”任侠道”はもはやファンタジーなのか…弱体化した暴力団が実践できない「義理と人情」という虚構
かつて20万人もの構成員を擁した暴力団。
覚せい剤の輸入や賭博、みかじめ料の徴収で莫大な収益を上げ、1980年代の年間収入は推計8兆円に達したと言われる。だが平成に入って以降、暴対法の制定や警察の行き過ぎた捜査、メディアによる批判的な報道が原因となり、暴力団は衰退の一途をたどってきた。
では、暴力団が社会から消えていくことは、我々一般国民にとって「良いこと」だけなのだろうか?しばし「必要悪」として語られてきた“やくざ”の実態を、『やくざは本当に「必要悪」だったのか』より一部抜粋・再編集してお届けする。
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暴力団の「任侠」とは
今の日本人で「任侠道」をまじめに考えている人がいるだろうか。「任侠」が意味するものはたいてい「弱きを助け、強きをくじく」「義理と人情」の2語ぐらいで済まされる。定義などはないも同然で、もともとムードだけで内容がない言葉なのかもしれない。
だからか、大半の人が「暴力団が弱きを助け、強きをくじくなどできるわけがない。実際にやっていることは弱きをくじき、強きを助くじゃないか」と鼻で笑う。まして暴力団と任侠道の両立などといえば、ますますせせら笑うことになる。
今いわれる「弱さ」は肉体的、かつ暴力的な弱さより、むしろ経済的な弱さだろう。なんとか貧乏生活を穏やかにやり過ごしたい。現実にそういう人たちがやくざに助けてもらっているだろうか。役所が生活保護などで救っている。ボランティアが子供食堂などで子供や母子家庭を救っている。
しかし、やくざがそういう地道な援助活動をしているなどとは聞いたことがない。ただ大震災などの際、暴力団が炊き出しをしたり援助物資をトラックに積み込み、被災地に届け、住民に感謝されたなどの話を、たまに聞く程度である。
暴力団の救護活動は短期で売名の臭いも漂い、救護活動が地に着いた長期の活動ではないということが容易にわかってしまう。
「侠客」はファンタジーに過ぎない
そういえば江戸期以来、浪曲や芝居などでもてはやされた有名侠客もすべて物語の住人であって、実像は醜い殺人鬼だったり、非情な利己主義者だったりする。国定忠次、清水次郎長、大前田英五郎、会津小鉄など、みな同じようなもので、生涯に人を殺し、逃げ、辛うじて生を終えている。貧民に施しをしたなどの善行はおそらくなく、義賊と呼べる要素はない。彼らに仮託した者たちが白昼夢のように物語をでっち上げ、庶民の娯楽の用に供したファンタジーと見るべきだろう。
しかし、今もって任侠道をまじめに考えるやくざもいる。代表例が、今は「絆會」を率いている会長の織田絆誠である。絆會は2017年4月の発足時に「任侠団体山口組」を名乗り、同年8月に「任侠山口組」と改称し、「任侠」にこだわったことに見て取れるように、任侠への執着は強い(2020年1月、現名称の絆會に改称)。
絆會も織田絆誠も小勢力で、抗争では取るに足りないだろうが、山口組分裂抗争の中で唯一やくざの生き残りと将来構想を考えた勢力である。他の6代目山口組にしろ神戸山口組にしろ、従来路線を引き継ぎ、昨日のように今日も明日も有ると信じて疑わない、たわけたやくざの集団といえる。
織田絆誠は、暴力団といわれるのはともかくとして、「反社会的勢力」と括られることに非常な違和感を感じていた。なんとか「反社」から抜け出したい、その一環として任侠道を模索したのだろうが、彼は「任侠団体山口組」を発足させた当初、同団体は盃事を一切執り行わない、組長は空席で代表制とし、皆が平等とする、と一応は決めていたし、ついには組織を解散することさえ考え始めた。
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