ヴィヴァルディと愛弟子の絆を描く、「ヴィヴァルディと私」

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 ヴィヴァルディの「四季」といえば、「世界でもっとも多くレコード・CDが売れたバロック音楽」といわれている。

 その「四季」誕生のルーツに迫る映画「ヴィヴァルディと私」(ダミアーノ・ミキエレット監督、2025、伊仏合作)が公開される(原題“Primavera”=春)。なかなかユニークな映画で、監督にもインタビューできたので、あわせてご紹介したい。

 その前に――いまでこそ誰でも知っている合奏協奏曲「四季」だが、実はこの曲、20世紀まで知られていなかった……のをご存じだろうか。

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誰も知らなかった、ヴィヴァルディ

 ヴィヴァルディが亡くなったのは、1741年。その後、彼の名も楽曲も、忘れ去られてしまう。かつてはあのバッハが研究し、編曲するほどの存在だったのだが……。フランスの音楽学者マルク・パンシェルルはかつて「バッハがその作品を編曲するという栄誉に浴したヴィヴァルディとは誰のことだろうか」と書いている。結局、「四季」などの楽譜が発見され、ヴィヴァルディが再認識されるのは、1920年代になってから。最初の本格的な商業用レコードは、1951年のカール・ミュンヒンガー指揮の演奏。つまり「四季」は、戦後になって知られた“新曲”だったのである。

ヴィヴァルディと愛弟子の絆を描く、「ヴィヴァルディと私」

 日本でこの曲が人気となったのは、なんといっても〈イ・ムジチ〉(“音楽家たち”の意)合奏団のレコードがきっかけだった。バスク(スペイン)出身のヴァイオリニスト、フェリックス・アーヨ(1933〜2023)が音楽院の学生時代に結成した室内合奏団である。彼らはまず1955年にモノラル録音を発売、1959年にステレオで再録音。これらが大ヒットしたのだ。まだ戦後十数年。一般にはあまり知られていない曲だった。

「当時のアナログLPレコードの収録時間は、A面・B面各20分程度でした。『四季』は、〈春〉〈夏〉〈秋〉〈冬〉の4曲構成で、各曲が約10分。つまり、A面は〈春〉〈夏〉で計20分、B面は〈秋〉〈冬〉で計20分と、見事にLPピッタリだったのです」

 と、当時を知る音楽ジャーナリスト氏に解説してもらった。

「A面が明るい〈春〉ではじまり、酷暑の〈夏〉で終わる。一息いれて盤面を裏返すと、B面はさわやかな〈秋〉ではじまる……あの変化は、なんともいえない感動でした。ヴィヴァルディは、LPレコードの出現を予知していたのでは、なんて冗談が飛び交ったほどです」

 案の定、四季の変化がはっきりある日本では、特に大ヒットとなった。

「その後、〈イ・ムジチ〉は、代表ソリストの交代や、ステレオ、デジタル、CDなどの“進化”のたびに新録音。いままでに9種類の『四季』を発売しています。それらは日本だけで300万枚超、全世界で1000万枚以上を売ったといわれています」

 つまり、ヴィヴァルディの名と「四季」は、〈イ・ムジチ〉のレコードによって世界中に知られたのである。彼らはメンバーチェンジを繰り返しながら、現在も活動中。ほぼ毎年のように来日し、全国ツアーで「四季」を演奏しつづけている。

名手そろいだった、孤児院の娘たち

 前置きが長くなったが、映画「ヴィヴァルディと私」である。ここからは、いちはやく試写で鑑賞した、クラシックマニアの映画ライター氏に解説してもらおう。

「この当時、“作曲家”という職業はありません。宮廷や貴族に仕える楽長、あるいはバッハのように教会のカントル(音楽監督)をつとめて、雇い主や信者のために曲を書くのがふつうでした。ヴェネツィア生まれのヴィヴァルディの場合は、神学校を卒業した〈司祭〉が本業です。理髪師の父親がヴァイオリンの名手だったので、彼も幼児期からヴァイオリンを習っており、聖職者のかたわら、貴族のために曲を書いたりしていました」

