「特攻隊員」たちが日本刀まで持ち出して上官の宿舎を襲撃…体を張って止めに入った「特攻兵器・桜花」の発案者

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太平洋戦争末期、日本海軍は、1.2トンの爆弾に翼とロケットをつけ、それに操縦席をつけたような形の特攻兵器「桜花」を開発、実戦に投入した。「人間爆弾」とも呼ばれた桜花は、母機の一式陸上攻撃機に懸吊され、敵艦隊の手前で投下されたら滑空で、あるいはロケットを吹かして敵艦に突入する。のべ10回の出撃で、桜花は米駆逐艦1隻を撃沈、6隻に損傷を与えたが、その戦果はとても犠牲に見合うものではなかった。生き残った元桜花搭乗員は戦後も長く結束を保っていたが、今年(2026年)、ついにの最後の一人が亡くなった。

私は2023年6月、『カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父』(小学館)という本を上梓している。大戦中、桜花を発案し、終戦直後に自決したとされながら、戦後は戸籍も名前も失ったまま半世紀近くを別人として生きた大田正一とその家族の数奇な運命を描いたノンフィクションだ。この作品のなかで大きな役割を占める桜花特攻隊員が、貴重な日記を残していた。「死」を目前にした隊員の目に映っていたものとは――。(第2回後編)

【前編を読む】死を目前にした「人間爆弾」桜花の特攻隊員が手記に記した「日本の新聞」に対する不満【太平洋戦争】

スリルがなくて退屈な航空映画

佐伯の不満の矛先は、映画や学徒出身の予備士官にも向けられる。

まずは映画。開戦3周年記念映画として海軍省後援のもと、東宝が製作し、昭和19年12月7日に封切られた「雷撃隊出動」(2026年4月現在、Amazonプライムビデオで視聴可能)

〈「雷撃隊出動」について

おれは映画を見ると、平々凡々の地上の風物を撮ったのよりも、突然エンジンが始動し垂直旋回する翼が画面に躍動する航空映画の方がさっとして面白い。

航空映画としておれが今迄に一番よかった、と思うのはユンカース八七爆の「急降下爆撃隊」であった。画面に迫る戦慄感!豪快感!もう一度あんなのはないものかといまだに欲求している次第だ。

海軍雷撃機の攻撃を描いた「雷撃隊出動」は、そんなに緊迫したスリルを表していなかったので、見る目に退屈感を与えたほどだった。

それに、いつも見慣れている飛行機だが、敵艦隊に殺到して……続々と離陸してゆく基地の状況が内地で撮ったにしろあまりな寂しさに負かされて、戦争らしい様子やスリルが見られなかった。

狂暴的な場面満載でなければ――その反面また詩的なところをつけ加えて――どちらも生きるというものだ。

「雷撃隊出動」の映画は不足感のみでなく一つも航空映画らしい「肉薄感」がなかった。あの映画はダメだ。頭から決めつける。確かに期待はずれな映画だった。〉

いまの目で見れば、本物の零戦や一式陸攻、艦上攻撃機が飛び、撃沈される前の本物の空母瑞鶴でロケをしていたり、当時の軍人の挙措動作言葉遣いなど、学ぶところの多い貴重な作品だが、封切当時の軍人、しかも航空隊の隊員が、娯楽映画として見たなら確かにつまらなかったかもしれない。

「学生出の少尉は馬鹿だ」

次に、学徒出身の予備士官への不満。

〈学生出の少尉は、要するに馬鹿だ。少尉位になればモウ天下をとったように絶対だと思って鼻高々としている。しかも海軍入隊以来の日数は下士官兵に比して極めて浅い。下士官兵なんか何だというような顔をする者が多い。

海兵(海軍兵学校)出の少尉は、やはり下士官兵に負けぬだけの停年も有しているし、且つ苦労しているから、下の者の気持ちがよくわかる。故にあまり高慢なハナをしない。かえってしっくりくる。それに引き換え学生出身は坊ちゃん気質で何も知らん。古い中尉や大尉はモウそんなデカイ面をしない。オヤジになるほど内心がよくわかるからだろう。

海軍の学徒士官はカタキにされている。

学生は、写真ばかり撮っている。ひやりとするような処を、飛行場へ来て撮っている。許された特権ぐらいに考えている。

「学生は海軍に遊びに来ている」――これはひっくるめていった感じだ。

学生はまた、俸給泥棒である。〉

最下級の兵として海軍に入り、特攻隊員になっても大部屋暮らし、現金や物品の盗難が多発し、毎晩のように古い下士官にバッターで殴られ、身の回りの世話までしないといけない佐伯のような予科練出身者と、大学を出て海軍に入ったその日から短剣をつって下士官の上の待遇を受け、個室が与えられている予備士官とでは、同じ部隊にいながら住む世界が違ったのだ。

