巨大なワニを抱え、眠った野生のトラを担いだ…「(その時の)傷跡ありますよ」『川口浩探検隊』元隊員が明かす、ヤラセじゃなかった“猛獣との緊張の一瞬”
〈「1回のロケで15キロぐらいやせる」カメラの外でヘビと格闘、川に流されたスタッフも…「川口浩探検隊」元隊員が明かす、実は本当に危険だった“撮影の裏側”〉から続く
70年代後半から80年代にかけ「水曜スペシャル」(テレビ朝日)の枠で放送され、子どもたちをテレビの前に釘付けにした「川口浩探検シリーズ」(1978〜1985年)。未知の生物や未踏の秘境を追い求める探検隊の冒険は“ヤラセ”と揶揄されることもあるが、そこに“真実”はあったのであろうか。
【画像】【画像】『川口浩探検隊』シリーズで隊長を務めた、俳優・川口浩さん
ここでは、時事芸人のプチ鹿島さんが「川口浩探検シリーズ」の裏側に迫った『ヤラセと情熱 水曜スペシャル『川口浩探検隊』の真実』(双葉社)より一部を抜粋。当時は番組ADでありながら、探検隊の隊員として出演もしていた遮那正策さんが明かす、ワニとトラ、そしてヘビと相対した絶対絶命の体験とは……。(全2回の2回目/最初から読む)

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黒澤映画の役者から“たまさか”テレビ制作の世界に
川口浩探検隊の隊員たちに尋ねると、いわゆる普通の就職活動を経て業界入りしたような人物は誰もいなかった。そのなかでも、遮那正策の“前歴”はとても特徴的であった。
「僕は、黒澤明監督の『影武者』(80年)に出てましたね」
──出てたんですか? スタッフとして撮影に参加していたのではなく?
「はい。たまさか馬に乗れたもんですので、騎馬隊にいたんですよね」
何気なく口にしているが、たまさか騎馬隊にいた人とはなかなか巡り合えない。黒澤映画にも簡単には出演できないだろう。遮那は役者活動をしていたのだった。
「あんまり売れてなかったですけど、たまさかそういうのがあって。新聞にオーディションの告知が出ていたので受けたんです。そしたら馬に乗れるっていうんで『影武者』の撮影に1年間ずっと参加させていただいた。出る側だったんですけど、やっぱり馬の管理とかそういうのもあるので、最後はスタッフみたいな感じだったんですけどね。テレビ業界に入るまではそういうことがありましたね」
役者では食えそうもない。じゃあ何かあるかなと思っていたら「たまさかそういう話をいただいて制作会社のフルハウスに入ったんです」。
遮那の人生には“たまさか”が多いようだ。では川口浩探検隊に“たまさか”引き寄せられていく経緯はどうだったのか。
「テレビ業界に入ったときはすでに27歳ぐらいだから、その年齢でADってあまりいないですからね。先輩は20歳くらいで、年下に頭叩かれながらやってましたね。フルハウスに入って探検隊に行くまでは1年ぐらいあるんですけど、ちょうどビートたけしさんがテレビに出始めた頃で、その番組にいろいろ関わったりとか。あと、タモリさんとかもね。80年前後でしょうか。たけしさんはこんなに無口な人なんだなと思ったのを覚えています」
黒澤組の役者からテレビ業界へ。履歴書だけでは伝わらない異端な経歴を持つ遮那からみて、とある番組の印象が強烈に残っているという。
「タモリさんの『今夜は最高!』(日本テレビ)ですね。番組はとても面白いんですけど、当時の日テレはやっぱりエリート集団だからね。スタッフがお互いに『○○ちゃん』って呼び合っていたんですよ。最初は業界特有のノリだと思っていたら、慶應の幼稚舎時代からの呼び方だった(笑)」
幼児の頃からのリアルな「ちゃん」付けが飛び交うセレブな空間。そこに混じる『影武者』の騎馬隊。どう考えてもやりづらそうだ。
「こちらとしては黒澤さんの映画をやらせてもらった身だっていうのはどこかにあるんだけど(笑)。テレビに行ってからは、ちょっと違和感みたいなものはありましたね。そしたら、たまさか川口浩探検隊の話があって」
待ってました“たまさか”。役者をしていた遮那にとってドラマ『キイハンター』で見ていた川口浩は憧れの人だった。さらに海外に探検に行くというのだから、そんな凄い番組に行けるのかと感激したという。
「『お前、やってみるか』ってフルハウスの社長に言われたときに『いやいや、これをイヤだなんていう奴はいないでしょう』みたいな感じだったんですよ。『こんな誰も行けないようなところになんで私が行けちゃうの?』みたいな感じ」
