空自F-2後継機、メーカー名がたくさん挙がるワケ 戦闘機開発が進められる手順とは
空自F-2戦闘機の後継機開発をめぐる一連の報道に、国内外問わずたくさんのメーカーが名前を挙げられているのはなぜでしょうか。F-22を例に、戦闘機開発の流れの一端を解説します。
F-2後継機、実はまだなにひとつ決まっていない
航空自衛隊F-2戦闘機の後継機についてどのような方策を採るのか。ここ数年様々なメディアにおいて多くの報道がされています。こうしたなかには海外のメーカーと共同開発するのではないかという観測も相次いで報じられています。

後継機問題が取り沙汰される、航空自衛隊のF-2戦闘機(画像:航空自衛隊)。
具体的に名前が報じられた企業としてはF-2を開発した国内の三菱重工はもちろんのこと、アメリカのロッキード・マーチン、そしてボーイング、ノースロップ・グラマン、さらにはスウェーデンのサーブに至るまで多方面にわたります。とりわけ「開発にかかわる入札が始まった」または「いよいよF-3開発がスタート」「国産断念」「国際共同開発確定」といったやや勇み足のメディアもあるようですが、いまF-2の後継機の計画の現実はどのような段階にあるのでしょうか。
2018年5月現在、F-2の後継機開発は何も始まっていませんし、そもそも何も決定していません。現時点で行われているのは政府(防衛省、航空自衛隊)が「RFI(Request For Information:情報提供依頼書)」を発行し、それに応じて各社が情報提供という形で返答しているだけに過ぎません。
RFIとは「次世代戦闘機にこのような性能を持たせたい。あなたなら何ができるか」という政府の要求であり、政府と航空機、エンジン、電子機器メーカー側は文書の交換やミーティングを開催するなどし、情報のやりとりを行います。
RFIを繰り返す理由、F-22「ラプター」の例
F-2後継機に関してもすでに2回、RFIを発行していることが明らかになっていますが、戦闘機の開発においてはこの情報交換フェイズを何度も行うのが普通です。このようにすることで政府側は次世代戦闘機の概念や在り方をより具体的かつ洗練したものとすることができ、またメーカー側は自分たちの持つ強みをアピールする場として、両者ともに大きなメリットがあるのです。
2005(平成17)年に実戦配備されたF-22「ラプター」の実例を見てみましょう。F-22はステルス性に優れた戦闘機として知られています。しかし、1981(昭和56)年「アメリカ空軍先進戦術戦闘機計画」として第1回目のRFIが国内の航空機メーカー各社に対して発行されたとき、「ステルス」はまだそれほど重要な要件とはみなされていませんでした。戦闘機として必要な機動性を持たせる従来からの航空力学とステルスのための設計を両立することが困難であり、リスクが高すぎると考えられていたためです。
しかし、国防総省と国内メーカーのやり取りが続けられるなかにあって、1983(昭和58)年から1984(昭和59)年頃にはステルスのための設計と機動性のための設計の両立を目指したRFIが発行され、こうしたなかでステルス能力の高い戦闘機が実現可能であることが確認され、ステルスは一気にその優先順位を高めました。
F-22として実機の開発がスタートしたのは1991(平成3)年からであり、アメリカは実に10年もの期間をかけてF-22という戦闘機の方向性を探っていたのです。そして実用戦闘機として配備されるまでにはさらに14年を要しました。
場合によっては開発先送りも?
いまはまだ「始まりの始まり」としてF-2後継機をどうするべきか、慎重に手探りしながらその方向性を探っている段階にすぎません。2017年にすべての試験飛行を完了した先進技術実証機X-2もまたそのために開発された航空機であり、X-2自体は戦闘機として実用化を目指したものではありません。

ステルス戦闘機の代名詞のようなF-22「ラプター」だが、開発計画当初、ステルス性能はさほど重視されていなかったという(画像:アメリカ空軍)。
予定では2018年には、F-2後継機をどうすべきか決定が下されることになっています。一部メディアが報じたところによると、秋にも方針を決定するとも、いったん先送りを検討中であるともいいます。
革新的な能力を持つF-35が国際共同開発によってようやく実用化されたばかりであるいま現在、世界的に見て戦闘機開発はひと段落しつつあります。こうした状況下ではF-2後継機の開発を急ぐのは得策でないとの判断があるのかもしれません。もし先送りとなったとするならば、いずれ3回目のRFIが発行されることになるでしょう。
【写真】今後の予定は未定? お役御免の先進技術実証機X-2

防衛省/防衛装備庁にて試験飛行を実施していた先進技術実証機X-2は2017年10月30日、すべての性能試験を終了した(関 賢太郎撮影)。
