シリア「アサド政権」崩壊がもたらすロシアの深刻事態…専門家は「海軍、空軍、核戦略の拠点を失う可能性」を指摘
専門家も驚く速さでアサド政権は崩壊した。ロシアはシリアを見捨てたのか、それともロシアでも打つ手がなかったほど政権が弱体化していたのか──。いずれにしてもロシアの安全保障戦略における痛恨の大敗北となる可能性が出てきた。シリアのバッシャール・アル=アサド大統領が反政府軍に敗れ去った原因としてロシア軍の弱体化も指摘されている。結局はロシアの自業自得ということになるのかもしれない。
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シリアでは2011年から内戦状態に陥ったが、アサド大統領はロシアとイランの支持を得て反政府勢力を駆逐。16年12月には北部の要衝であるアレッポを制圧し、軍事的な優位を確立した。
ところが、それから8年後の2024年11月27日、反政府軍が奇襲による大攻勢を仕掛けると、政府軍は戦わず後退を続けた。結果、わずか12日間で反政府軍は首都のダマスカスに入り、アサド大統領はロシアに亡命することになったのだ。担当記者が言う。
「11月26日にアメリカのバイデン大統領はイスラエルとヒズボラの停戦合意を発表しました。この時点でアサド政権の崩壊を予測できていた人は皆無だったでしょう。翌27日に反政府軍は政府軍に大規模な奇襲攻撃を行います。30日にアレッポが奪われ、12月には中部のハマ郊外まで反政府軍は到達し、支配地域を急速に広げました。4日にイギリスの『シリア人権監視団』が政府軍の反撃を伝えましたが、全体の戦況から見ると焼け石に水の攻撃だったようです。5日にハマが陥落、7日には首都のダマスカスでアサド大統領に抗議するデモが行われました」
それでも毎日新聞は12月7日の朝刊に掲載した社説で「戦火の拡大を防ぐ必要がある」と訴えた。まさかアサド政権が一気に瓦解するとは思っていなかったのだろう。
イランとヒズボラの疲弊
毎日新聞に限らず他の全国紙も報道のトーンは慎重だった。翌8日の朝刊で各紙は「反政府軍の攻勢が続いている」ことは伝えたが、アサド政権が危機的状況にあると指摘した記事は掲載されなかった。
「ところが8日の午前11時過ぎ、ロイター通信が『反政府軍は首都のダマスカスに入り、アサド大統領は飛行機でシリアを脱出した』と報じたのです。日本ではテレビ局が相次いで速報で放送し、反政府軍の勝利を伝えました。メディアも専門家も、これほどのスピードでアサド政権が敗戦するとは思っていなかったのです。敗因の一つとして政府軍の戦意喪失が挙げられます。長年の内戦で兵員は不足し、士気も低下していました。一時は『首都防衛のため政府軍は戦力を集中させている』と分析する専門家もいましたが、現地の記者は『政府軍は撤退を続けている』と伝えました。要するに大半の政府軍は全く戦わず、ひたすら戦線から逃げたのです」(同・担当記者)
アサド政権はイラン、ヒズボラ、そしてロシアの支援を受けていたからこそ反政府軍を抑え込んでいた。だがイランとヒズボラはイスラエルの攻撃を受け、シリアを支援する余裕を失った。
ロシア空軍と陸軍の惨状
その上で軍事ジャーナリストは「アサド政権の崩壊は、何よりもロシア軍がウクライナ戦争で疲弊したことが最も大きな要因だったと考えます」と言う。
「シリアの反政府軍も、それを駆逐しようとするイラン軍もヒズボラも、いずれも満足な空軍戦力を持ちません。政府側も反政府側も陸上戦力で攻撃を仕掛けるより他に方法はなかったのです。一方のロシア軍はアメリカ軍に次ぐ、世界第2位の空軍大国です。シリア政府軍の兵力が不足し、士気が低下していたとしても、以前ならロシア空軍は反政府軍を空爆し、大きな戦果を得ていました。そのため政府軍は戦術・作戦レベルで圧倒的な優位を確保できていたのです。しかし2022年、ロシアはウクライナに対して軍事侵攻を行いました。それから24年まで両軍とも一進一退の激戦が続き、ロシア空軍のダメージも相当なレベルに達しているのです」
