『サンダーボルツ*』©2025 MARVEL

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「アベンジャーズは来ない」

参考:『サンダーボルツ*』ワールドプレミアにフローレンス・ピュー、セバスチャン・スタンら集結

 これは『サンダーボルツ*』の予告映像にもある、CIA長官ヴァレンティーナ・アレグラ・デ・フォンテーヌのセリフだ。マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)を牽引していた存在が、もういない。『アベンジャーズ/エンドゲーム』から早6年、彼らの不在を改めて実感させられる。かつてチタウリの侵攻によってその場に居合わせた人たちの心や街が壊された。そのトラウマを抱えたまま、ニューヨークは再び何者かの手によって危機を迎えようとしている。そしてこの街を守るのは、アベンジャーズではない。それぞれがトラウマ漬けのはみ出し者たちのチーム……“サンダーボルツ*”なのだ。

■これまでのマーベル作品とは一味違う

 『サンダーボルツ*』が他のマーベル作品と一味違うような作品であることは、制作段階から囁かれていた。監督を務めるのは、A24製作のNetflixシリーズ『BEEF/ビーフ』で知られるジェイク・シュライアー。同作でエミー賞やゴールデングローブ賞など数多くの受賞を経た彼は、ナット・ウルフとカーラ・デルヴィーニュ出演の『ペーパータウン』を監督したり、ハイムやカルヴィン・ハリス、カニエ・ウェストやケンドリック・ラマーなどのアーティストのMVを手がけたりと、その才能は多岐にわたる。

 一貫してインディーの雰囲気と、作品の中に漂う孤独や葛藤、それを映像で表現することに長けているシュライアーが監督したからこそ、『サンダーボルツ*』はエモーショナルで、メランコリーで、泣ける作品になったのだと感じる。

■シリーズの“影”となってきた者たち

 孤独と葛藤、それはまさにバラバラなチームを手繰り寄せる共通点と言える。バッキー・バーンズ(セバスチャン・スタン)は過去にヒドラに洗脳され、“ウィンター・ソルジャー”として多くの人の命を奪ってきた。かつての相棒キャプテン・アメリカことスティーヴ・ロジャース(クリス・エヴァンス)の光に引っ張られてきたが、同時に彼の存在はその影でもある。洗脳が解けた今も自分の血塗られた過去はなくならない。同じような葛藤を、エレーナ(フローレンス・ピュー)も抱えている。幼い頃からロシアのスパイ機関レッドルームに洗脳され、暗殺者として育てられた。ナターシャ・ロマノフ(スカーレット・ヨハンソン)とは偽りの家族だったが、本当の姉として慕っていた。それゆえに、彼女が死んだと知った時、ホークアイ(ジェレミー・レナー)に報復しようとしたが、死の真相を聞いて感情の行き場を失う。

 エレーナの擬似家族であり、父親として一緒に過ごしてきたレッド・ガーディアンことアレクセイ(デヴィッド・ハーバー)は、かつてソ連がキャプテン・アメリカに対抗するために生み出した超人兵士であるものの、キャップのように誰かに求められたこともなく、ヒーローになりたかったのになれなかった過去を抱えている。同じくUSエージェントことジョン・ウォーカーもまた、かつては愛国心に満ち溢れ政府の期待を背負って“二代目キャプテン・アメリカ”に指名されるも、その重責に耐えられず間違った正義(人前でテロ組織の人間を惨殺)を執行してしまう。彼にも守りたい、自分を誇りに思ってほしい家族がいた。

 ゴーストことエイヴァ・スター(ハナ・ジョン=カーメン)も、エレーナたちと同じように自らの意思に反して特殊な力を授かってしまった。子供の頃に父親が起こした量子トンネルの事故に巻き込まれ、全身の細胞が分離と収束を繰り返す……“幽霊”のようにあらゆる物をすり抜ける体質に悩まされている。かつて『アントマン』シリーズにヴィランのような存在として登場したが、ただ痛みを緩和させ生き延びたいと切に願う姿が印象的だった。そして、タスクマスターことアントニア・ドレイコフ(オルガ・キュリレンコ)はエレーナとアレクセイと戦った、レッドルームの支配者ドレイコフの娘である。彼女もまた洗脳を受け、父親にとって都合の良い駒として人々を殺めてきた。

