本真也はもうこの世にいないが(2005年急逝)、久しぶりに武藤と蝶野のふたりが顔を会わせた。ふたり合わせてジャスト100歳! かつて同じ釜の飯を食った日本マット界のリビング・レジェンドが、あの頃とこれからを語り合う。

■「俺らは猪木さんの『闘魂』を背負う気はなかった」

―― プロレス人気が爆発していた90年代、闘魂三銃士の皆さんもきっと景気がよかったのでしょうね。

蝶野:ただ、プロ野球選手みたいに年棒が急に倍になるなんてないしね。テレビ放送も深夜枠だし、俺らはまだまだメジャーな存在を目指してる最中だったよ。

武藤:ただ、知り合う人達は確かにバブルで浮かれてる感じはあったな。グッズの話でいえばさ、選手のTシャツなんて最低ロットが3千枚とかだったよね。

蝶野:今は50枚からという時もあるからね。90年代後半に俺らが加入してたユニット「nWo」なんてTシャツが30万〜40万枚も売れたんだよ。

武藤:え、そんなに!? でもnWoって向こう(アメリカ)のパテント(特許権)だから俺らに印税は入らない。代わりに会社に焼き肉奢ってもらっただけ!(笑)

―― 闘魂三銃士というネーミングが、おふたりは当初あまり好きではなかったとか?

蝶野:だって俺らは猪木さんの「闘魂」を背負う気はなかったし(笑)。でも、ブッチャー(橋本選手の愛称)はこだわってたよね。子供の頃からのアイドルの猪木さんから、闘魂を継承して超えようとしていた。

武藤:でも、ブッチャーは猪木さんのいい所だけじゃなくて問題点もマネちゃったよな。人前で羽振り良さそうに振る舞うとかさ(笑)。

蝶野:困らされた事が山程あるよ。若手選手は会社から薬代とかをもらうじゃない。普通はテーピングとかを買うんだけど、ブッチャーは自分の食い物とかを買っちゃうしさ。ニューヨークにいて猪木さんのゴールドカードを預かってた時は、「蝶野ちゃんもスーツ作りなよ」なんて平気で言うし。自分の分はもう作ってあるんだ。ハラハラしたもんだよ......。

武藤:アイツさ、悪い事する時は自分だけじゃなく道連れを求めるからね(笑)。まあ、でもこうして俺らが今も名前が知られているのは、三銃士の時代が終わっても何やかやマット界で活動してきたからだよ。例えば北尾光司とか小川直也とか鳴り物入りの新人もいたけど、彼らは「点」であってなかなか「線」にはならなかった。俺らは会社にとっては安パイというか、ずっと継続してきたからね。20代〜60代まで知ってる人は知ってるじゃない。今、新日本で人気のオカダ・カズチカは、そこまで広い世代に知れわたってないんじゃない? まだ俺らの方が知名度は高いと思うな。

■「40歳になったらレスラーから足を洗おうと思ってた」

―― 武藤さんの上半身の筋肉の張りは相変わらずすごい。蝶野さんは逆に脂肪を落としてスッキリされました。おふたりとも50代に入られたのに健康そうですね。

武藤:ちっとも健康じゃないよ! ヒザは悪いしさ、酒もガンガン飲むから肝臓の数値も気になるしさ。

蝶野:実は俺も去年から糖尿の治療に専念してた。試合数が減ると血糖値も上がっちゃって。でも、今はすごくいい治療法が開発されてて、専門医の勧めを聞いて薬をずっと飲んでたら数値が平常に戻ったけどね。

武藤:糖尿といえば、新日本の先輩レスラーも40代になると糖尿の人が多かったよね。俺らが若い頃、猪木さんと北海道の稚内にいてさ。真冬の北海道でいきなりマラソンをするって言い出した。その勢いで猪木さん、海の中に飛び込んじゃって、俺なんかもう死ぬ思いだったよ。今思い返すと、あれは単に糖尿の治療だったんだよな(笑)。

―― 武藤さんは何の薬を飲んでます?

武藤:いや、薬は飲んでないよ。サプリメントだけ。というか、ウチ(今年9月に旗揚げした新団体WRESTLE-1)のメインスポンサーはグリコのスポーツサプリメント部門で、俺が代表格のモデルだからね!

