「できすぎた妻」がしんどい 金欠をぼやけば財布に2万円、深夜に帰ると“芝居”を見せて…53歳夫が逃げ出すまで
【前後編の前編/後編を読む】セミナーで「家庭をもって守りに入っていた」と気づいた…年下女性に「ギラギラしてる」とおだてられ カンチガイ53歳夫の大後悔
一時の気の迷いから、あらぬ方向に突っ走ってしまい、後戻りできなくなる。人生にはそういうことがあり得るが、深い後悔は人を蝕む。
「7歳だった息子の『パパ、日曜日はキャッチボールだよ』という声と、10歳の娘の『土曜日は遊園地だからね』という声、この2つの声が忘れられないんです。寝入りばなによく脳内でこの2つがこだまします」
そう言って涙ぐんだのは、岸野文剛さん(53歳・仮名=以下同)だ。彼は今、大病が再発して治療を続けながら仕事をしている。一人で真っ暗な木造アパートに帰るとき、後悔が病となって自分を侵食しているような気がしてならないという。

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悲劇をきっかけに急接近
文剛さんが結婚したのは35歳のときだ。いわゆる「デキ婚」ではあったが、ひとつ年下の彩花さんとは16年近いつきあいだった。文剛さんが1年浪人しているので、ふたりは大学の同期。学生時代からの仲間だった。つかず離れず、グループでのつきあいが続き、ふたりきりで初めて会ったのは30歳のときだ。
「仲間のひとりが自ら命を絶ったんです。みんなショックを受けていたけど、彩花の嘆き方は尋常じゃなかった。お葬式のあと、ふたりでカフェで話し込みました。実は彼女、おかあさんが自ら命を絶ったという経験があったんです。大学生になったばかりのことだったらしい。それで今度は仲間が……ということで『もっと何かしてあげられたんじゃないか』と。彼女の傷に追い打ちをかけたような事件になってしまったんですね」
彼は、彼女のせいではないし、どう頑張ってもその仲間の死は避けられなかったかもしれない。避けられたかもしれないが、それができなかったからといって責任を感じるのは違う、というようなことを言った。彼自身も仲間の死は悔しかったが、当事者が望んだことならしかたがない側面も否定できないと感じていたからだ。
「わかってると彼女は言いました。『うちのおかあさんだって、何度か未遂に終わって、そのたびに家族が泣いて訴えたの、生きていてほしいって。そのたびに、わかった、がんばると言ったけど、最終的には勝手にいなくなってしまった。でもそれがおかあさんの望みだったんだと家族は思うしかなかった』と。そんな話をしながら距離が縮まったんだと思う。それから徐々に親しくなっていきました」
おせっかいの裏に感じた「無意識の支配」
燃えるような恋ではなかったが、痛みを知っている彩花さんは誰にでも優しく親切だった。もちろん恋人となった文剛さんには、特別、気を遣ってくれた。
「ちょっとおせっかいなところもありました。例えば、僕が財布をなくしたことがあるんですが、その日に行った先を話したら、彼女、先回りして全部調べてくれて。その日は職場の飲み会から2次会、3次会と流れたんですが、結局、2軒目の店に忘れていった。3軒目はスマホで支払い、帰りのタクシーもべろべろに酔ったあげくスマホで決済したからわからなくなっていたんです。二日酔いで参っていたから、彼女が全部調べて連絡してくれたのは助かったけど、後から考えると母親じゃないんだから、そこまでしなくても……とは思いましたね」
一事が万事、そうだった。彼が「今月は使いすぎちゃったよ」というと財布に2万円ほど入っていたりする。長いつきあいだからわかってくれていると思いながらも、どこか釈然としない思いも残る。監視されているような支配されているような。だが彩花さん自身に、そんな思いがないこともわかっている。それでも彼は「無意識の支配」を感じて、たまに逃げたくもなった。
「おかあさんも寂しいだろうから同居する?」
ちょうどそんなときだった。彩花さんから「妊娠した」と聞かされたのは。もちろん、結婚するつもりだった。彼女から「あなたはひとりっ子でしょう。おかあさんも寂しいだろうから同居する?」と言い出し、それを聞いた母は大喜びだった。文剛さんの父はその数年前に病気で亡くなっていたからだ。
「母はすっかり彩花を気に入って、『体調を最優先しながら、がんばって。私が全面的に協力するから』と。結婚してからは本当の母娘のように仲が良かったですね。家事はほぼ母が担当していましたが、彩花はちゃんと報酬を出してましたよ。母もパートを辞めてよかったと言っていました。ときに口げんかはしていましたが、いつの間にか仲直りしてしまう。まさに本当の母娘のようでした。妊娠中期になって体調が安定するとふたりで旅行したこともあります。僕は蚊帳の外だった。でも仲のいいことはよいことだから、僕は幸せ者なんだと思うようにしていました」
世の中、自分の母親と妻が険悪だという話は掃いて捨てるほどある。だが仲がいいなんてめったにない。それだけでいいじゃないかと彼は思っていた。そもそも母と文剛さんはあまり気が合わなかった。おそらく父とも合わなかったはずだ。父が病死したとき、母は泣いているふりをしたが泣いてはいなかったと彼は感じていた。
「結局、母は味方がほしかったんでしょう。彩花は自分の母親への贖罪みたいなものを僕の母で果たそうとしていた。そんな構図じゃないですかね。もちろんうまくいっているのはいいことで、女の子が生まれて家の中はますます明るくなりました」
深夜帰宅で見せた演技
その3年後に息子も生まれた。ふたりは保育園に子どもたちを預け、母の手も借りながら共働きを続けた。母は週末、どこかに遊びに行こうという話をしていると、「家族で出かけて、たくさん楽しい思いをしてきなさい」と快く送り出してくれた。あんなに器の大きな人だったかなと文剛さんには少し不思議だったのだが、彩花さんが「お義母さんだって、ときにはひとりで息抜きしたいんでしょ」と言うのに納得していた。
母は自分には見せたことのないような笑顔を妻に向ける。若い頃には母のうっとうしいような抑圧を感じたこともあったのに、妻には「完璧なまでにいい義母」を演じられる母の心境が読めなかった。老いたら息子の妻の世話になるためなのかと疑念が生じたこともある。
「ともあれ、今振り返れば、夫思い、義母思いのいい妻だった。でも僕はそれが当然だと思っていた節があります。仕事がたてこんで深夜帰宅が続いた時期があったんですが、帰って一息つくと、あたかも今、たまたま起きたかのように妻がリビングに現れて、『お腹がすいて目が覚めちゃった。一緒にお茶漬けでもどう?』というんですよ。僕のためじゃない、自分が食べたいからというんですが、あとから考えれば、妻が食べたいわけじゃなくて僕のためだったんですよね。夜中に一緒にお茶漬け食べて『仕事、大変なの?』とさりげなく愚痴をはき出させてくれて。そんないい妻、います?」
だが、そんな「いい妻」を、文剛さんは裏切った。
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彩花さんの振る舞いに「無意識の支配」を感じつつも、良妻であることを否定はしない文剛さん。にもかかわらず、なぜ彼は妻子を捨てて深い後悔に苛まれる暮らしを送るようになったのか。【記事後編】でその顛末を紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部
