『おむすび』写真提供=NHK

写真拡大

 あっという間の2年、結(橋本環奈)は栄養学校を卒業し、星河電器の社員食堂で栄養士として働くことになる。朝ドラことNHK連続テレビ小説『おむすび』の第11週は就職活動が描かれた。

参考:『おむすび』第55話でまさかの“最終回演出” お決まりのプリで幕を閉じた“専門学校編”

 沙智(山本舞香)と佳純(平祐奈)は順調に内定をとる。沙智は「まんぷく食品」で佳純は東京の病院。

 J班で決まらないのは結とモリモリこと森川(小手伸也)のみ。ほかのクラスメイトもほぼ内定が決まったのであろう。担任は結を心配する。それにしてもこのドラマ、驚くほど、高校でも栄養学校でもクラス全体が描かれない。主人公とそのわずかな親しい人たちのみしか描かない徹底ぶりである。それはさておく。

 面接に落ち、届くのはお祈りメールばかりで落ち込む結だったが、翔也(佐野勇斗)の先輩の澤田(関口メンディー)が会社に専任の栄養士を雇用したいと考えたことから就職のチャンスを得る。

 結が翔也のために作った献立の出来がよかったと澤田が感じたから声がかかったのだが、結は意外にもこの絶好のチャンスを渋る。彼氏を支えるため栄養士になりたいというきっかけは軽かったが、栄養士学校の2年の間に結は少し成長したようで、彼のいる会社に入るのはさすがにずるくないかと後ろめたさを覚えるのだ。聖人(北村有起哉)も彼のいる会社に入るのは甘えだと言うが、結の背中を押す人物がいた。愛子(麻生久美子)とモリモリである。

 愛子は、自分も聖人と結婚したことで、床屋と農業と、夫の仕事を手伝ってきた。自発的にやりたいものではないとはいえ、その生き方が「甘え」だとは決して思っていない。愛子はそういう意見を結に率直に伝えると同時に、ハギャレンたちに密かに連絡をとり、神戸に呼ぶと、結を励ましてもらう。

 愛子の狙いどおり、ハギャレンたちは結の悩みを軽くする。彼女たちだって誰かに頼っているというのだ。「甘えてよくね」とルーリー(みりちゃむ)は言う。ギャルに限らず、人は大なり小なり、誰かに助けてもらっているものであるし、自分たちも助けを求められたら助ければいい。持ちつ持たれつなのである。

 ハギャレンたちとおしゃべりし、カラオケであゆを歌ってすっかり気持ちが楽になる結。〈輝き出した僕らを誰が止めることなどできるだろう〉あゆの歌の歌詞どおり、信じた道を邁進すればいい。ところでハギャレンたちの交通費は愛子が出したのだろうか。いや、仲間が呼んだらすぐ駆けつけるのがハギャレンの掟であるし、みんな働いている(いや、ひとりは大学生か)から神戸に来る交通費は結のためなら出せるのかもしれない。

 結の決心の決定打はモリモリである。モリモリは密かに再婚相手とお弁当屋を開業しようとしていたが、それが正式に実現することになるまで伏せていた。自分の話をよくしている印象のあったモリモリがことこの件に関してはなぜ黙っていたのか。それは就職が決まらず悩んでいる結を慮ってのことだった。確かに、全員の内定が決まって、自分ひとりだけ決まらなかったらかなり病みそう。モリモリ、年の功というか、優しい。

 46歳のモリモリが、会社を辞め、離婚し、居酒屋でバイトしながら栄養学校に通い、やがて再婚相手をみつけ、お弁当屋開業までたどりついた。年齢に関係なく、やりたいことをやる道は誰にも拓かれているという希望をモリモリは語る。だからこそ、結にもやりたいことをやってほしいと言うのだ。

 たくさんの人たちに励まされ、結は、栄養士になって彼を支えたいという、本来の目的を突き進むことにする。第12週からは社会人編である。翔也との結婚の話も上がっていて、結の生活環境がまた変わっていきそうだ。

 繰り返すが、モリモリが自分の進路を黙っていたのは結への思いやりであるとしても、基本的におしゃべりが印象のあった彼がバツイチであったことを2年間、結たちに一言も言わずにいたのは不思議である。クラスメイトの描写がまったくないことも、愛子が自分の生き方を甘えなのかと聖人に問うことも、愛子がハギャレンを神戸に呼び出すことも、モリモリが肝心のことは言わずにいたことも、すべては「何かにトライして失敗してもいいんです」「ほんとうにやりたいことを思いっきりやればいいんです」と結にこのタイミングで言うための仕掛けである。フィクションなので作為が入るのが当然のことであるし、『おむすび』は朝の支度をしながら、さらりと気軽に観るような作りを心がけているのだと思う。

 例えば、第55話で、聖人が、翔也に夫婦円満の秘訣を聞かれて答えた、ひたすら我慢とすばやい謝罪で乗り切るという人生(夫婦生活)訓。その見本に聖人は、手巻き寿司でマグロを巻いて愛子に渡す。深く重たく考えず、適当にあしらうことも、人生においては大事なのだと思わされた場面であった。ひとつひとつ理屈で考えていたら身がもたない。そうしたらたぶん聖人と愛子も離婚してしまう。だからこそ軽やかに済ますこともときには必要なのだ。

 『おむすび』は、作者が徹底的に作り込んだ揺るがない世界観を俳優が体現していくのではなく、余白があるように思う。その余白に俳優の個性が滲む。

 例えば、北村有起哉はしっかりした脚本の再現性は抜群だが、芝居しているとき以外はわりとのほほんとしている人なのかなあと聖人を見ていると想像が膨らむし、麻生久美子は、透明感のある役が多いが、子どもの頃、ザリガニや雑草を食べていたという経験談をトーク番組でしているように、とてもたくましい人なのだろうし、物事への価値観が少し違うのではないかと思うのだ。それが今回の、スケバンをやっていて十代で家出、聖人の子どもを身ごもって結婚するという枠にとらわれていない愛子の役に滲むように見える。

 橋本環奈は、就職試験の面接で最初は全然うまくいかず、あたふたしていた結が、最終的には理想的な面接の受け答えを堂々とやってみせるときの演技は、橋本自身の器用さをそのまんま出しているように見える。なんというか、『おむすび』の脚本の前では俳優たちはカッコつけることができないのではないか。あらかじめ与えられたよくできた役を演じるのではなく、自分自身で勝負していくしかない。その俳優の人間らしさを炙り出してしまう脚本なのである。朝ドラとは本来、ある種の基準に基づいた美談や建前の極地である。そこにこれまでの枠組みから外れた価値観を持ち込もうとすることは、とても挑戦的だし、なかなか得難い脚本である。

(文=木俣冬)