下士官兵の不満が爆発、士官宿舎を襲撃

現に、神雷部隊では、佐伯が訓練で負傷する前の昭和20年1月8日、下士官兵と予備士官の間に大規模な乱闘騒ぎが起きている。佐伯の「大空の記」には簡単に触れられているのみだが、私がかつて神雷部隊の複数の関係者から聞きとったところでは、その状況は次のようなものだった。

この日は月曜日だったが、夕方から神之池基地に東宝の慰問演芸隊がやってきた。演目は大辻司郎の漫談や、女優・轟夕起、三国瑛子らの歌、寸劇などで、隊員たちは楽しいひとときを過ごしたという。

ところが公演終了後、「士官が退場してから退場せよ」との指示を無視して先に退場した下士官を予備士官が殴ったことをきっかけに、日頃から積もり積もった下士官兵たちの鬱憤に火がついた。

イギリス海軍を範とした日本海軍では、士官と下士官兵のあいだには、貴族と労働者階級にも擬せられるほど苛烈な待遇差がある。住む宿舎もちがえば食事もちがう。同じ飛行機に搭乗する者同士でさえ、名字と階級だけで下の名前を知らないことが多いほど、日頃から互いに疎遠である。

部下を大切にし、下士官兵に対し偉ぶらずに接する士官もいるにはいたが、大学や専門学校を経て一九四三年秋に海軍に入ったばかりの予備士官のなかには、階級をかさにきて経験豊富な下士官に横柄な態度をとったり、佐伯の手記にあるように飛行場の立ち入り禁止区域に勝手に入って写真を撮るなど、顰蹙を買う行動をとる者も少なくなかった。

「海軍に入ったとき、『下士官兵を人と思うべからず』と教えられた」

と私に語った元予備士官もいたから、これは海軍の速成士官教育の欠陥だったのだろう。

そしてこの晩、ついに堪忍袋の緒が切れた下士官兵たちが、手に手に棒やビール瓶を持ち、日本刀まで持ち出して士官宿舎を襲撃したのだ。士官たちの個室のガラスが次々と音を立てて叩き割られる。驚いて出てきた予備士官と下士官兵の200名ほどが宿舎の前でにらみ合い、一部では乱闘も起きた。そこへ桜花の発案者とされる大田正一中尉が飛んできて、号令台に上がるやいなや大音声で、

「下士官退け! 上官抵抗は銃殺だぞ、知っているのか!」

と怒鳴り、

「こういう兵器を発案した俺が悪かった。やるならまず俺を殺してからやれ!」

と、体を張って止めに入った。大田の剣幕に、いきり立っていた下士官たちもわれに返り、それをしおに騒動はおさまった。襲撃した下士官のうち、主犯格の2名がのちに軍法会議にかけられ、うち一名が有罪となって横須賀市大津の海軍刑務所に収監された。

やがて士官とも打ち解けるように

止めに入った大田は、海軍に昭和3(1928)年に入り、幾多の戦場を潜り抜けてきた叩き上げである。司令と飛行長以外、神雷部隊に大田より軍歴の長い者はいなかった。いわば下士官兵の「親玉」のようなもので、階級よりも「メシの数」で、大田は騒ぎを収めたのだともいえる。

予備士官を目の敵にしていた佐伯だったが、数ヵ月後に書かれた「大空の記」には、正反対の評価が記されている。

〈学鷲がけなされたのもはじめのことだけだった。その後の勇敢さ、われわれとの折合いの状況を見よ。「分隊士」と呼び「何々兵曹」と呼び、ピッタリ合ったその仲を見よ。今や肉親の如く結合している。我は幸福なり。共に戦わん。

一部の学生士官はインテリとはいえ実に戦意旺盛とともに、何というか、本当に近づきやすく、且つ親友である。〉

はじめのうちは反感を抱いたものの、個々の人間性と接するうちに互いに打ち解けた様子が見て取れる。

ふたたび「大空の記」より――。

〈海軍下士官兵間に今なお話されている、下士官、兵、准士官の実態を茶化している笑い話を左に掲げる。

兵とは 概ね貧家の次男三男にして、郷里にありては無用の長物として海軍に送り込まれ食うに食なく泊るに家なくその身を海軍に投じ、平時にありては重量物の運搬に適し、戦時にありては准士官以上の弾丸よけになる。食事ともなれば何処よりともなく集まり来たり、一物をも余さず之を食う。

下士官とは 兵よりも若干常識を具えたる者にして新聞雑誌を判読し得る程度の学力にして、異性を見れば奇声を発し之に危害を加えんとす。

准士官(兵曹長)とは 下士官のやや老衰したる者にして一種の俸給泥棒なり。〉

ずいぶんな言いようだが、当時の精いっぱいのブラックジョークだったのだろう。

ところで、神之池基地では、中国から飛行機で連れてこられた「シロ」という犬と「ミー」という猫、「クロ」という犬がいて、隊員たちのマスコットになっていた。次回は特攻隊員とペットたちについての話から語り起こすことにしよう。(第3回に続く)

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