”日本一有名なゴルフ場設計家”井上誠一が、世界的にはまったく評価されていない「意外な理由」
井上誠一設計の鶴舞CCの東コース4番、ショートホールのビーチバンカー。それは井上誠一が、世界ランキング1位のパインバレーゴルフクラブ(1922年開場)の14番ショートホールのビーチバンカーを見て、そのアイデアを拝借したものです。
これは『井上誠一のコースデザイン』(一季出版株式会社)という本の中に書いてあります。滅多に公の場に出ない井上誠一ですが、一度コースデザインの研究会を催し、その時に海外視察の話をしています。
それではそのパインバレーゴルフクラブは何故世界一なのか? その歴史を紐解きます。
【前編記事】『なぜ日本のゴルファーは“井上誠一設計”のゴルフ場に沼るのか…世界一のゴルフ場「パインバレー」との意外な接点』よりつづく。
パインバレーGCが目指した“多罰型”コース
パインバレーGCを作ったのはジョージ・アーサー・クランプ(1871〜1918)という実業家で、設計のプロではありません。素人がなせる勢いといえば聞こえが良いですが、クランプは世界一難しいコースを作ると豪語し、私財をなげうってコースの完成を目指しました。
しかし世間の風当たりは冷たく、素人が何を馬鹿なことをやっているんだという見方をされて、評判はあまりよろしくないです。11ホールの完成あたりから雲行きが怪しくなり、14ホール完成で経済的にも力尽き、クランプは非業の死を遂げます。
それからコースの監修者である“近代ゴルフ設計家の父”ハリー・コルト(1869〜1951)がクランプの意思を継ぎ、コルトの弟子であるチャールズ・ヒュー・アリソン(1883〜1952)とともにコースを完成させたのです。
それではパインバレーGCの目指したものとは何か? 当時のゴルフの設計は、ナイスショットをしたらご褒美、ミスをしたらペナルティという加罰型(ペナル・デザイン)の設計思想が主流でした。
ところがクランプは一度ミスをしたら正しく脱出しないと、連鎖して二重三重のミスをする。すなわち加罰型を超越した、多罰型の設計理念で造られたのです。
現地に行ったことはありませんが写真を見る限り、コースの半分ぐらいはバンカーというか、草が生えている荒地、コース用語で言うところのウェストエリアになっています。井上誠一が訪ねた頃も、ウェストエリアからソールして打っていたと語っています。
この荒地にボールを落とすと、まさに地獄。記録では前半のハーフを38で上がった男性が、後半の1ホールだけで38を叩いたそうです。いやはやシングルプレーヤーさえもミスの連鎖が続き、荒地から脱出できなくなるんですね。
巨大でそそり立つ「アリソンバンカー」
この難コース、実は1990年にジャンボ尾崎が訪れ、68(パー70)で回っています。多罰型のコースといえども、トッププロはそう簡単にミスをしないということでしょうか。
このパインバレーを仕上げたハリー・コルトは、東京ゴルフ倶楽部のメンバー達が要請し、日本に招かれます。しかしコルトは高齢の為、訪日を断念。代わりに弟子のチャールズ・ヒュー・アリソンが日本に来て、東京ゴルフ倶楽部朝霞コースを始め、川奈ホテル富士コース、廣野ゴルフ倶楽部などの設計や改修をします。
アリソンは特に廣野ゴルフ倶楽部を作る時、師匠のコルトの名代だからと物凄く頑張ります。結果、師匠のコルトに対するリスペクトとして、パインバレーGCの14番ショートホールのイメージを、廣野GCの13番ショートに移植したのです。ふたつの写真を見ると、大きな池を前に大きなバンカー群に囲まれた高台にグリーンがあり、かなり雰囲気が似ています。
というわけでパインバレーGCは、井上誠一から廣野GCにまで影響を与えていたというお話です。
巨大でそそり立つアリソンバンカーは視覚的に効果的で、プレーヤーにかなりプレッシャーを与えます。桂離宮などの日本文化を気に入ったアリソンは、茅葺屋根の庇からヒントを得て、バンカーの顎の部分は芝が垂れるように仕上げたとか。それが正しいアリソンバンカーなそうです。
