「スマホ断ち」が宿泊の付加価値に Wi-Fiなし、通信遮断するデジタルデトックス宿が盛況
四六時中、手のひらの中の小さな画面に支配される現代社会。仕事のメールからSNSの通知まで、デジタルデバイスから発せられる情報の濁流は、自覚のないままに心身をむしばんでいる。眼精疲労や肩こりといった肉体的な悲鳴は序の口で、常に外部とつながっている緊張感は思考の柔軟性を奪い、深い休息を妨げる要因にもなりかねない。
そんななか、こうした「デジタル疲れ」をリセットすべく、あえてスマホやPCを物理的に遠ざける「デジタルデトックス」を提案する宿がじわじわと注目を集めている。これまでの宿泊施設にとって、安定した通信環境の整備はもはや前提条件だ。
しかし、一部の施設ではあえてその逆を行く。スマホを預けることを条件とした専用プランや、テレビすら置かない客室を用意する動きが、疲弊した都市生活者のニーズを捉えているのだ。
福岡市にある「ヒルトップリゾート福岡」では、入室後にデジタル依存度をチェックし、デバイスを専用の箱に封印するプランを提供。テレビもオフにされた空間で、ヨガやスパを通じて自分自身を見つめ直す。便利なはずの通信手段を「あえて遮断する」という試みが、一つの宿泊サービスとして成立している格好だ。
熊本県阿蘇市の「はなれの宿 千の森」も、こうした価値観を体現する一軒と言えよう。8000坪もの広大な敷地にわずか3棟という環境で、チェックイン時にスタッフがデジタル機器を預かる「脱デジタルプラン」を用意。阿蘇の湧水を使った露天風呂や岩盤浴に浸りながら、耳に入るのは鳥の声や川のせせらぎのみ。誰にも邪魔されない時間が、日頃酷使している五感を呼び覚ましてくれる。情報の遮断が、これほどまでに豊かな時間をもたらすと気づく利用者は少なくない。
香川県の「じゃこ丸パーク津田」では、瀬戸内海の絶景を前にしたインドアキャンプとたきび体験を組み合わせたデトックスプランが人気。ゆらめく火を見つめる時間は、スマホ画面をスクロールする指を止めるのに十分な動機となるだろう。
都心のど真ん中でも“脱デジタル”
地方宿だけでなく、都心のど真ん中で、よりストイックなアプローチを試みるのが「星のや東京」だ。大手町のビル街にありながら、ここでは「脱デジタル滞在~武士の鍛錬~」と銘打ったプランを展開。到着後すぐにスマートフォンを桐の箱に納める「儀式」から始まり、翌日のチェックアウトまで一切のデジタルから隔離される。
滞在中のメーンは剣術稽古。北辰一刀流の師範から指導を受け、模擬刀を振るう動作に没頭することで、現代社会の雑音を強制的にシャットアウトする。集中力が極限まで高まった後の温泉やスパは、日常では味わえないほどの深いリラックスをもたらすはずだ。
こうした宿に共通するのは、単に機器を遠ざけるだけでなく、代わりに「没頭できる何か」を用意している点にある。うどん打ちやマリンレジャー、あるいは武士の所作。それらは情報の受容に慣れきった脳を能動的な感覚へと切り替えるためのスイッチとして機能している。
ネット上でもデジタルデトックス宿の利用者から、「強制的にスマホを預けないと、自分ではつい見てしまうので助かる」「通知におびえない夜がこれほど快適だとは思わなかった」「情報の代わりに景色が目に飛び込んでくる感覚。定期的にやりたい」といった声が上がる。利便性の追求が飽和状態に達した結果、あえて「不便」を選択するという、逆説的な消費の形が生まれているのだ。
もちろん、一晩スマホを手放しただけで人生が劇的に変わるわけではない。チェックアウトして電源を入れれば、再び未読通知の嵐が待ち受けているのが現実だ。それでも、情報のノイズから完全に切り離された「空白の時間」を一度でも経験したことは、日常生活に戻った後のデジタルとの距離感に確実な変化をもたらす。
便利なツールに「使われる」のではなく、自らの意志で「距離を置く」。デジタルデトックス宿の存在は、情報過多な時代を生き抜くための現代人なりの防衛本能の表れなのかもしれない。