この時点で何人かの元隊員から話を聞いていた私からすると、社長の「お前、やってみるか」にはそこそこ重たい行間があることがわかる。テレビ業界でも異端な存在の“探検隊”に送り出す意味を。秘境へ行く過酷なロケに耐えられるかどうか。特異な経歴のある人間が集ってくる『水曜スペシャル』という番組に耐えられるかどうか。
「そうですね。みんなあんまりまともな感じの人じゃない。自分も含めてね」
騎馬隊で鍛えられた若者にとって、慶應幼稚舎出身だらけの番組より雑草集団の探検隊のほうがハマる予感がしたのだろう。
「傷跡ありますよ」ワニと戦うシーン、まさかの裏側
遮那が最初に参加した回は「原始猿人バーゴン」だった。私にとっても思い出深い回だったのですぐに話を向けると「バーゴンのときはもう。バーゴンのことは話していいかどうかは……」と遮那はいきなり口ごもった。どこまで話していいのかと逡巡している様子が見て取れた。
そこで、バーゴン回がいかにやりすぎで異色だったかと語った恩田(光晴、「川口浩探検隊」元隊員)の話を振り、そのうえで視聴者だった私の「ワニと戦うシーンはすごかったですよねぇ」という感想を言ってみた。すると……。
「あっ、だから傷跡ありますよ、ワニを押さえましたよ」
えっ!? こちらは当然驚くが、遮那のほうも「ワニと戦うシーンの裏話まで知っているのか」と驚いて、反射的に「傷跡ありますよ」と口に出たようである。
遮那は我々に尋ねた。「これ、どこまでそういう話を聞いたんですか?」
探検隊についてどの程度まで知っているかという逆質問。我々はこれまで聞いた話を具体的に説明した。しばらく聞いてから、遮那は早口に語りだした。
「いやいや、すごい回でしたよ。裸族の家族がいるわけですよ。そしたら、ディレクターが見てて、『なんかちょっと裸族だったら色が白すぎない?』みたいに言ったんですね。『ちょっと土か何か塗ろうよ』となって。家族の人にすみませんって謝って、自分がその裸族の裸の若い女の子に土で塗ってたっていうね。おばあさんにも塗りました。そういう記憶がありますねえ」
そして「バーゴン回はね、いろいろ自分もやりましたよ、それは」。何かをさらに思い出したようだ。
先ほどもそうだったが私は原始猿人バーゴンが川でワニと戦ったシーンについて聞きたくて仕方ない。つい、子どものような質問が口を出た。
──あのワニは本物だったんですか?
「もちろん本物。だから怖いですよ。現地のコーディネーターはもちろんいるけど、誰かが用意されたワニを現場まで運ぶ必要が出てくるわけですよね。動かすのは自分らですからね。そりゃ、怖いですよ」
──結構大きいワニでしたよね、あんなの動かせって言われてできるもんなんですか?
「それはもうこちらも命がけでやりましたよ。それが仕事ですから。やっぱり下っ端の人間がやるしかないから、じゃあ、やりますって。でも怖いですよね」
小学生のような質問が続く。テレビで見た私の記憶が生々しくよみがえる。ワニすごかったですよね、あのワニ。
「それが、トラのときもあるんですよ」
遮那も、小学生に秘密を教えるような表情で話し始めた。
野生のトラを担いで…プロ意識で乗り越えた絶体絶命の仕事
トラが主役の回と言えば、「恐怖の人食い虎! スマトラ奥地密林に血に飢えた牙を追え!!」(82年12月8日放送)のことだ。
「そう、インドネシアで。これはもう本当に怖い。麻酔銃を撃って捕まえたんですよ。で、トラを神輿みたいなのに載せて持ち上げるんだけど、麻酔は15分しか効かないっていうんです。その間に撮影しないといけないから後ろを見ながらビクビクして。トラが起きてきたら大変だっていうんで」
──うわー、本当に危険じゃないですか!
「はい、捕まえたのは本当の野生のトラです」
──それを人食いトラっていう設定にしたのですか?
「はい。人を見れば食っちゃうだろうと」
人を食った話にも思えるが遮那は本気だ。野生のトラを捕獲したことは確かなのだから。馬を乗りこなした役者から転職し、川でワニを抱えてテレビデビュー戦を飾り、スマトラでトラを担いだ男。動物がついてまわる人生。
「一生の間にあのときだけじゃないですか、トラを担いだのは。絶対に日常ではないですよね」
──危険な目に遭いそうだけど、俺がやらなきゃ…という気持ちになるんですか?
