二人はホテルに向かったというが……(イメージ)

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【全3回の第1回】

 今から約30年前、1995年4月、京都府の山中でバラバラになった女性の死体が発見された。殺害されたのは4月26日深夜から翌日未明と見られている。被害者は地元の看護師(44)。このいわゆる「主婦首なし殺人事件」で逮捕されたのが、彼女と不倫関係にあったAという運転手の男である。が、この時Aは不起訴で釈放されている。被害者と最後に会っていたなど、状況証拠はあったものの決め手に欠けたのである。それから20年後、再びAは殺人容疑で逮捕された。 今度の容疑は2006年3月17日、兵庫県三田市で起きた、生コン会社役員による社長殺人事件である。今もなお未解決である猟奇的事件と、生コン会社社長殺人事件の関連とは何か。奇妙にも2006年の事件では現場に生々しい音声を記録したICボイスレコーダーが遺された。その「殺人の記録」が物語るものとは――。第1回では、まず両事件のあらましについて振り返る。【森功/ノンフィクション・ライター】

(以下、「新潮45」2007年8月号をもとに加筆・修正しました)

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【写真を見る】焼却炉から「超高級下着」が… 犯人の家宅捜索で見つかった「驚きの証拠品」

 そのICボイスレコーダーから流れてきたのは、闇夜の静寂を突き破る断末魔の叫びだった。

二人はホテルに向かったというが……(イメージ)

〈うわぁーッ〉

 レコーダーに残された音声は、いきな悲鳴から始まる。

 ザーッ、ガサッ、ゴソッ、ガサッ。

〈助けてぇー〉〈わぁー、助けてぇー〉

 助けを求めて叫ぶ男性の悲痛な声が、次第に遠ざかっていく。暗闇の中に伸びる細い糸のような弱々しい声音。それを断ち切るかのように、自動車の走行音が響いた。

 現場が郊外の幹線道路に面しているからだろう。レコーダーからは、自動車の行き交う音が頻繁にする。走行音の合間で、犬がほえ続けている。

 ワン、ワン、ワン――。

 かなり興奮している様子だ。そして、録音開始から39秒後。 ボイスレコーダーが問題の人声を吐き出す。

〈なあに、鳴いてんの? ほれっ、だいじょうぶ……。 ほうれ〉

 かすかに聞こえる中年女性の声。いきり立った犬をなだめている。そんな声だ。餌でも与えたのか。しばらくすると、犬の興奮が収まり、鳴き声もしなくなった。そうして、また断続的に自動車の走行音だけが漏れてくる。

 だが、よく聞くと、その中には、慌てて走り去るため車が急発進したかのような音が混じっていた。時間にして33分11秒。これが2006年3月17日に起きた、会社社長殺人の犯行現場に残されていたボイス記録である。死者が最期の瞬間に味わった恐怖がよみがえる、衝撃の内容だ。こんな生々しい音声が残されていること自体、極めて珍しいというほかない。なぜ、このようなものが残されていたのか、その理由については後に説明する。

数多くの謎を残して終結

 事件の被害者は兵庫県三田市東本庄にある「新生コンクリート工業」のB社長(当時42歳)。いわゆる生コン会社の社長だ。同社は市の中心部から車で20分ほど離れた国道176号線沿いにあり、事件はそこで起きた。

 この日の午後9時、B社長は新生コンクリートの役員だったAに呼び出された。二人は事務所でロ論になり、社長が飛び出すように部屋を出た。Aがその後を追う。国道付近でB社長をスタンガンで襲った。それでも社長は必死で逃げようと国道を渡る。Aが向かいの竹やぶあたりで追いつき、ネクタイを使って絞殺した。

 ことが発覚したのは、犯行直後に社員の一人がたまたま会社に立ち寄ったからだ。そうして、Aは現行犯に近い形で逮捕されたのである。

 こう書くと、生コン会社の社長と役員間の単純ないさかいのように見えるかもしれない。報道も少なく、地元紙がベタ記事程度で扱ったに過ぎなかった。近年のスピード裁判の成果か、2007年3月20日、神戸地裁でAに判決が下っている。懲役15年の実刑。単独犯とされ、殺人事件にしてはいかにも刑が軽い。だが、これは決してそんな単純な事件ではない。事件は数多くの謎を残し、未解決の部分が存在したまま終結しているのだ。

かつて未解決事件で逮捕された経験が

 事件の舞台となった新生社は不正経理を巡って紛糾していた。被害者のB社長には、会社が受取人となる、約2億5000万円もの経営者生命保険がかけられていた。事件の背景にはAを中心とする複雑な人間関係が錯綜している。

 事件は本当に社長と取締役、二人のいさかいから短絡的に起こったものなのか。B社長とA以外にこの事件に関係した者はいないのか。

 これら多くの謎を解く鍵が、冒頭のボイスレコーダーである。事件は警察、検察当局によって、単独犯として片付けられたが、それに根本的に疑問を投げかける超一級の証拠。そこには犯行現場に残された共犯者の足跡が刻まれていた。このボイス記録が、事件に大きな波紋を投げかけようとしている。

 しかも、この事件にはもう一つ、知らざる事実が埋もれている。全く報じられていないが、実は生コン会社の社長を殺害したAは、かつて未解決事件で逮捕された経験があったのだ。 ご記憶の方がいるかもしれないが、1995年に京都府の山中で遺体が発見されたバラバラ殺人事件、「主婦首なし殺人」である。

