日中戦争終戦までに、日本は中国をどこまで侵略したのか
記事は、日本が明治維新以降徹底的な改革を断行して近代化の道を進み、先進的な資本主義を取り入れたほか、西洋の技術、教育、軍事なども数多く学んだことで、国力を大きく高めることに成功して一躍欧米列強に肩を並べる存在になったと紹介した。
その一方で、近代の日本は軍国主義の道を歩んだとし、中国大陸に対する大規模な侵略計画を進めていったと指摘。1895年の日清戦争で清を負かして大量の賠償金を獲得するとともに租借地を獲得すると、1931年には数十万の関東軍を投入して遼寧省の瀋陽に攻め入り、東北三省の侵略に成功したと伝えた。また、その6年後の37年7月7日には盧溝橋事件を引き起こし、日本軍による全面的な中国侵略に入ったとしている。
記事は西康省について、中華民国期から中華人民共和国初期に存在した省で、現在のチベット自治区の昌都、甘孜地区と四川省の康定、雅安、涼州などがその範囲に含まれていたと紹介。チベットに入るための要衝として大きな戦略的、軍事的な意味を持っていた省であり、中華人民共和国建国後もしばらく存在していたものの、55年に廃止されて現在に至るとした。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)
