太陽電池メーカーの栄枯盛衰が示す政策依存の現実
70年代に石油危機を経験し、日本で太陽電池の研究が盛んになった。京セラは82年、世界で初めて多結晶シリコンを材料とした太陽電池の量産を開始した。しかし、池田氏が入社した当時は量産と呼べるほどの規模ではなく、商品を考えては顧客へ提案する日々だった。
住宅の屋根への太陽光パネルの搭載が始まると、状況が一変する。京セラは93年、国内初となる住宅用太陽光発電システムを発売。94年には国が住宅設置に補助金を出して支援を始めた。当時の価格は600万円以上。購入者は富裕層に限られたが、翌年は400万円台へ下がった。道路びょうや時計の太陽電池は小さいが、住宅には太陽光パネル10枚以上が使用されるため、生産量が飛躍的に増えて「量産によるコストダウンを実感した」(同)。
98年、京セラは世界最大の太陽電池メーカーとなった。2000年代、政府の導入支援が始まった欧州市場が急成長すると京セラ、シャープ、三洋電機(現パナソニック)、三菱電機が輸出に乗りだし、日本の4社が世界市場を席巻した。
日本では12年、再生可能エネルギーで発電した電気の固定価格買い取り制度(FIT)が始まった。需要拡大を見込んだ日本メーカーは増産に踏み切ったが、巨大な生産能力を持つ中国メーカーが日本市場で台頭。海外でも中国勢が躍進し、日本勢は世界10位以内から脱落した。
厳しい状況
京セラの太陽電池事業もピークの半分まで規模の縮小を余儀なくされた。池田氏は「自立できないのが悔しい」と語る。同社の太陽電池事業は採算の厳しい状況が続く。安定して黒字化させ、事業として自立させたいという。
政策から自立した普及も目指す。平成の30年間、太陽電池は政府の支援策によって需要が生まれ、支援が終わると需要が途絶えてきた。同じ期間、太陽電池に携わってきた池田氏は「政策ありきでは太陽光発電は基幹電源にならない」と語る。政策に依存しない事業構造への転換が、太陽光産業の宿題だ。(火曜日に掲載)
連載「平成の環境産業史」(全7回)
1989年から始まった平成時代、気候変動、フロンや有害化学物質規制など、企業は次々と押し寄せる環境問題への対応に追われました。一方で太陽電池、エコカー、省エネルギー家電といった技術が育ち、「環境経営」という言葉も定着しました。企業活動に影響を与えた平成の環境産業史を振り返り、新時代の道しるべを探ります。
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[https://newswitch.jp/p/17157{【01】平成の気候変動対策は不十分だった…環境政策に携わった男の悔恨(2019年4月9日配信)}]
[https://newswitch.jp/p/17160{【02】日本の電機業界が環境対策で世界の先頭に立った日(2019年4月9日配信)}]
[https://newswitch.jp/p/17266{【03】太陽電池メーカーの栄枯盛衰が示す政策依存の現実(2019年4月16日配信)}]
[https://newswitch.jp/p/17362{【04】EV開発で“世界初”を目指したホンダの危機感(2019年4月23日配信)}]
【05】家電の技術革新を誘発した環境規制の威力(2019年4月30日配信)
[https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00513638{<日刊工業新聞電子版では【05】を先行公開しています>}]
[https://newswitch.jp/p/14569{関連連載:「脱炭素経営 パリ協定時代の成長戦略」}]