ホテルで消息が途絶え……

「えっ、ホンマですか。あのAがまた逮捕されたいうんは。殺しですか。よりによって、また殺人の容疑とは……」

 生コン会社社長殺害の一報を伝えると、元捜査幹部はそう絶句した。すでに京都府警を退官し何年もたっているが、現役時代を思い起こすように、黙り込んだ。

 その事件は95年4月に起きた。 京都の鐘打山と呼ばれる山中の小川で、女性の遺体が発見される。遺体は両手首が切断されている上、首から先もない。犯人が被害者の身元を隠すため、両手や頭部を胴体から切り離したに違いない。

 ほどなく遺体は、三田市内の病院に勤める看護師の田中久美子さん(当時44歳)と判明。殺人事件と断定した京都府警が捜査を開始した。猟奇的な首なし殺人事件と話題を呼んだ。

 被害者の久美子さんは主婦だった。その不倫相手が生コンミキサー車の運転手のAである。捜査本部がAに疑いを抱いたのには、それなりの理由がある。

「現状証拠がそろっとったからね。そうやないと、逮捕まではしませんよ」

 元捜査幹部がそう振り返る。逮捕はむしろ自然な流れだったともいえる。

 司法解剖の結果、久美子さんの死亡推定時刻は95年4月26日深夜から翌27日未明とされた。その26日午前8時過ぎ、彼女は実家の法事に出かけると言い残し、自宅を後にしている。しかしそれは表向きの名目であり、実際はAとの駆け落ちだった。二人は午前9時に三田駅前のロータリーで落ち合い、そのまま車で福知山に向かった。 福知山は遺体発見現場の鐘打山にも近い。

 夕方になって、二人はホテルへ向かう。チェックインは当日夕方。そこから久美子さんの消息が途絶える。彼女は翌日未明までに殺害され、頭部や両手を切り離された上、鐘打山山中に遺棄されたのである。

〈ご迷惑をかけるけど、よろしくお願いします〉

 久美子さんはこの駆け落ちの最中、そう走り書きした手紙を実妹宛てに書いている。封書には、預金通帳が同封され、そこに残した子供たちへの30万円の振り込み記録が残っていた。彼女にとっては、覚悟の駆け落ちだったに違いない。

 その駆け落ち相手だったAは、確認されている、彼女と会った最後の人物である。当初、Aをターゲットにした捜査は順調に進んだ。捜査本部は二人の足取りをつかみ、事件から4カ月後の9月1日、Aの逮捕に踏み切った。

頭部や両手の行方を特定できず

 逮捕後の家宅捜索でも収穫が多かった。Aの乗用車のトランクから血痕を発見。彼女と同じAB型だった。また、自宅の焼却炉から押収したサングラスやキーホルダー、それに下着のホック。それらが、彼女の身に着けていたものと同じタイプだったのである。とくに下着は30万円もする高級矯正下着だったという。非常に珍しい下着だ。捜査本部は、そんな貴重な証拠を積み上げていった。

 別の元捜査幹部が指摘する。

「本人の供述もかなり曖昧だったので、捜査本部でも自信を持っていました。初め、Aは駆け落ちはおろか、当日彼女と会ってもいない、と言っていた。ところが、逮捕後に弁護士がついてからコロリと態度が変わったのです。ホテルにも立ち寄った、と認めるのだが、その日のうちにチェックアウトした。それから、夜の11時には西舞鶴駅に送っていったと言うのです。そこから一人北海道に行くというので別れました、と」

 Aには心強い味方がいた。大物人権派弁護士が代理人として登場。 供述の変遷も、その弁護方針に基づいていた。

 Aはホテルを出た後、別のホテルで夜を明かし、そのまま車で福知山から三田へ戻ったと供述する。

「当人の供述は裏が取れず、アリバイにもならない。だが、こちらも供述を覆すすべがない。頭部や両手の行方も特定できないままでした」(前出の元捜査幹部)

 トランクに残ったわずかな血痕についても決め手にならなかった。 現在ならDNA鑑定できたかもしれないが、当時はせいぜい血液型判定にとどまったのだ。

 そうして逮捕から21日後の9月22日、京都地検が下したのは処分保留。 Aは不起訴となり、無罪放免されたのである。ある検察関係者が悔やむ。

「近頃、科学捜査が脚光を浴びていますが、決して万能ではない。捜査は人間同士のぶつかり合いが基本であり、有り体にいえば、殺人事件の場合、自白がないと立件は難しい。やはり、事情を一番知っているのは犯人だから、自供があってはじめて遺体の発見や凶器を特定できるケースが多い。この件なら、逮捕・勾留まではできる証拠はあるが、起訴できるほどの決定打ではない。そういう状況でした」

 確かに公判維持で厳しい闘いを課されるのは検察だ。有罪にできなければ、普通でもさまざまな形で責任を問われ、組織は痛手を負う。ましてやこのケースはうるさい人権派弁護士が相手だった。

 しかし、である。

 それから11年、Aはまたも殺人事件で逮捕されるのである。

〈第2回では、最大の謎であるAの動機、そして見え隠れする共犯者の存在について迫る〉

デイリー新潮編集部