蝶野:50代になって常用薬がないなんて珍しいね。闘魂三銃士の25周年に続いて、来年は俺らデビュー30周年も迎えるんだけど、武藤さんはこんなに長く現役を続けるつもりだった?

武藤:新日本から全日本に移った時(02年)に、もう他の商売じゃ生きていけないと思ってた。一応俺、骨接ぎの資格も持ってるじゃない。でも、学校で同期の奴はもう20年くらいその商売をやってるわけだよ。いまさら俺が始めても勝ち目はないと判断したからね。

蝶野:なるほどね。俺はね、40になったらレスラーからは足を洗おうと思ってた。全然違う仕事を始めるつもりでいたのに、アンタ(武藤)が全日本に行ったからオジャンになったんだよ。

武藤:なんで俺のせいでお前の人生が変わるんだよ!(笑)。

蝶野:プレイヤーとしてキャリアを全うして、適当な時期に引退するつもりだった。でも武藤敬司がいなくなった。それで俺は新日本の取締役兼現場監督とかになっちゃった。裏方業なんて全然考えてなかったのに。

武藤:まあ、それもいい経験じゃないの? 蝶野は今、全日本のアドバイザーでしょ。俺は全日本を離れて新しい団体をつくった。なんだか蝶野の進路から次々と逃げてる気もするな(笑)。

―― と言いつつ、武藤さんは以前「最高のタッグパートナーは蝶野だった」と話してましたね。

武藤:いやあ、蝶野はやられるのが好きだしさ。相手の技を受けてくれるから、こっちは楽できてよかったんだよ(笑)。

■「スター選手がいなくても、プロレス人気は復活できる」

―― プロレス黄金時代を知るおふたりが、今後マット界をどう活性化させるのか? きっといつも考えているテーマでしょうが、最近『プロレスに復活はあるのか』(青志社刊)という著書を出された蝶野さんから教えてください。

蝶野:プロレスの演出法はもう出尽くしているかもしれないけど、ほかの格闘技に比べればプロレスのアイデア量ははるかに豊富だから、過去のリメイクでも構わない気がするよ。それより、興行の営業マンであったり裏方さんの意識改革ができてなくて、そこの進歩や変化が止まってる。プロレスという興行形態がどうしたら現代のビジネスモデルに似合ったものになるか、その辺の意識づくりが大事だよね。

武藤:俺らはある意味いい時代に生きてきたし、ある程度のスター性を保つこともできた。もうここまでのスターはなかなか出てこない気がする。今やるべきことはまず団体の存在自体を多くの人に知ってもらうことで、大事なのはメディアだよね。プロ野球なんてテレビの地上波が離れても人気が変わらないじゃん。その辺も参考にしながらね。

蝶野:三銃士の時代には、テレビは深夜だったけどプロレス専門誌が2誌あってどっちも20万部くらい売れてた。そこに新聞もあるから、俺らは活字の力でここまで来た気がするね。日本のプロレスには60年の歴史があって、リング上の工夫はもう限界まで来てると思うよ。それよりもっと業界の根本の意識を変えないといけない。誰もスター選手がいなくたって組織が成り立つ方法もあるはずでね。例えば日本最大の某焼き肉チェーン店は、最初都内に店舗を一軒だけ構えた会社だった。どうやって同じ品質で量産化して地域展開するかを必死に考えていったわけ。プロレスも、突出したスターがいなくても、後楽園ホールでひとついい「パッケージ興行」ができたら、それを基に地方を回っていく方法もあるんじゃないかな。

―― 武藤さんのWRESTLE-1は、どんなカラーを目指していますか?

武藤:まだ始まったばかりで考えてる最中だよ。メディアの話で言えば、もう今は『週プロ』と『東スポ』しか残ってなくて、その読者だけを対象に興行は打てないからね。初めて観てくれたお客さんになんとかリピーターになってもらわないと。そこの努力を続けつつ、後継者を育ててプロレス界を盛り上げていきたいね!

長谷川博一●文 text by Hasegawa Hirokazu