 17世紀のヴェネツィアは捨て子が多く、大きな慈善孤児院がいくつかあり、いまでいう“赤ちゃんポスト”の役割を担っていた。

「男子は早くから職業訓練を受け、職人となって“卒院”し、社会に出ます。しかし当時の女子に、社会で独立して生きる道はありません。貴族や商人に見染められて結婚するか、修道女にでもならないかぎり、院を出ることは不可能です。よってどこの院も女子だらけでした。そこで彼女たちは、合唱・合奏団を結成し、ミサやコンサートなどで演奏して院の経営を助けていたのです。ヴィヴァルディは、司祭兼音楽教師として、孤児院のひとつ〈ピエタ院〉に奉職します」

 映画のヴィヴァルディは、ここで抜群の腕前をもつヴァイリオン奏者、チェチリアに出会う。生まれてすぐ“赤ちゃんポスト”に捨てられ、親の愛情を知らずにピエタ院で育った娘だ。

「ヴィヴァルディは、彼女をいまでいうコンサート・マスターの地位に任命し、愛弟子として育て、彼女のソロを想定した名曲を次々に書くようになります。この映画では、そのひとつが、有名なオラトリオ《勝利のユディータ》だとの設定になっています。彼は生涯に4曲のオラトリオ(劇的な物語をもつ宗教曲)を書いたとの記録があるのですが、楽譜が残っているのは、この曲だけです。こんな大曲を、孤児院の娘たちが演奏したとは驚きですが、それほどピエタ院の娘たちは、演奏に長けていたのでしょう。もちろん、ヴィヴァルディの曲や指導が抜群だったせいもあります」

 実は、この映画、物語のなかでは、直接に「四季」は登場しない。

「『四季』が出版されたのは、彼がピエタ院を辞し、ヨーロッパ各地をオペラ上演でまわっていた時期なので、すくなくともピエタ院のために作曲された曲ではありません。しかしこの映画では、『四季』の萌芽がピエタ院やチェチリアにあったとの設定が、さりげなく数か所に盛り込まれているのです」

 映画紹介にネタバレは厳禁だが、一箇所だけ、教えてもらおう。

「ピエタ院に着任したヴィヴァルディが、合奏団のレベルを確認しようと、自作のトリオソナタを演奏させます。この演奏をよく聴いてください。高難度の変奏曲で、奏者は、次々と脱落していきます。チェチリアは最後までついてくるのですが、ヤケになって“ある旋律”をアドリブで弾きます。ヴィヴァルディは感心して、自分もそれに合わせて演奏します。このときの旋律が、よく聴くと『四季』の一部なのです。ほかにも、『四季』誕生を思わせるシーンがいくつかあるので、聴き逃さないでください」 

 そうやって師にインスピレーションを与えるチェチリアだが、実はすでに嫁ぎ先が決まっていた。現在のトルコとの戦争が終わり次第、ある将軍の後添えに迎えられることになっているのだ。もちろん、不本意な結婚である。ヴィヴァルディのもとで音楽に専念したいチェチリアは、ある“行為”を実行する……。

「なお、劇中に『四季』が流れないからとガッカリするのは早計です。とりあえず、最後までご覧くださいとだけ、申し上げておきます」

ミラノ冬季五輪の演出家、ミキエレット監督に聞く

 この映画を監督したのは、イタリアのダミアーノ・ミキエレット(1975〜)。この2月に開催された、ミラノ・コルティナ冬季五輪の開・閉会式でクリエイティブ・ディレクターをつとめたひとである。プッチーニやヴェルディ、ロッシーニに扮したダンサーのほか、マライア・キャリーや、イタリアの有名歌手たちが続々登場した。

 実はこのミキエレット氏は、世界的なオペラ演出家なのである。ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座など、名だたるヨーロッパの歌劇場で名演出を披露し、オリヴィエ賞などを受賞している。

 日本でも、新国立劇場で、現代のキャンピング・カーに舞台を移したモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」を演出して話題となり、再演されている。2024年に「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン」で上映された「カルメン」も、彼の演出だった。

 そのミキエレット監督が、オンライン・インタビューに応じてくれた。

――ヴィヴァルディの「四季」は日本でも人気があるので、みんな期待しています。なぜ、監督することになったのですか。

「この映画の製作会社〈INDIGO FILM〉のオフィスは、ローマ歌劇場のすぐそばにあるのです。あるとき、そこのスタッフが、同歌劇場で上演されている、わたしが演出したオペラを観ました。そして、“この演出家に新作映画を監督してもらいたい”と考え、相談に来たのです。わたしは、ヴィヴァルディを描いたティツィアーノ・スカルパの小説『スターバト・マーテル』が気に入っていたので、ぜひこの小説を映画化したいと提案し、実現に至りました」

