ソフトバンクの上沢直之選手(本人の公式インスタグラムより)

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 3月27日からプロ野球の公式戦が開幕する。ソフトバンク・上沢直之、日本ハム・伊藤大海、阪神・村上頌樹、DeNA・東克樹ら、すでに開幕投手が決まっているチームがある。一方で、長い歴史を振り返ると、さまざまな事情からエース以外の投手が代役で開幕戦のマウンドに上がった例もある。【久保田龍雄/ライター】

【写真】開幕投手を務める日ハム・伊藤大海投手の日本代表時の姿

病院に行ってくる

 開幕投手のプレッシャーに耐えかねて失踪したチームメイトの代役を務めたのが、1950年の国鉄・成田敬二(啓二)である。

 2リーグ制がスタートした同年、新生球団・国鉄は、新人の古谷法夫が東京鉄道局のエースとして都市対抗に2度出場した実績を買われ、3月10日の開幕戦、大洋戦で先発することになった。

ソフトバンクの上沢直之選手(本人の公式インスタグラムより)

 ところが、「自分に開幕投手が務まるだろうか?」と思い悩んだ古谷は、試合当日の朝、「病院に行ってくる」と宿舎を出たきり、戻ってこなかった。

 試合直前に開幕投手が行方不明という緊急事態に、西垣徳雄監督は急きょ31歳の新人・成田を代役に指名した。

 成田は右横手からの緩い球を有効に使い、前年阪急で19勝を挙げた今西錬太郎と互角に投げ合ったものの、6回に大沢清と平山菊二にタイムリーを許し、0対2で負け投手になった。

 その後は勝ち運に恵まれず、5月11日の松竹戦までNPBワーストの開幕11連敗を記録した。6月21日に因縁の大洋戦で7安打1失点完投し、待望のプロ初勝利を挙げたが、同年は2勝13敗に終わっている。

 試合開始直前に、開幕投手を務める予定だったエースのアクシデントによって、急きょ代役を務めたのが1960年の大洋・幸田優である。

 4月2日の中日戦、試合前の練習でノックを行っていた中日・牧野茂コーチのバットが手からすっぽ抜け、三塁側大洋ベンチの最前列にいた秋山登の左前頭部を直撃した。

 その場に昏倒し、病院に搬送された秋山は、レントゲン検査の結果、骨には異状がなかったものの、軽い脳震盪と全治1週間の打撲傷と診断された。当然、この日の登板は不可能である。

 オープン戦後半から尻上がりに調子を上げていた絶対エースの負傷離脱は、ローテーションに深刻な影響を与えた。

 三原脩監督は窮余の一策で、前年7勝の幸田を先発させ、継投でしのぐ作戦を立てた。だが、5投手をつぎ込んだ開幕戦は3対4で黒星スタート。ここから開幕6連敗と大きくつまずいた。

 それでも、その後は高卒3年目の島田源太郎が19勝を挙げ、戦列復帰後の秋山と両輪を形成した。チームは6月下旬から首位戦線に浮上し、前年までの6年連続最下位から球団創設11年目の初優勝と日本一を実現する。野球は本当にどうなるかわからない。

 一方、開幕投手の幸田は、翌日の中日戦もリリーフで負け投手になり、開幕2日で2敗するなど勝ち運に恵まれず、2勝4敗で終わっている。

伊良部じゃないのか

 エース三本柱を差し置いて“4番目の男”から開幕投手に抜擢されたのが、1996年のロッテ・園川一美である。

 3月30日のダイエー戦、ロッテの開幕投手は伊良部秀輝が有力視されていた。

 ところが、江尻亮監督が白羽の矢を立てたのは、前年伊良部とともに二桁勝利をマークした小宮山悟でもエリック・ヒルマンでもなく、8勝9敗の園川だった。

 「園川はオープン戦の内容が良かったし、いろいろ分析して決めた」と説明した指揮官だったが、実は伊良部が故障で開幕戦に間に合わないため、代役を立てたのが真相だったという。

 そんな事情を知る由もないダイエー・王貞治監督は、ロッテの“奇策”に対し、当然のように怒りをあらわにした。

「伊良部じゃないのか。ウチもなめられたものだ。開幕投手には格ってものがあるだろう」

 ダイエーは前年7月からロッテに10連敗中で、シーズン成績も5勝21敗とカモにされていただけに、そう思うのも無理はなかった。

 しかし、試合は「『なめている』と思い、ダイエーナインがいきり立ってくるのは目に見えていた」(江尻監督)の予想どおり、ダイエー打線は園川の前に1回1死一、二塁、2回2死一、三塁の得点機を逃すなど、4回までゼロ行進と空回り。先発・工藤公康は2回に5点を失い、序盤からロッテペースで進んでいく。

“代役”のドラマ

 園川は5回に浜名千広に右越え2ランを浴びたあと、2死満塁のピンチを招き、あと1人を抑えれば勝利投手という場面で降板した。それでも、リリーフ・吉田篤史が後続を断つなど、江尻采配が冴え、ロッテは4投手の必勝リレーで6対4と逃げ切った。

 5回途中2失点で開幕投手の責任を果たした園川は「いろいろ言われて、書かれてなあ。だからこそ負けたくなかった。とにかく開き直って投げるしかなかったからなあ」と、チームの勝利に貢献できたことを素直に喜んだ。

 ただ、同年は開幕戦で運を使い果たしたのか、0勝7敗と14年間の現役生活で唯一の未勝利に終わっている。

 園川と同じく、開幕投手になった年に1勝できなかったのが、2023年の巨人、タイラー・ビーディーである。

 エース・菅野智之の調整遅れにより、3月31日の中日戦で、外国人投手では球団史上初となる来日1年目で開幕投手に抜擢された。

 初回、岡林勇希、大島洋平の連打でプレーボールからわずか5球で先制点を許し、3回にも1点を失ったが、4回からの3イニングは無失点に抑え、6回を2失点とまずまずの結果を出した。

 その後も4月7日の広島戦と同21日のヤクルト戦で5回を2失点に抑えながら、打線の援護に恵まれず連敗。6月以降はリリーフで1セーブ、7ホールドを記録したが、0勝6敗と未勝利のまま1年で自由契約になった。

 開幕投手は、その年のチームの顔が務める晴れ舞台である。だからこそ、今回取り上げた4人のように、異例の事情からマウンドを託されたケースは強く記憶に残る。華々しいエースの開幕戦とは別に、こうした“代役のドラマ”もまた、プロ野球の歴史を彩る一コマと言えるだろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘! 激突! 東都大学野球』(ビジネス社)

デイリー新潮編集部