西武ライオンズの黄金時代を支えた右腕・渡辺久信さんが、スポルティーバのYoutubeチャンネルに出演。清原和博さんとの知られざるエピソードや、監督・GM時代の舞台裏を赤裸々に語った。
 

【黄金時代、一番すごかったのは守備】

 AKD砲(秋山幸二のA、清原和博のK、デストラーデのD)に、鉄壁の投手陣――。西武ライオンズの黄金時代といえば、打撃と投手力が語られることが多い。

 しかし、渡辺さんは「一番すごかったのは守備だと思うんですよね」と振り返る。

 センターに秋山幸二さん、キャッチャーに伊東勤さん、セカンドに辻発彦さん、ショートに石毛宏典さん、サードは田辺徳雄さんが並び、「守備力は12球団でナンバーワンだった」と言う。

 外野も、守備重視の試合では笘篠誠治さんや吉竹春樹さんがレフトに入り、事実上「外野は抜けない」状態だった。

 投手の視点としては、「強いチームで投げるいいところは、『3、4点は大丈夫かな』って感じで投げられるんですよ」という安心感があったという渡辺さん。バックへの信頼が、投球に大胆さをもたらしていたという。

【清原さんとの相性はよかった】

 黄金期を支えたメンバーのなかでも、中心にいた清原和博さんについてはこう話す。

 入団当時から、清原さんは礼儀正しく明るく、先輩への気遣いもあり、いい青年で、周囲に可愛がられていたと振り返る。

 プレーについては、ルーキーながら31本のホームランを放ち、渡辺さんは「そのうち20数本は、私が投げている時」だったと言う。

 そして、「相性がよかったんです。清原様々でした」と笑う。

 その話どおり、清原さんが打てば渡辺さんの勝ち星につながる場面が多く、清原さんが1年目で、渡辺さんが3年目だった1986年に渡辺さんは最多勝、最高勝率、ベストナインと複数のタイトルを獲得した。

【フロントと現場の風通しのよさが重要】

 渡辺さんは、監督としては2008年に日本一を達成したあと、GMとして編成トップを担った。

「どちらも大変でしたよ」

 それぞれ違う大変さがあったと言うが、両ポジションで徹底したのが、フロントと現場の風通しのよさだった。「フロントと現場は、ある意味一蓮托生」と渡辺さんは言う。

 現場からの要望を聞くことや意見交換はもちろんしていたが、GMとしてはやらないようにしていたことがひとつあるという。

「現場に対して、こちらからとやかく注文を出すことをやめました」

 その理由は自分が監督をしていたころに、会社側からの注文が「ためにならないこともあった」と感じたからだ。現場にいる人間と外から見る人間とでは、見えているものが違う。その両方を経験したからこそ、口出しをしないスタイルを選んだ。

【「常勝軍団」を目指したGMとしての理想】

 GMとして渡辺さんが描いていたチームの完成形は、「1年だけポッと強いチーム」ではなく「常に優勝争いができる常勝軍団」だった。

 そのためにもドラフト戦略は「1番大事だった」と語る。

「西武には幸いにも優れたスカウト陣がいたので、彼らが2、3年かけて見てきた選手がたくさんいました」

 ドラフトにかかるような選手は今の時代、どの球団のスカウトも幅広く見ているため、昔でいう隠し玉的な存在は育成選手だという。

「そういう選手が支配下選手になって活躍してくれたら面白いですし、日本を代表するような選手になったら面白いと思う」

【Profile】
渡辺久信(わたなべ・ひさのぶ)/1965年8月2日、群馬県出身。 1983年ドラフト1位で西武に入団。最多勝3回、最高勝率1回、最多奪三振1回を記録するなど、10度のリーグ優勝、6度の日本一に貢献した。2004年から二軍投手コーチとして西武に復帰すると、二軍監督を経て2008年から一軍監督に就任。1年目にチームをリーグ優勝、日本一に導く。その後SD、編成部長、GMを歴任。2024年シーズン途中からはGMと兼任で監督代行を務め、その年限りで退団。