――この小説は、2009年に、イタリア最高の文学賞〈ストレーガ賞〉を受賞していますね。日本でも邦訳が出版されています(中山エツコ訳、河出書房新社刊、2011年/この5月14日に『ヴィヴァルディと私』と改題、新装版が発売)。最初に読んだときから、映画になると思ったのですか。

「スカルパ氏は、フィクションとノンフィクション(真実)の両方をうまく両立させて盛り込む作家です。ということは、さらにフィクションを盛り込める余地がある。しかも音楽でストーリーが語れる。とても映像向きだと、読んですぐに感じました」

――しかし、映画のラストが、原作小説とはまったくちがうので、驚きました。

「彼女がまだ見ぬ母親に手紙を書くなど、原作どおりのシーンもあります。しかし、新たなシーンや設定も、たくさん入れました。彼女をめぐる結婚のエピソードも、創作です。ラストについていえば、わたしは、ぜひチェチリアに人生をやりなおしてもらいたかった。ピエタ院のなかで、これ以上自分にできることはもうない、だから、ああいうラストに変えたのです。ここはぜひ、スクリーンでご確認いただきたい部分です」

――原作を“改変”したことに、スカルパ氏はどんな反応でしたか。

「わたしはスカルパ氏を個人的によく知っています。しかもおなじヴェネツィア人で、以前に一緒に仕事をしたこともある仲です。それだけに気心も知れていたので、あるとき『設定を変え、題名も“Primavera”(春)にしたい』と相談しました。すると『小説と映画は、まったくちがうのだから、当然だ』といってくれました。完成した映画を観て、『とても好きだ。もっと長い話にしてもよかったのになあ』といってましたよ」

――そこまで創作を加えたのなら、いっそ「四季」は、チェチリアのために書かれ、ピエタ院で「初演」されたとの設定にしてしまっても、よかったのではないですか(笑)。

「それはいいアイディアですね!(笑)。たしかにもっと深堀りして描きたかった部分もありますし、会話のなかに、もうすこし『四季』にかんすることを入れればよかったかもしれません。しかし、あまりに創作が過ぎるのもよくないので、あれくらいにとどめたのです」

――今回は、初めての映画監督作品だったそうですね。初体験のご感想は?

「ベリッシマ! “とても美しい”、感動的な体験でした。毎日が新しい発見の連続で、子どもみたいに驚いてばかりでした。撮影監督のダリオ・ダントニオ、編集のヴァルテル・ファサーノ、衣裳のマリア・リータ・バルベラ、音楽のファビオ・マッシモ・カポグロッソ……すばらしいスタッフにも恵まれました。〈ワーナー・ブラザース・イタリア〉が製作協力してくれたことも大きかったです」

――映画第2作のアイディアが、もうあるのでは?

「いま、題材を探しているところです。あまり期待されると、緊張してしまいますね(笑)。やはり音楽に関係した作品が希望ですが、小品ではなく、大きな世界を描くものにしたいと思っています」

――ところで、ミキエレットさんは、お好きな日本の小説や作家がありますか。

「わたしは、川端康成が大好きなんです。とてもメランコリックで美しく、雰囲気があって、よく読みます。特に『雪国』と『美しさと哀しみと』が好きです。これらを映画化したいような気もしますが……え? どちらも、すでに日本で映画になっているのですか。そうでしょうねえ(笑)」

 昨年の2025年は、「四季」が最初に出版(おそらく作曲も)された1725年から「300年」の節目だった。一時忘れられていたとはいえ、バッハが研究したほどの存在である。そんな作曲家と愛弟子に焦点をあてた映画「ヴィヴァルディと私」は、5月22日から全国公開される。

「ヴィヴァルディと私」
配給:彩プロ (C)2025 INDIGO FILM, WARNER BROS. ENTERTAINMENT ITALIA, MOANA FILMS

富樫鉄火(とがし・てっか)
昭和の香り漂う音楽ライター。吹奏楽、クラシックなどのほか、本、舞台、映画などエンタメ全般を取材・執筆。シエナ・ウインド・オーケストラなどの解説も手がける。

デイリー新潮編集部