なんの特権!? 江戸時代のお巡りさんは「女湯」に入っていたってほんと?
自宅にお風呂があっても、ときどき行きたくなるのが「銭湯」。いまでは男湯と女湯に分かれているのが当たり前ですが、江戸時代は長らく「混浴」が続いていたのはご存じでしょうか?
最初は男女別だった銭湯も、ある銭湯が「混浴」を始めたところ一大ブームに発展、水も燃料も半分で済む「経営者の事情」も相まって、どの銭湯でも混浴が当たり前になりました。やがて幕府は「風紀の乱れ」を理由に混浴を禁止、現在と同じスタイルになりましたが、八丁堀と呼ばれる江戸時代のお巡りさんだけは別格扱いで、女湯を貸し切りで利用、そのため女湯にも「刀掛け」が用意されるフシギな時代があったのです。
■明治時代まで続いた銭湯の「混浴」
銭湯が登場したのは500年ほど前の話で、1591年に現在の東京都千代田区に建てられたのが最初とされています。当時のお風呂はいわば「半身浴」で、お湯はひざぐらいまでの深さしかなく上半身は蒸気で温める戸棚風呂(とだなぶろ)。現在のように肩まで浸かれる据風呂(すえぶろ)になったのは1610年ごろと考えられています。最初は男女別のお風呂が主流でしたが、ある銭湯が混浴を始めたところ大ブームに発展、ほとんどの銭湯で男女混浴が当たり前となりました。
混浴となった銭湯は入込湯(いりごみゆ)と呼ばれ、背中を流してくれたり三味線を演奏してくれる湯女(ゆな)も登場、囲碁や将棋も楽しめるアミューズメント施設へと変貌しました。戦乱もなく穏やかだった江戸時代だけに「娯楽」の発展は目を見張るものがあり、現在のスーパー銭湯の原型は400年も前に完成していたのです。
これを良しとしなかったのは幕府で、風紀の乱れを理由にたびたび混浴禁止令を出しますが、なかなか浸透せず。男女別にすれば水も燃料も2倍かかるので、禁止令に従う銭湯が少なかったのです。取り締まりが厳しくなると、一日おきに男湯/女湯を切り替えて営業する、申し訳程度の「仕切り」で風呂場を分けるなどやる気なしモードで対応しますが、監視がゆるめばもと通り……そんな「いたちごっこ」は明治時代まで続き、完全禁止となったのは1900年の話。現在の男女別のほうが圧倒的に「歴史が浅い」スタイルなのです。
■お巡りさんは「女湯」でもOK?
江戸時代の銭湯には、お巡りさんは女湯を貸し切りできる「特別ルール」が存在しました。刀とは無縁の女湯に「刀掛け」まで用意されていたのです。
当時のお巡りさんである同心(どうしん)は、現在の東京都中央区に「社宅」があったため、地名をとって「八丁堀」とも呼ばれていました。激務の同心には「朝風呂」になってしまうものが多く、また火事を恐れる傾向が強かったため、銭湯を利用するのが一般的でしたが、男湯は粋(いき)とばかりに朝湯を楽しむ町人で大混雑。そのため銭湯は、朝の女湯を「同心専用」にしていたのです。
女湯を利用したのは「情報収集」のためとも言われ、男湯での会話に良からぬ打ち合わせをしていないか、聞き耳を立てていたなんて話もあります。もし犯罪者が女性だったらどうする? と突っ込みを入れたくなりますが、むしろ、お風呂のときぐらい仕事を忘れてリラックスして頂きたいものです。
■まとめ
・江戸時代の銭湯は、男女混浴が当たり前だった
・混浴のほうが低コストで運営できる「おとなの事情」が大きな理由
・たびたび禁止令が出されるが効果なし、禁止が徹底されたのは明治33年になってから
・朝は女湯を「同心専用」にしていた
(関口 寿/ガリレオワークス)
