「専業主婦になるはずが」日本一の元相撲女王が雷部屋のおかみになった訳。弟子が慕う「もう一人の師匠」の素顔
「母の姿を見て、大学卒業後は専業主婦になるつもりだったんです。だから、おかみさんの話があったときも、最初は『絶対にやらない。誰か探してきて』と」。そう笑って話すのは、かつて土俵で日本一に輝いた「元相撲女王」であり、現在は雷(いかづち)部屋を切り盛りするおかみの垣添栄美さん。運命に導かれるように雷親方(元小結・垣添)と結婚し、今では部屋を支える「もう一人の師匠」として、親方とともに奮闘を続けています。
【写真】得意技は「左四つの下手出し投げ」眼光鋭い現役時代の垣添さん(6枚目/全15枚)
小5で相撲を始めるも「続けるつもりはなかった」
── 垣添さんは学生時代に全日本新相撲(現女子相撲)選手権で計3度の優勝を飾るなど、女子相撲の重量級で活躍されました。そもそもなぜ相撲を始めようと思われたのですか。
垣添さん:相撲との出会いは小学5年生のときでした。ただ、当時はまだ本格的に競
技として相撲をしていたわけではありません。2つ年下の弟と、がんで余命3か月と宣告された祖父を元気づけようと、わんぱく相撲の名古屋大会に出場したんですが、そこで弟姉で優勝して。その後、中学3年生で全日本新相撲3位、高校では1度、本格的に競技を始めた大学で2度の日本一になって、国際大会でも高校のときに1度3位入賞を果たしました。
ただ、試合には出ていましたけど、稽古はほとんどしていなかったですし、相撲を続けるつもりはまったくありませんでした。周りの方々が熱心に声をかけてくださって渋々出ていたという感じで。
中学、高校は愛知県の椙山女学園という一貫校だったので、大学にもそのまま進学する予定でした。でもいつの間にか相撲好きの母と(大学の)監督の間で進路の話がついていて、日本大学に進学することになっていたんです。
── ご自身は具体的にどんな進路をイメージされていたのでしょうか。
垣添さん:当時、空間やデザインすることが好きだったので専門的に学びたいと考えていました。でも高校時代まで私が全国大会で結果を残していたこともあって、相撲部の監督が大学以降も相撲を続けさせたいと考えていたんです。大学の相撲部が初めて女子部員を入部させるということになり「相撲を取った後にもできるだろう」「4年間、私に時間をくれ」と説得されて。「無理です」「行きません」と抵抗し続けていたんですが、最終的には根負けして日大に進学して相撲部に入ることになりました。
世界では万年3位。「なぜ勝てないんだ」と批判も
── 名門・日大相撲部初の女子部員だったんですよね。
垣添さん:すでに相撲部に在籍していた男子部員も女子が来るとは思っていなかったようで最初は驚いていました。稽古場の横にお風呂があったのですが、私が来るまで男子だけの生活だったのでみんな平気で裸で出てくるので、いつもそれに驚いていました(笑)。私が1年生の頃は主要大会で日大が優勝できなかったので、「女子が来たから(日大は)弱くなった」というようなことを言われたこともあって悔しかったですね。
── 男性部員の中にいきなり女性が入ったことでご苦労も多かったのではないでしょうか。
垣添さん:私1人では心配だと、私の母が監督に打診して、他にもう1人女性が入部したんですが、1年生のころは本当に大変でした。何もかもが初めてのことばかりで慣れない怒濤の日々。気づいたときには「もう1年経ったの?」という感じでした。
それに、高校までは試合で勝っていましたけど、相撲のことをよく知っていたかといえば決してそうではなかったので、大学に入ってからは簡単に勝てないことがありました。2年生になって、本当の意味で相撲をようやく覚え、成績が残せるなと思ったら、今度は階級を上げられてしまって。女子相撲には体重別の階級があるのですが、自分よりも体重が80~100キロ以上ある選手と戦わなければいけなかったんです。
── 高校時代まで結果を残していただけに周囲からのプレッシャーも感じていたのではないでしょうか。
垣添さん:1年時は優勝して2年時は初戦敗退。3年生になったら負けなくなったんですが、世界では万年3位。「なぜ勝てないんだ」と批判の声がすごかったですね。「(私は)相撲が好きでもないのに、なぜここまで言われないといけないの…」とツラいときもありました。ただ、そんなときふと客席にいる両親に目を向けると、すごく悲しそうな顔をしていたんですよね。だから相撲から逃げることはせず、4年生まではまっとうしてから相撲を卒業しようと、向き合っていました。
大学を卒業したら母と同じ専業主婦になるはずが
── 大学卒業後は雷親方と結婚されました。
垣添さん:私が日大相撲部に最初に入部した女子だったということもあって、卒業後も残ってほしいと言われたんです。でも、私は専業主婦だった母親の姿をずっと見てきていたので同じ道をたどりたい、たどるんだろうなと考えていました。