間隙を突いて反政府軍が大規模な奇襲をしかけた時、ロシア空軍に反撃する余裕は失われていた。陸上戦力もウクライナとの戦争で手一杯だ。つまりロシアがウクライナを侵略しなければ、長年の同盟国であるシリアを失うことはなかったのだ。
2つの軍事基地
「ロシアは18世紀から南下政策を進めました。ロシアは全土が高緯度に位置するため、秋になると港は凍結します。軍事面でも貿易面でも凍らない“不凍港”と、黒海から地中海に抜ける海路の確保はロシアの悲願でした。19世紀にロシアはイラン=ロシア戦争でイランやアフガニスタンに進出を果たし、クリミア戦争でトルコを攻撃。戦争が行われた場所を現代の地図で見れば、今のウクライナやシリアと重なり合います。そして第二次世界大戦後の冷戦時代、シリアが反米・反イスラエル政策を採ったことから、当時のソ連はシリアと密接な関係を結ぶことに成功しました。こうしてロシアは黒海から地中海に抜ける“橋頭堡”としてシリアをフル活用するのです」(同・軍事ジャーナリスト)
ロシアは旧ソ連の1970年代、シリアのタルトゥースに海軍基地を置き、地中海で唯一の補給・修理拠点として機能させた。さらに2010年代にはフメイミム空軍基地も建設。どちらの基地もロシアが中東各国やアメリカに睨みを利かせ、黒海から地中海を抜けてアフリカ各国などと貿易を行う「シーレーン(海上交通路)」の確保に大きく寄与してきた。
根底から揺らぐ安全保障政策
「タルトゥースの海軍基地を例に取れば、シリア政権は何と50年スパンという長期間の基地使用許可を与えています。さらに核兵器の持ち込みも公式に認めており、ロシアにとって核戦略の重要拠点でもあるのです。ところがウクライナ戦争が始まると、黒海艦隊の状況に変化が生じました。ウクライナの水中ドローンや対艦ミサイル攻撃で艦隊は大きな損害を受け、クリミア半島の拠点だったセヴァストポリ海軍基地から撤退。ロシアの沿岸部に避難して動けなくなりました。そして黒海と地中海を結ぶボスポラス海峡をロシア海軍が通行することは、トルコがウクライナの侵略を理由に拒否しています。地中海側のロシア海軍はタルトゥースを拠点に活動してきましたが、もしシリアの反政府勢力が基地の閉鎖を決定すれば、ロシア海軍は黒海に続き地中海でも重要な拠点を失うわけです。これが大変な事態であることは言うまでもありません」(同・軍事ジャーナリスト)
シリアの反政府勢力は、“反アサド”だけでイスラム原理主義とは無縁のグループから、アルカイダの影響を受けたグループ、イスラム国の残党など、多種多様なメンバーの寄せ集めと見られている。反政府勢力がシリアで権力基盤を確立した後、外交でロシアに対しどのような態度に出るかは不明だ。もし新しいシリア政府がロシアの基地閉鎖を決定すれば、ロシアの安全保障政策が根底から揺らぐことになる。
ロシアの狼狽
ロシアとウクライナとの戦争では、戦術的なレベルに限定すると互いに一進一退という状況だ。しかし戦略レベルで俯瞰して見ると、全く違う分析になるという。
「かつてウクライナはロシアの同盟国でしたが、今やEUやNATO加盟を要求し、反ロシアの立場を鮮明にしています。かつてロシアは東欧を全て友好国としてNATOに立ちむかっていましたが、今やヨーロッパでの孤立は鮮明です。さらにフィンランドとスウェーデンもNATOに加入することが決まり、バルト海に展開するロシア海軍のバルチック艦隊も完全に抑え込まれることになりました。世界地図を見るとヨーロッパ大陸でも中東でも、バルト海でも地中海でも、ロシアが次々と封じ込められているのが分かります。これではウクライナ戦争でクリミア半島を正式に手に入れるなど戦術的な勝利を得たとしても、戦略的には全く釣り合わないことになります」(同・軍事ジャーナリスト)
ロシアのタス通信は、ロシアのペスコフ大統領報道官が9日、「ロシア軍の基地存続を巡ってシリアの新政権と協議する必要があると述べた」と伝えた。どれだけロシアが事態を深刻視しているか、この報道だけでも浮かび上がってくる。
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デイリー新潮編集部