何かと問題になる「撮り鉄」だが…

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 SNSやネット上でたびたび問題になるのが、撮り鉄こと、アマチュアの鉄道写真愛好家のマナーである。珍しい列車や最終列車など、特別な列車が運行される際は、定番撮影地やお立ち台などと呼ばれる、写真がきれいに撮影できるスポットに多くの人々が集まる。

 鉄道の写真を撮影すること自体は健全な趣味なのだが、ベストショットのために、一部の撮り鉄が樹木を伐採したり、通りがかった人に「どけ!」などと暴言を浴びせたりする行為が頻発するため、たびたびトラブルになるのだ。なお、今回の原稿で触れるのは、プロではなく、あくまでも“アマチュアの鉄道写真愛好家”の話であると、最初に書き加えておきたい。【取材・文=山内貴範】

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撮り鉄が理想とする写真

 たとえば、車両の写真を撮影するにしても、近くに樹木があればそれを活かした写真が撮れるのではないか、人物が入るとより雰囲気が出るのではないか――などと考えるのはあくまでも一般人の感覚。それは、撮り鉄のなかでは御法度なのである。

何かと問題になる「撮り鉄」だが…

 彼らが求めるのは、“プロの鉄道カメラマン”が撮影した“お手本”の写真と、まったく同じアングルの写真なのだ。そのため、お目当ての車両以外の人や車などが画面に写り込むことを極端に嫌う傾向がある。車両以外の余計なものが写り込んだ写真は、SNS上などで“失敗”とみなされることが基本という。特に、人や車が車体と重なるのは厳禁だ。

 それゆえ、電車の前を人が横切りでもしたら、大変なことになる。「東北本線を寝台特急が走行していたとき、線路の脇を車が通過した」「江ノ島電鉄の有名撮影地で、電車がカーブを曲がっていた際、外国人の男性が自転車で通り掛かった」という2つのケースでは、ともに場所に陣取って撮影していた撮り鉄が、車や男性に罵声を浴びせる事態となった。

 しかし、よく考えてほしい。写真の端っこに写り込んだ人や車など、生成AIを使えばいくらで削除できてしまうではないか。実際、Chat GPTに写真を上げて、「人を削除して」とでも入力すれば、一瞬で問題解決である。だが、撮り鉄はそういった“不正”を許さないのである。そこには、鉄道写真という特殊な趣味の世界ゆえの事情があるようだ。

生成AIを使うのが御法度な理由

 現在、プロの商業写真家の間では、生成AI、もしくは画像編集ソフトは至ってふつうに使われている。画面に写り込んだ障害物や人物を消したり、曇り空を快晴にしたり、物体をまったく異なる色にしたり――。フィルム時代にはなかなか難しかったことだが、今やソフトを使えば簡単にできるし、クライアント側からの指示をもとに行われることもある。

 写真に手を加えることについては、「いったい、写真とはなんぞや」という議論になりそうであるが、それはあくまでも様々な制約や権利関係が絡む商業写真だからこそ。一方で、そうした制約がないアマチュアほど「生成AIを使うのは御法度」という傾向にあるし、画像編集ソフトを使った色調整すら行わない厳格な人もいる。

 撮り鉄も、こういった強い信念をもつ集団といえるだろう。それゆえ、理想の写真を巡って衝突が起こってしまうのである。駅のホームに集まった撮り鉄に警告を行ったこともあるという大手鉄道会社の社員は、彼らに手を焼いているといい、「彼らのやっていることはスポーツ、学校のテストに近いものです」と語る。

「撮り鉄は理想を追求しすぎるあまり、写ってほしくないものに対して罵声を浴びせてしまうわけです。しかし、それでいて彼らの撮影する写真は、厳格な界隈ルールがあるせいか、どれもワンパターンで、個性がありません。ほかの人と同じ写真を撮っても面白くないと思うのですが、無意識のうちに界隈ルールに従ってしまうのでしょうね」

 一部の撮り鉄にとって、生成AIや画像編集ソフトを使うことは、不正行為に近いのかもしれない。実際の現場の条件とカメラの基本機能のみを使い、お手本と同じ写真を撮ってこそ、“正しい”写真なのである。ある意味、写真の基本を頑なに守る、原理主義的な思想をもつ集団と言ってもいいかもしれない。

アマチュア絵師との共通点

 一時期、アマチュアの絵師や、イラスト愛好家の間で、生成AIに関する議論が紛糾した。生成AIを使ったイラストレーターや漫画家、企業などにバッシングを行い、絵柄を見ただけで「生成AIを使っている」と決めつけて誹謗中傷を浴びせかけ、生成AIで出力された絵を使った神社に放火予告まで行った人がいた。

 彼らの間では、「イラストはこういうもの」「創作はこういうもの」という極めて厳格な界隈ルールや理想がある。そのため、少しでもルールから外れたことを行う人のことは「そんなものは創作ではない」と決めつけて、攻撃をする。一部の撮り鉄にもそうした傾向があり、鉄道と人を絡めた旅情あふれる写真を撮ったプロに対し、「そんなものは鉄道写真ではない」と批判的なコメントを浴びせた人がいた。

 こうした一部の過激な撮り鉄と絵師は、生成AIを絶対に許さないという共通点があり、さらに、理想の創作という信念をもち、しかも強い口調で相手を攻撃することを好む点も一緒である。撮り鉄と絵師の両者が手を取り合えば、もはや沈静化しつつある生成AI反対運動も盛り上がると思うのだが、いかがだろう。

 それにしても、アマチュアほど原理主義化し、思想を押し付けがちになるのはなぜだろうか。プロは変化に対応しなければ生き残れないが、アマチュアはそうしたことを心配する必要がないためだと筆者は考える。プロと違ってアマチュアは時間があるため、いくらでも理想を追求できる恵まれた環境下にある。ただ、その理想を過度に押しつけると、文化の発展を阻害しかねないだろう。

 もちろん、過激な発言を行うアマチュアはごく一部である、ということは申し上げておきたい。撮り鉄も、生成AIを不安視する絵師も、ほとんどの人は健全である。しかし、一部の過激な行動をとる人たちのせいで奇怪な集団というイメージが植えつけられてしまっている。周囲に趣味や信念を理解してもらうためには、問題行動や暴言はくれぐれも慎むべきであろう。

ライター・山内貴範

デイリー新潮編集部