── 親方とはいつ出会ったのですか。
垣添さん:初めて会ったのは高校3年時に出場した国際大会です。当時、親方は学生相撲では有名で、相撲好きの母も大ファンでした。私が大学に入った後につき合うようになったんですが、親方は大学卒業後に角界入りして、私が大学4年生に進学するタイミングで関取に昇進。それがきっかけで結婚をすることになったんです。
── お母さんもさぞ喜ばれたでしょうね。
垣添さん:親方が私の両親に挨拶に行ったときのことです。そのとき、私は同席せず親方ひとりで挨拶に行ったのです。私は世間一般の方が挨拶にいくように「娘さんをいただいてもいいですか?」と言ったと思っていたんです。でも親方は両親に結婚のお願いではなく、結婚はすでに前提としたうえで「一緒に住みました」「もう住むところも決めます」と言ったようで(笑)。両親からするとすごく唐突に感じたようで、母からすぐに電話がかかってきて、「どういうことなの?」と驚いていました。
── 2007年2月に結婚し、親方は2012年に現役引退を表明されました。藤島部屋の部屋付き親方となり、その後、部屋を転籍。2023年に入間川部屋を継承して名称を雷部屋に改めました。
垣添さん:以前から親方は自分の部屋を持ちたいとよく話をしていたんです。そもそも新しく相撲部屋を持つには、横綱・大関経験者か三役通算25場所以上、または幕内通算60場所以上のいずれかの条件を満たさないと協会からの承認が得られません。現役力士時代に小結以上を務め、幕内在位20場所以上、十両以上在位通算30場所以上という条件をクリアしていたので引退した後は部屋付き親方として力士の指導に当たってきたんです。それが2023年に65歳の定年を迎える入間川親方から部屋を受け継ぐことになって。既存の部屋を継承する際の条件は満たしていたので「雷部屋」に名称変更して再出発したんです。
最初に親方から、部屋を継承することをどう思うかと相談されたとき、「私はおかみさんは絶対にやらないから、誰か探してきて」と伝えていたんです。我が子を育てるのも大変なのに、よそのお子さんを預かるなんて無理だと考えていて。
でも親方は入間川親方の部屋付き親方をしていた当時、毎朝3時半に自宅がある東京から2時間かけ、埼玉の部屋まで毎日通っていました。本当に自分の部屋を持ちたいんだなぁと、そんな姿を見ていたので、最後は私が折れた感じです。
人生で今がいちばん相撲を見ている
── 相撲部屋のおかみの仕事は多岐にわたると思いますが具体的にどういった業務をしているのでしょうか。
垣添さん:スケジュールや金銭の管理などの運営、いただき物へのお礼状の執筆や送付、番付発表の際の後援者の方への郵送やグッズ発送など事務仕事全般をはじめ、部屋にいる力士の母親役も担っています。お客さまが稽古見学に来たときの対応もそうですね。親方が巡業などで不在時に私がかわりに稽古を見ることもあります。
親方が部屋付きのころから礼状を書いたりはしていましたが、慣れるまで時間はかかりましたね。後援会の方々への番付表の送付の際は、住所録を打ち込んで宛名シールを封筒に貼ったり、千秋楽の打ち上げ会のご案内と更新月の前にはお知らせを入れたりするんですが、それらをすべて手作業でやっているんです。だいたい800通程度。本来であれば関取なので雑務をする必要はないのですが、雷部屋に所属するウクライナ出身の力士・獅司は積極的に手伝ってくれて助かっていますね。
── 取り組みについてアドバイスを送ったりすることもあるのでしょうか?
垣添さん:本場所中はリアルタイムに取り組みを見ています。相撲の内容があまりよくなかったときや怪我をしたときなどは「どうした?」とすぐにLINEを送ることもあります。たとえばそこで「自分の得意な形になれなかった」と返信があったら、「出来なかったじゃないでしょ」「自分から行かないと」と喝を入れることもありますね。
これまでの人生で今がいちばん相撲を見ているかもしれません。獅司の取り組みのときは自分が相撲を取っているかのように相手の得意技や出足などを見て技を考えるくらい夢中になっていますね。弟子ができなかったことができるようになったり、教えたことができるようになった姿を見るとうれしいですね。今まではそんな気持ちはなかったのに(笑)。
── おかみさんになって、心境の変化が産まれたのですね。最後に今、相撲は好きですか。
垣添さん:私は終始「相撲は別に好きではない」と思ってきました。でも改めて考えてみると、嫌いじゃなかったんだなって思うんです。1日1日を積み重ねていく弟子たちの姿に、相撲をしていたころに自分もああしておけばよかった、こうしておけば無敵だったかもしれないなと思うこともあります。だからこそ、今度は後悔しないように、おかみさんとして今後も取り組んでいくつもりです。
取材・文:石井宏美 写真:垣添栄美

