『何度でも言うね、大好きだよ』(真希ナルセ著、KADOKAWA)
 相棒で、家族で、かけがえのない存在。『何度でも言うね、大好きだよ』(真希ナルセ著、KADOKAWA 2026年3月)は、愛してやまない犬達との日々と、別れを描いたコミックエッセイです。

 著者で漫画家の真希ナルセさんが飼っていたのは、ミニチュアダックスの「グミ」、通称「王子」と、柴犬の「銀次郎」。仏頂面が凛々しい銀次郎は、グミより1歳年下でした。

 可愛くて元気いっぱいな若い頃を過ぎ、愛犬達にも老いがやってきます。人よりも寿命が短い愛犬達のそれは、とても顕著です。歩行が困難になり、聴力と視力が弱くなれば、どうしたって介護が必要。でも真希さんにとっては、愛犬達から何か尊いものを教えてもらっているような、かけがえのない時間でした。

◆お世話をさせてもらうということ

 オムツをつける、薬を飲ませる、そして通院。人と違い、言葉では意思疎通のできない愛犬達の介護生活は、一筋縄ではいきません。オムツも薬も病院も、愛犬達にとっては嫌なもの。飼い主としては、ありとあらゆる術を試しながら、ケアをするしかないのです。
 基本的に、普段食べないもの=薬は本能的に拒否。おやつやごはんに混ぜるなど、なんとか服薬に成功した時のうれしさといったら!愛犬達が健やかにくつろぐ姿を一目見るだけで、疲労も苦労も一気に吹き飛びます。

 散歩も、若い頃のように率先して歩く、走る、というのではありません。カートで運んでから、時々降ろして見守りながら歩かせる。道端で寝転がってしまうこともあり、片時も目を離せないのです。それでも一歩一歩、地面をしっかり踏みしめるように歩く、愛犬達に、真希さんは生命の輝きを感じます。

〈まるでよくできた映画のラストシーンみたいに、始まりの場面に戻ってきたかのようだった〉(〈 〉は同書からの引用、以下同)。
 生きているって、ただそれだけで素晴らしいのだと、真希さんと同じように、私達の心に沁みてくるワンシーンです。

◆水を飲む、トイレへ行く…、あたりまえがままならなくなる

 聴力や視力など、五感が衰えてしまうと、水を飲むのも大変です。うまく体勢が保てず、水があるのに舐められない、器がそこにあるのに、徘徊してしまう。

 そんな状態のグミの頭をそっと押さえ、器に固定するように支えます。飲みにくそうなグミに「ごめんね」と声をかけて。

 排泄も、寄る年波にはかなわず粗相を繰り返してしまいます。愛犬達の意思とは無関係だとわかっているので、真希さんもケアに努め、愛犬達の進路に合わせてトイレシートを敷きまくるといった具合。

 以前は普通にできたことが、少しずつできなくなっていく。その切なさは、人も動物も同じです。自分よりも小さな存在ではあるけれど、年齢はずっと上。尊厳と誇りを尊重するからこそ、ままならない姿に、いとおしさもつのっていくのでしょう。

◆何度でも、その名前を呼んでしまう

「グミ」「銀次郎」。幾度も口にしたこの言葉は、〈おはようより、いただきますよりも、数えきれないほど発していた〉。でも、この世から去ってしまっても、呼び続けていたい。胸がしめつけられるような、真希さんの思いです。

 動物との共生と、無償の愛情。本書を読むと、命の終わりを見せてくれたグミと銀次郎に、感謝の念が止まらなくなるのです。

<文/森美樹>

【森美樹】
小説家、タロット占い師。第12回「R-18文学賞」読者賞受賞。同作を含む『主婦病』(新潮社)、『私の裸』、『母親病』(新潮社)、『神様たち』(光文社)、『わたしのいけない世界』(祥伝社)を上梓。東京タワーにてタロット占い鑑定を行っている。X:@morimikixxx