「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者」――いわゆるホームレス。現在、日本には2591人が存在するとされる(厚生労働省)。世間は彼/彼女らに「自己責任」という言葉を投げつけ、時に「見えない存在」として扱う一方、中には自ら望んでホームレス生活を始めた者もいる。いったいなぜなのか。

【写真】40代で自ら望んでホームレスになった、宇海くんの「住まい」をじっくり見る

 中国出身のジャーナリスト・趙海成氏の新著『河川敷の『原住民』令和ホームレスの実像』(扶桑社)から一部抜粋し、大阪からわざわざ上京してホームレスになった40代男性のケースを紹介する。


40代で自ら望んでホームレスになった、宇海くん(仮名)。彼は一体なぜ、河川敷の住民となったのか? ©趙海成

◆◆◆

 本章の物語の主人公、宇海くん(仮名)は、大阪から東京に来たばかりの43歳の男性である。

 彼の大きなスーツケースにはすべての生活必需品が詰め込まれており、その中には、登山用のテントとアウトドア用の小さなガスコンロもある。この2つだけでも、彼が東京でアウトドア生活をするつもりだとわかる。

 実は、宇海くんが野外生活を送るのは初めてではない。15年前、彼は自転車で日本各地を巡った。1か月で中国、四国、九州の各地を回り、その後に関西を巡ってから関東へ向かおうとしたとき、交通事故に遭った。彼は軽い怪我を負い、自転車も壊れてしまった。結局、東京には行かず、大阪に戻った。

 それから15年たった今、宇海くんはついに東京にやって来た。自転車ではなく、新幹線に乗って。

 今回の目的は、東京観光でも、仕事探しでも、友達や親戚を訪ねるためでもない。

 では、何のために上京したのだろうか? 聞いて驚くかもしれないが、彼の目的は、東京の荒川河川敷でホームレスになることなのだ。

高卒で工場に勤務していた男性が「ホームレス」になったワケ

 その理由を明らかにするには、彼のこれまでの人生経験から話すのがよいと思う。

「母親は元々美容師でしたが、結婚してから美容の仕事をやめて父親と一緒に働いていました。うつ病を抱えていたので、精神状態が時々不安定になり、睡眠薬を飲んで休んでいた印象があります。親同士の関係はギクシャクしていて、ちょっとしたことで口論になり、父親がお皿を投げるのを何度も見ました」

 高校卒業後、宇海くんは大学に行くことは考えなかった。最初はプラスチック成形の工場に就職したが、半年働いて辞めた。その後は接客業に従事し、飲食店やカラオケなどを転々としてきた。宇海くんは25歳のとき、彼女ができたことで、両親から離れて同棲生活を始めた。親の仕事の収入が不安定なので、仕送りをしていた。

「息子としての親孝行で(仕送りを)するべきだと思っていました。でも、お金を受け取った親は、感謝の言葉を一切言ってくれなくて、当たり前のように僕のお金を使ってしまったのです。僕はいい気持ちはしませんでした」

 同棲生活をしていた彼女とは、3年付き合ったが別れてしまった。

「彼女は僕と将来結婚するつもりでした。ただ、僕はこのような家庭環境で育ったため、結婚に対して良い印象を持っていなくて、結婚するという考えが全くなかったのです。これが別れた原因だったと思います」

 その後、30歳のときに再び彼女ができて、彼女は妊娠したが、大学を卒業して仕事に就いたばかりでまだ子どもを望んでおらず、宇海くんには相談せずに中絶したという。そして付き合って2年目のときに別れた。

 彼が言うには、理由は前と同じく彼の結婚に対しての恐怖心だった。

 それからしばらく、1人の生活が続いた。

「僕はほとんどアパートに引きこもる状態を、お金がなくなるまで続けた。人と会いたくないし、働く意欲も失い、お金も減って、何もかもうまくいかないように感じた。こんな風に生きていくことは全く無意味なので、自殺しようと考えたこともあった」

 自分自身の状況が悪い上に、家族にもまた不幸なことが起きた。

母親が川に飛び込み、自殺を……

 親同士のケンカが原因で、母親が川に飛び込んで自殺しようとしたのだ。幸い川の水が浅かったので、母親の命は救われたという。

 その後、母親は生活保護を受け、福祉施設に入所し、心身が一応落ち着いた。父親も生活保護を受け、以前のアパートでどうにか平凡な暮らしを送るようになった。

 そして半年前、父親から連絡があり、母親と離婚したことを知らされたという。それを聞いた宇海くんは、良い結末として受け取った。

「生活で両方疲れてたので、それやったらもう別れたほうがいいかなって」

 以前から彼はずっと、両親の生活や彼らの関係について心配していたと同時に、自分の将来の行方に戸惑っていた。今では両親について心配する必要がなくなり、自分が解放された感じになったという。

 ようやく行きたいところに行き、やりたいことをやれるようになった。

 宇海くんは昔から、ホームレスに対して見下すことはなく、路上生活に対する抵抗もなかった。むしろ、いつか自分もホームレスになってみようと思っていたという。今、そのチャンスが来たのだ。

事前に情報収集も行った上で、ホームレスになった

 そういうわけで、彼は40年以上住んできた大阪に別れを告げ、まだ見知らぬ東京に向かった。

 大阪を出る前に、東京のホームレスに関してインターネットでたくさんの下調べをした。その中でも、YouTubeで荒川河川敷のホームレスの生活を記録した動画や、Yahoo!ニュースで公開された私の連載が、宇海くんに大きな影響を与えた。

 荒川河川敷の生活条件は厳しくとも、自然環境が美しく、缶を集めれば生計を立てられることも彼は知った。特に、この連載で紹介したホームレスの大先輩2人――桂さんと征一郎さんがとても印象的だったという。

 宇海くんは、この2人の先輩を師匠とすることを決心した。桂さんに釣りのテクニックを学び、征一郎さんにアルミ缶を売ってお金を稼ぐ方法を学ぼう――と。

 東京に着いた後、大きなスーツケースを引っ張って歩きながら、荒川下流の葛飾区にある平井大橋付近を出発し、合わせて10個以上の橋のふもとを通ってついに目的地にたどり着いた。

 道中で出会ったホームレスに話しかけて、生活経験についていろいろ教えてもらった。その中には優しい人もいれば、少し乱暴な人もいたが、彼は「新米」として、腰を低くして相手の話を聞いた。

〈ホームレス生活のリアル〉「見知らぬ人に襲撃されること」でも、「雨風」でもない…荒川河川敷で暮らす40代男性が「最も不便」と語る、意外な要素とは?〉へ続く

(趙 海成/Webオリジナル(外部転載))