日本文化から影響を受けたアリソン、欧米のコースから影響を受けた井上誠一。今度は帰国後の井上誠一の動きを見てみましょう。
洋行帰り、意気込む井上誠一だったが…
洋行帰りの井上誠一は古典的コースのほかに、アメリカで新しい風を感じて帰国します。自然の地形や池を巧みに利用した、美しい戦略的コースの数々、例えばオーガスタナショナルGCやオークランド・ヒルズCC(ドナルド・ロス原設計、ロバート・トレント・ジョーンズ改修)、ペブルビーチゴルフリンクス、サイプレスポイントクラブなどから影響を受けます。
特に池がらみのロングホールで、ツーオンに成功させてバーディを取らせる英雄型コース(ヒーロイック・デザイン)が、ゴルフをショーアップ化させてることに気づきます。しかし帰国後数年は、今まで受けていた仕事を続けなければならず、鶴舞CCのビーチバンカーのような、ワンポイント改修しかできなかったのです。
洋行帰りの成果をやっと見せられたのは、南山カントリークラブ(愛知県、1975年)と言われています。16番からの上がり3ホールはテレビ中継を意識して地下ケーブルを作り、池絡みのレイアウトにしました。
これから英雄型コースを作るぞとなった時、突如井上誠一は体調を崩し、現場に行けなくなります。その後、井上誠一は原設計のみで、造成には関われません。そうやってできた戦略的コースが、浜野GCでしょうか。池絡みの接待コースとしてはスターツ笠間GC(元笠間東洋GC)もあります。
そして井上誠一の遺作が、大原・御宿ゴルフコース(1982年開場)と言われています。千葉の房総半島に造られたリゾートコースで、最初からパブリック営業を念頭に造られました。だからフェアウェイは広く、ミスの許容範囲が広い。けど110個のバンカーが点在し、視覚的にはプレッシャーを与えると。
面白いのは11番のミドルホールの2グリーンが、こんもり盛り上がっていること。これは女性の乳房をイメージしていると、本人も語っています。井上誠一のデザインは女性的と言われてますからね。緩やかな曲線美こそが、ゴルフコースの命、それを遊び心として、乳房にした。2グリーンの日本だからできた技です。
井上誠一のコースが世界的に低評価である理由
そして大原・御宿GCのキーホールとなるのが17番ミドル。これは1打目の左ドッグレッグの落としどころに、10個の大きなバンカーが配置されています。その圧倒的な数を白い波と例える人もいれば、千鳥や花と例える人も。実に風情があってよろしい。進行方向に見える白いバンカー群ですが、通り過ぎて振り向くと、消えて無くなっているから不思議です。
何も感じない人は、やたらバンカーが多いコースと思うだけ。けど見方を変えれば実に奥が深い。龍安寺(京都)の石庭みたいなものでしょうか、非常に刺さるホールです。個人的にはバンカー群を、人生で遭遇する挑戦や苦難に見立てたと解釈します。つまりゴルフコースで、人間の精神性を表現しようとしたのかも知れません。
それでは井上誠一のコースが、何故世界的に評価が低いのか? それは井上誠一が2グリーンコースの先駆者だった、それが影響していると思います。
井上誠一は日本の夏暑く冬寒い気候を考慮し、グリーン保護の観点から、2グリーンコースを量産しました。それは欧米のワングリーンコースに慣れた者から見れば、非常に奇異に見えました。悪く言えば邪道だと。
しかもアリソンの影響を受けつつも、海外視察後は英雄型コースを目指しつつ病に倒れる。結果、方向性がブレたように映った。だから世界ゴルフランキングで、扱いが低いのかと思います。
ゴルフコースで、人間の精神性を表現した設計家は井上誠一のみ。そろそろ世界的に再評価をされても良い頃だと思います。
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