日本映画にとって1990年代とは?映画史研究者「必ずしもポジティヴに評価されてこなかったこの時代は、映画のあり方が多様化していった一方…」
2026年1月に発表された日本映画製作者連盟(映連)のデータによると、2025年の年間興行収入は2744億5200万円で過去最高となりました。「2020年代の現在、日本映画(邦画)はかつてない盛況を迎えている」と語るのは、映画史研究者・渡邉大輔さんです。そこで今回は、渡邉さんの著書『『君の名は。』は日本映画に何をもたらしたのか 庵野秀明・岩井俊二・新海誠から読み解く現代日本映画史』より一部を抜粋し、お届けします。
【書影】日本映画の黄金期到来!新たな日本映画史を描く。渡邉大輔『『君の名は。』は日本映画に何をもたらしたのか 庵野秀明・岩井俊二・新海誠から読み解く現代日本映画史』
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90年代とはどういう時代だったのか
日本映画にとっては、90年代とはどういう時代だったのか。
まず、ここで重要なのが、これまでの日本映画史研究や映画批評にとって、この時代が必ずしもポジティヴに評価されてはこなかった、もっといえば相対的に閑却されてきたという事実だ。
こう記すと、映画ファンや批評家からはすぐさま異論が寄せられるだろう。
なるほど、90年代半ばの映画雑誌では、相変わらず批評家や業界関係者たちによって、日本映画の斜陽化がさかんに叫ばれていた(例えば95年の鼎談「新世代の作家と観客に期待するもの」)。
「邦画復活」の声
とはいえ、90年代も後半になると、97年には今村昌平監督の『うなぎ』と北野武監督の『HANA-BI』がそれぞれカンヌ国際映画祭とヴェネチア国際映画祭でコンペティション部門のグランプリにあたるパルム・ドールと金獅子賞をひさびさに受賞し、周防正行監督の『Shall we ダンス?』(1996年)もアメリカで異例のヒットを記録するなど、日本映画が国際的な注目を浴びる。
また国内興行でも、やはり97年には宮崎駿(「崎」は正しくは「たつさき」)監督のアニメーション映画『もののけ姫』が当時の国内歴代興行収入記録(当時は配給収入)を更新し、「邦画復活」の声がいたるところで聞かれた。
黒沢清や青山真治、是枝裕和、三池崇史、河瀬直美など、その後の日本映画を牽引していく新世代の才能も続々と現れ、むしろこの時期の日本映画は比較的肯定的に評価されてきたのではないか……と。
しかし、ここで筆者が強調したいのは、いわば当時の日本映画が置かれていた環境についてである。
「映像」の前景化としての90年代
例えば、これまでの日本映画史の教科書的な記述を参照してみれば、日本映画にとって、バブル景気の崩壊に伴う平成不況(「失われた10年」)に覆われていた90年代とは、しばしば「多様化」の時代だと規定されてきた(例えば、「日本映画」〔岩本憲児執筆〕、「日本映画の多様性」〔石原陽一郎執筆〕、『日本映画史110年』などを参照)。
それは産業面では「製作委員会方式」の一般化として、興行面ではミニシアターやシネマコンプレックス(シネコン)の普及として、また作品の内容や主題面では多文化主義的なマイノリティ(在日朝鮮人、沖縄、性的少数者……)への注目として、そしてメディアの面ではデジタルビデオカメラ、また何よりも90年代半ばのインターネットという新たな情報環境の社会的浸透として、いたるところに現れていた。

(写真提供:Photo AC)
橋口亮輔監督の『二十才の微熱』(1993年)、崔洋一監督の『月はどっちに出ている』(1993年)、あるいは高嶺剛監督の『ウンタマギルー』(1989年)など、同時代のカルチュラル・スタディーズや多文化主義の輸入紹介とも連動するような、社会的マイノリティを主題にした映画が多数登場したのがこの時期である。
なかでも、デジタルビデオカメラの普及が、その機動性や汎用性において、映画・映像が切り取るイメージの多様化・細分化――いわば「映画」ならぬ「映像」の前景化に拍車を掛けたことは特筆されるべきだろう。
90年代を彩る数々の作品群は、写真、映画、テレビ、ビデオソフトといったそれ自体が多様な媒体を自在に貫いて、映像が表象するリアリティ、セクシュアリティ、アイデンティティなどのかつてない多様化・断片化を押し進めた(ここには、今日のInstagramに繋がる「プリクラ文化」=写真コミュニケーションも含まれる)。あるいは、長いこと実写の下位ジャンルとみなされてきたアニメーション(アニメ)が、前者を凌駕するほどの社会的認知(おもに国内で「ジャパニメーション」という言葉が流通した)を獲得し始めたのも、この時代の映画・映像の示す多様化の特徴のひとつだろう。
「語りづらい」時代
ともかく、映画に特化して見た場合、戦後の産業構造を長らく規定し続けてきた撮影所システムやブロックブッキング体制といった業界の「大きな物語」は80年代にはすでに完全に解体していた(鷲谷花「撮影所システムの終焉と「フリー」の時代」)。(実写の)映画監督がテレビドラマやCM、アニメはもちろん、Vシネマからミュージック・クリップまで何でも撮る時代が到来する。
しかし他方で、90年代に急速に台頭してきた新たな情報ネットワーク環境が、動画共有サイトやSNS、ケータイカメラといった多種多様なツールによって新たな「映像の生態系」を広げていく2000年代半ばまでには、まだだいぶ時間のへだたりがあった。
その意味で、日本映画における90年代とは、多種多様な「映像」の前景化によって、それまでの「映画」のあり方がプリズムのように多様化・拡散化していく一方、どこかはっきりとした焦点を結ばない、あいまいな歴史的位置づけを長らく強いられてきたわけだ。
そう、日本映画にとって90年代とは、どこかはっきりと「語りづらい」時代として長らくあったといえよう。
※本稿は、『『君の名は。』は日本映画に何をもたらしたのか 庵野秀明・岩井俊二・新海誠から読み解く現代日本映画史』(星海社)の一部を再編集したものです。
