グレタ・トゥーンベリさん(European Parliament/Wikimedia Commons)

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16歳の活動家「グレタさん」への違和感(2/2)

 あなたたちには失望した、と国連の気候行動サミットで訴えたグレタ・トゥーンベリさん。糾弾された側の“大人たち”はこの16歳の少女に注目、称賛の声を上げているのはご存じのとおりだ。しかし、彼女と彼女を持ち上げる大人たちには、拭えない違和感が……。たとえば、極端すぎるCO2削減を訴える一方で、国連の会合に参加するにあたり、スタッフが飛行機を利用するといった「矛盾」をはらんだ活動となっているのだ。

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 また、グレタさんは特定のスポンサーや政党からの支援は受けていないとアピールするものの、

「ドイツではこの運動が政治的な色合いを強めています。再生可能エネルギーを推進する『緑の党』にとって、デモに参加する子どもたちは未来の票田。投票権を16歳まで引き下げるべきとも主張している」(在独の作家・川口マーン惠美氏)

 緑の党は9月末には支持率を27%まで伸ばし、メルケル首相率いるキリスト教民主同盟と拮抗。焦った彼女は、人気取りのために“デモを応援する”と宣言した。

グレタ・トゥーンベリさん(European Parliament/Wikimedia Commons)

「デモへの批判が許されない空気はもはやポピュリズムに近い。しかも、グレタさんの活動は大人への憎しみに満ちたものです。ドイツでは1960〜70年代にかけてナチスを糾弾しなかった親世代を若者が攻撃しましたが、それと似た世代間闘争が煽られているように感じます」(同)

 同じく、国連での敵意むき出しのスピーチにも疑義の声が上がる。

 ハリウッド大学院大学の佐藤綾子教授(パフォーマンス学)はこう語る。

「スピーチで第一に重要なのは“場”と“関わり”を考慮して発言することです。言うまでもなく国連はフォーマルな場で、彼女がデモをする街角のようにフレンドリーな場ではありません。また、そこにいるのは学生ではなく、各国の首脳や環境問題のプロフェッショナルたちです。そうした人々を前に彼女は“許さない”と言い放ち、“How dare you!”、つまり“よくもそんなことが言えますね!”という強い言葉を4回も使いました。これにはアメリカでも“ひいて”しまった人は少なくないはずです」

 それは日本人も同様で、

「あれほど過激な言葉を繰り出されては、“ノー”と言うことに慣れていない日本人は及び腰になってしまう。日本のメディアも彼女を取り上げる時はとにかく気を遣っている印象です。新聞やテレビで彼女のスピーチの仕方についての冷静な分析は見られません」

利権を狙う大人たち

 もちろん、強烈な言葉を用いたからこそ、グレタさんのスピーチがここまで注目を浴びたのは事実だ。

 とはいえ、ジャーナリストの徳岡孝夫氏が言うには、

「欧米のメディアが彼女の攻撃的な発言を“たどたどしいけれど一生懸命に訴えている”と評価するのはまだ理解できます。ただ、日本のメディアが彼女を褒めるのは欧米の報道をマネしているだけ。日本人の感覚では、子どもが大人に対して命令口調を使うこと自体に違和感を覚える。彼女のような物言いでは日本の大人は反感を覚えることはあっても、説得されることはないでしょう。日本以上に年配者を敬うイスラム圏でも、彼女のスピーチは通用しないと思いますよ」

 他方、評論家の唐沢俊一氏は次のように指摘する。

「汚れなき少女の思いが世界を変えるというのは、古くから続くファンタジー。オタク界隈では『風の谷のナウシカ』になぞらえて“ナウシカ現象”と呼びます。実際、自然を愛する勇気ある乙女という点で、グレタさんとナウシカは重なる部分がある。ただし、大人を怒鳴りつけるグレタさんのイメージは、これまでのか弱く純粋な少女像には当てはまりません。マララさんがパキスタンの太陽だとすると、さしずめ彼女はスウェーデンから吹きつける北風です」

 唐沢氏もグレタさんが口にする大人たちへの憎悪を疑問視する。

「温暖化問題を巡っては、世代間の対立よりも、先進国と新興国の対立の方が根深い。いち早く産業革命を成し遂げて豊かな暮らしを享受する先進国に対して、新興国はいまだ発展の途上にあります。そんな国々に自然を破壊するな、化石燃料を使うなと説いても納得するはずがない。新興国で貧困にあえぐ子どもたちの未来は一体どうなるのでしょうか」

 さらに、評論家の呉智英氏も手厳しい。

「仮に人間の生活が化石燃料を軸とするものから、クリーンなエネルギーによるものに変われば、そこに莫大な利権が生まれます。たとえグレタさんが純粋な気持ちで活動していても、背後には虎視眈々と利権を狙うエコロジストやエネルギー企業のビジネスマンが控えている。結局、グレタさんの意見は先進国の一部の人間にとって都合の良いことばかりなのです。さらに、エコロジーは限りある資源をどう分配するかという問題に行き着く。これは極めて政治的な課題で、綺麗ごとではなく妥協と忍耐で解決するしかありません」

 無論、問題意識を持つことは重要である。ただ、世の中は複雑でゼロか100ではなく中間もある。だからこそ、議論が必要なのだ。

 グレタさんが自らの信念に基づいて行動しているのだから、ぜひその議論を子どもの学びの場である学校で広げてほしい。願わくば大人の意見への敬意を払いながら。そうでなければ彼女の活動は徒らに子どもと大人を分断するだけのものになってしまいかねない。

「週刊新潮」2019年10月10日号 掲載