「まぁ、そうですね。言っちゃえばプロ意識ですよね、テレビマンとしては」
スタントマンでも飼育員でもない、会社勤めのADの仕事。まったくの非日常の空間。しかし、非日常が当たり前の現場になると、その中で自分が何ができるかという意識になっていくのだろう。「僕がお茶を買いに行ってきます」と同じ感覚で「俺がワニを抱えます」というように。これは仕事論であるとともに、組織にいる人間が環境に順応していく過程を考えると怖い話でもある。極端な例でいえば、テロ組織にもこんな心理が働いているのだろうか。
トラを担いだ遮那だが、他にもまだ担いだ動物がいた。マングースである。
「恐怖! 双頭の巨大怪蛇ゴーグ!」はヘビだらけの島に探検隊が乗り込むという回だが、本当に困ったときのヘビ対策として、籠に入れたマングースを背負う隊員がいた。それが遮那だったのだ。
「あんな大量のヘビがいるところでの撮影なんて、もう生きてる間にないでしょうけど、すごい体験だなと思いますよ」
番組中盤の見せどころとして、マングース投入のシーンがやってきた。隊員の中でも目立つシーンだった。
「川口さんに、僕は映るのはしょうがないけど、名前だけは呼ばないでくださいとお願いしたんです。名前が“遮那”で珍しいから。視聴者に覚えられちゃうとちょっと気恥ずかしいからね。それを聞いた川口さんが逆にどんどん喋りかけてくるわけですよ。何かあるともう『遮那! マングースを出せ!』って(笑)。でも、それは心に響きましたねえ」
ここまで動物に縁のある遮那だったが、物理的なダメージというのはワニと格闘したときの傷以外にもあるのだろうか。
「さっきお話したトラですね。虎にちょっと引っかかれたりとか、そういうことがありました。あと、怖かったのはフィリピンかなんかのロケで、最後に何かを燃やすようなシーンがあったとき。垂れていたガソリンからも引火しちゃってものすごい火だったんです。そのときはすごく怖かったですね」
“ロス疑惑”報道前に三浦和義氏のインタビューを撮ったことも
自身が“隊員”として番組に登場するときは、ずっとカメラの前にいるのだろうか。
「そうですね。川口さんが出てるときには必ず後ろについていかなきゃいけないですね。『カット!』とかっていうとすぐ制作になって、本当の自分の役割に戻ります。マングースとヘビとの戦いで言えば、隊員が戦いを見てる画も撮ろうってことになって。そしたら照明さんが隊員になってくれましたね。でも、どうリアクションを取っていいのかわからないっていうから『ボクシング見てるみたいな感じで』とか言ったら、後で見たら本当にボクシングを応援してるみたいな感じの画になって」
当時のことを語り始めた遮那は口調が滑らかになるだけでなく、探検隊以外の貴重な記憶も思い出してくれた。
「そういえば僕が入ってすぐの頃、これは川口さんの番組じゃないですけどね、アメリカの警察24時みたいなのやってたんです。で、ロサンゼルスに行ってる時に日本から電話があって『ちょっと今、事件があるからそれを追いかけてくれ』って言われて。そのとき、インタビュー取ったのが、あの三浦和義さんでした。そのあと、ロス疑惑として騒動になった」
これは、内藤も話していた“ロス疑惑”の話だ。80年代には欠かせない“テレビ史の事件”。
「三浦氏へのインタビューVTRは今でもテレ朝に残ってるんじゃないですかね? ロス疑惑報道の前の貴重な映像ですよ。奥さんが暴漢に撃たれて、自分も撃たれて……みたいな話を三浦さんがしてて。もう感極まって泣くわけ。でね、『じゃあ今からもう1回撮りますんで、よろしくお願いします』って言ったら、三浦さん、また同じところで泣くんですよ。そのときに、水スペ班はみんな『怪しいね』ってなったんです。それで事件があったという場所にも行ったんですよ、彼の証言と場所を照らし合わせたら、こんなところで奥さん撃たれっこないって感じなんですよ」
遮那によれば、その後に週刊文春が「疑惑の銃弾」としてキャンペーン報道をうってきたので「ああ、やっぱり」と思ったという。
(プチ鹿島/Webオリジナル(外部転載))