 トラウマと暗い過去を背負った彼らは、チーム“サンダーボルツ*”。この名前の由来が、エレーナが子供の頃に所属していた、一度も試合に勝ったことのないへっぽこサッカーチームの名であることに、なんだか余計に愛着が増すのだ。そしてその名前の後ろについている「アスタリスク」は、6人が背中を合わせている姿でもあり、劇中でも“背中合わせになる”ことが彼らの最初の協力プレーとして描かれている。何より、古代ギリシャ語で「小さな星」を表すその言葉の通り、それぞれが作品の中で彼らにしか出せない耀きを放つのだ。

■不器用な彼らだからこそ“共感”できる物語

 本作が冒頭で描くのはエレーナの鬱屈した気持ちだ。感情の行き場もないし、なんと言ったらいいかわからないが漠然と感じ続ける“しんどさ”。そのメランコリーが『サンダーボルツ*』という作品にとって非常に大切な要素になっている。これまでのMCUにも、キャラクターの葛藤を通してメンタルヘルスに触れてきた作品がなかったわけではない。ただ、こんなにも実直にそこをテーマにする作品も異質で、何より誰からも求められなければ「負け犬」と後ろ指をさされる彼らだから語れる物語であり、共感できる感情が本作の最大の魅力と言える。

 個人がそもそもイシューを抱えているのに、急にチームアップするなんてきついし、それぞれの倫理観も会話の仕方も違うので、コミュニケーションにおけるストレスも大きい。特に彼らはコミュ力お化けのアレクセイ以外、むしろそっとしておいてほしいタイプだ。よくわからない者たちが集まっても、いろんなことが最初はいかない。観ていて「あー、今絶対バッキーしんどいだろうな」などキャラクター目線に立って物語が追える。前提が違う者同士が急に同じ空間に放り込まれることの苦痛は、新生活が始まる春にみんな一度は感じたことがあるだろう。

 本作はそういう現実の怠さのようなものに変なフィルターをかけず、キャラクターたちがそのまま代弁してくれる。その“しんどさ”がみんなにあって、普遍的なことなんだ、ということを教えてくれる。それは、そこに立ち向かうための勇気を描くことと同じくらい、本質的で大切なことなのだ。そして、その怠さやままならなさの中でも、不器用な彼らが諦めずに、彼らなりに向き合っていく姿が愛おしい。それぞれ看板作品があったわけではないのにもかかわらず、こんなに彼らの人物像が深掘りできるのは、それだけキャラクターのバックストーリーが重く、魅力があるということなのだ。

 そしてエレーナが代表的になって吐露する孤独や“しんどさ”、息が詰まるような閉鎖的な気持ちには、ポストコロナ以降の作品特有の雰囲気があって、地球のどこにいても、こんなふうに憂鬱さから簡単に抜け出せなかった時があったことを思い出させる。まさに人類が共通して持つトラウマ的な時間であり、それはニューヨークがチタウリに襲われた時のこと、サノスによって人口の半分が消し去られた時に彼らが味わった気持ちでもあるのだ。現実で我々が“しんどさ”を抱えたように、MCUの世界の人間も簡単に忘れられない痛みを抱えていることを改めて描くことで、サンダーボルツ*のメンバーを含めたその世界の住民に対する共感力が増すようになっている。あえて地に足のついたテーマを選択したことも含め、改めてものすごい映画だなと実感する。

 そんな彼女たちが出会う、謎の男ボブ。そして本作で再び都市を恐怖に陥れる、“アベンジャーズを超越する史上最強の敵”。クライマックスシーンはA24作品を彷彿とさせるトリッピングな演出と、迫力抜群のスタントに圧倒される。それでもやはり、キャラクターの叫びと痛み、誰かに見放されてきた不器用な者たち同士が包み込む“心の抱擁”に泣けてしまう、そんな作品だった。

 彼らはみな、過ちを犯してきた。その過去は消えない。ヒーローでもないし、最強でもない。でも、やるしかない。そんな彼らを見つめるからこそ目頭が熱くなる、胸に強く刺さる物語が『サンダーボルツ*』にはある。そして、ここから次のアベンジャーズがはじまるのだ。

(文=アナイス(ANAIS))