(※写真はイメージです/PIXTA)

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定年後、都市部を離れて地方へ移住したいと考える人は少なくありません。家賃や住宅価格の安さ、自然の近さ、ゆったりした時間に魅力を感じる人もいます。しかし、老後の住まいは「安く買える」「静かに暮らせる」だけでは決めきれません。買い物、通院、交通手段、人とのつながりなど、日常を支える条件も重要になります。

「静かな場所で暮らしたい」…68歳父が選んだ地方移住

会社員の真由さん(仮名・42歳)は、半年前に父・隆夫さん(仮名・68歳)が地方へ移住したとき、心配しつつも反対はしませんでした。

隆夫さんは長年勤めた会社を退職し、年金は月16万円ほど。退職金は約1,400万円でした。妻には先立たれ、真由さんは都内で家庭を持って暮らしています。

「都会はもう疲れた。静かな場所で、自分のペースで暮らしたい」

隆夫さんはそう話し、地方都市の郊外にある中古の平屋を購入しました。価格は都市部よりずっと安く、庭もありました。

「畑でもやりながら暮らすよ」

移住直後、父は楽しそうでした。庭の写真、近くの川、直売所で買った野菜。真由さんにも、そんな写真が送られてきました。

「思ったより元気そうで、安心していました」

しかし、3ヵ月ほど経つと連絡の頻度が減っていきます。真由さんが電話をしても、父は短く答えるだけでした。

「まあ、普通だよ」

「何も変わらない」

その言葉に、真由さんはかえって不安を覚えました。

国土交通省『令和5年度 高齢社会に関する意識調査(高齢期の住み替えについて)』では、高齢期の住み替えにおいて、住宅そのものだけでなく、医療機関や買い物施設へのアクセス、家族との距離なども重要な要素として挙げられています。

半年後、真由さんは父の家を訪ねることにしました。

玄関先には雑草が伸び、郵便受けには数日分のチラシがたまっていました。家に入ると、テーブルにはコンビニの総菜容器が置かれ、冷蔵庫には同じような食品が少しあるだけでした。

「ここで、本当に暮らしてるの?」

思わずそう口にしたといいます。隆夫さんは、少し気まずそうに笑いました。

「まあ、何とかなってるよ」

しかしその姿は、移住前に語っていた“のんびりした田舎暮らし”とは違っていました。

「安く暮らせる」はずが…父を弱らせた日常の不便

真由さんが話を聞くと、父の生活にはいくつもの不便が重なっていました。

まず、買い物です。最寄りのスーパーまでは車で20分ほど。最初は問題ないと思っていましたが、慣れない道や夜の運転に不安を感じるようになり、外出回数が減っていました。

病院も近くにはありません。持病の薬をもらうためには、車で市街地まで行く必要がありました。

「雨の日は面倒で、つい先延ばしにしてしまうんだ」

さらに、家の維持も負担でした。庭の草刈り、雨どいの掃除、冬場の寒さ対策。平屋だから安心だと思っていたものの、築年数の古い住宅には手入れが必要でした。

「家は安く買えたけど、住み続けるにはお金も体力もいるんだな」

総務省『家計調査(2025年)』によると、65歳以上の単身無職世帯では、可処分所得が月11万8,465円、消費支出が月14万8,445円となっており、平均では毎月赤字です。隆夫さんの年金月16万円は平均より高く見えますが、車の維持費や住宅修繕費が重なると、余裕があるとは限りません。

真由さんが最も気になったのは、父の孤立でした。

近所付き合いはあるものの、深い関係ではありません。会社員時代の友人とは距離ができ、気軽に会える人もいませんでした。

「一日誰とも話さない日もある」

父がそう言ったとき、真由さんは胸が詰まったといいます。

地方移住が悪かったわけではありません。ただ、父が思い描いていた「静かな暮らし」は、実際には「人との接点が少ない暮らし」でもありました。

その後、真由さんは父と一緒に地域包括支援センターを訪ねました。見守りサービスや配食サービス、地域の高齢者サロン、通院支援など、利用できる仕組みを確認しました。

隆夫さんは最初、少し抵抗しました。

「まだそこまで年寄りじゃない」

しかし真由さんは言いました。

「年寄り扱いしたいんじゃないよ。ここで暮らすなら、一人で全部抱えない方法を考えたいだけ」

現在、隆夫さんは月に数回、地域の集まりに顔を出すようになりました。買い物も、移動販売や宅配を併用しています。

真由さんは、移住そのものを否定していません。ただ、老後の住まいは「家を買うこと」で終わりではありません。その場所で、どう食べ、どう通院し、誰と話し、困ったときに誰へつながるのか。

半年ぶりに訪ねた父の家で真由さんが見たのは、支えのない暮らしが少しずつ人を弱らせていく現実だったのです。