【村井 真子】「私、もう出勤できません…」50代女性上司を絶望に叩き落とした30代男性介護職員の”まさかの通報”
労務相談やハラスメント対応をおもな業務としている社労士の私のもとには、じつにさまざまなご相談が寄せられています。なかでも近年とくに感じるのは、単純な「ルール違反」や「加害・被害」の枠組みだけでは整理できない事案が増えていることです。
今回は、そうした背景が複雑に絡み合った事例として、障がい者福祉施設で起きたハラスメントの一件をご紹介します。表面上は「女性上司によるハラスメント通報」でしたが、実際には体調の問題、指導方法の受け止め方の違い、利用者対応をめぐる価値観の衝突など、いくつもの要素が折り重なっていました。
(なお、本件は個人や法人が特定されないよう、複数のご相談事例をもとに再構成したものです)
身に覚えのないセクハラで訴えられた女性
「私、出勤する気力が本当に起きないんです。なんというか、今までもなんとか奮い立たせてやってきたのに、こういうことが起きると……」
ぐったりした様子で開口一番にこう訴えたのは、障がい者施設で施設長を務めるB子さんでした。つらそうな様子で、時折ハンカチで口元に当てているB子さんを隣で、気づかわしげに見守るのは、管理部のAさんです。
事前に受けた説明では、B子さんは50代に入ったばかり。障がい者福祉の現場に長年携わり、現場経験も豊富で、利用者や家族からの信頼も厚い人物です。現在は管理職として施設運営に携わるかたわら、現場に出てケアの仕事も行っています。
毎朝、送迎バスから降りてくる利用者を入口で出迎え、声をかけるB子さんを利用者はもちろん、スタッフも信頼しており、また施設を経営する法人の役員たちも高く評価をしていました。
しかし「B子さんからセクハラとパワハラを受けている」という通報が30代の男性職員であるCさんから法人の相談窓口に最近入ったのです。管理部に所属するAさんは、この訴えにハラスメントに関する委員会を立ち上げ、面談の同席を私に求めてきたという経緯でした。
「Cさんは、B子さんが不必要に密着して介助の指導を行ってきたと訴えています。具体的には移動介助の仕方を教えるときに、B子さんが不必要なほどCさんに抱き着いて、指導してきたというのですが、このような事実はありますか?」
「それは、あるかもしれません。というのもCさんは移動介助が下手で、利用者さんが一度転げ落ちてしまったことがあって。なので、Cさんにベッドに寝てもらって、私が車いすに移動させたことがありました。移動させるときは体が離れているとうまくできないので、コツを教えたつもりでした」
「あくまでも業務指導の一環だったんですね」
「はい。口頭で注意したあとの事故だったので、直接やって見せたほうがいいと思いました。利用者さんが、私たちを信頼して体を委ねてくれているからこそうまく移動できることも知ってほしかったですし。でも、Cさんが男性だということを考えれば、そのように誤解されるのは仕方がないのかもしれません」
B子さんはうつむきながら、今度はハンカチで首元をぬぐいました。
透けて見える訴えの実態
この指導方法は、B子さんが新人の頃に当時の先輩から教わったもので、同様のやり方をそのまま継承し、介助がうまくできないスタッフに対して教えていたそうです。これまで1度も文句を言われたり、奇異の目で見られたこともなかったというB子さんは、今回初めてセクハラと糾弾されてひどく傷ついていました。
「Cさんはセクハラと同時にパワハラでも通報してきています。指導中に『何回言えばわかるの』『どうしてそんなに同じミスをするの』『あなたこの仕事に向いていないんじゃないかな』『ここに居たいんだったらちゃんとして。出来ないならできないなりに、周りにきちんと合わせてやっていこうという姿勢を見せてくれないと困る』といった、強い言葉で人格否定をされたという認識を持っています。これらの発言に心当たりはありますか?」
「はい。でも、パワハラと言われるようなことは何もしていません」
「もちろん、どちらか一方だけの話を聞いて決めることはないので安心してください。セクハラやパワハラがあったかどうかは、今回のヒアリングをしてからの判断になります」
青ざめるB子さんにこう伝え、Aさんとともに確認を進めました。ヒアリングで聞き取ったことを内容と突き合わせると、両者間ではこのような事実がありました。
・Cさんへの身体介助指導は、B子さんが体を密着させ、「こうやるんだよ」「恥ずかしがらずに体をくっつけて持ち上げるの」など口頭で指導した。
・身体的接触のある指導をする前に、口頭で介助方法を教えていた。
・利用者介助での失敗で、身体的接触のある指導が1度行われたが、改善が見られなかったため、B子さんが利用者役をやる方法で再度身体介助指導を行った。
・身体介助の実技指導で体を密着させたのはこの2回のみ。
・B子さんはCさんに対し、確認した内容の発言をしたが、声を荒げたのは利用者の安全が脅かされると感じた1度のみ。向いていないなどの発言は、Cさんの不適切な介助が改善されず、利用者に対する敬意がないためと感じたため発してしまった。
業務態度に問題があった男性部下
「先生。私はクビになるんでしょうか」
B子さんはうつむいたまま聞いてきました。私が口を開くより先に、管理部のAさんが「そんなことはありませんよ」と優しく答えました。
「ハラスメントとして相談窓口に通報があったので、管理部として調査は行いますが、それでただちに懲戒になるわけではありません。懲戒しないということもお約束できませんが、少なくともいきなり解雇はありません」
「そうですね。B子さんは懲戒歴もありませんし、仮にこれがハラスメントだとしても、解雇は処分として重すぎると思います」
Aさんに続き、私も言葉を添えると、B子さんは安心したような、そうでもないような微妙な顔をされました。
「じつは、今回のことを聞いて、正直もう辞めてもいいかなと思っています。Cさんはいわゆる問題社員で、私への口ごたえもあるし、スタッフを下に見ている感じがして。すごく、イライラしてしまうんです。利用者さんやご家族からのクレームも1度や2度ではありません。スタッフからも『Cさんと一緒に働きたくない』と言われていて、実際にひとりは辞めてしまいました。それでも、私はCさんをかばってきたつもりだったんです」
「Cさんの業務態度や姿勢に問題があったということですか?」
「はい。それで、つい、きつい言い方になってしまったのかもしれません。私自身、最近体調が優れず、スタッフの人数も少ないこともあって余裕もなかったですし」
「さっきから、お辛そうだなと思っていましたが、ご体調に何か問題があるのでしょうか?」
「今年に入ったくらいから少し動悸があって。疲れが抜けにくいんです。でも、内科で検査をしてもらいましたが特に何もありませんでしたから」
「そうだとしても心配ですね。その件は、別の日に改めてお話しさせてください」
B子さんはうなずくと、不安そうな顔で退出していきました。
* * *
働く期間が長期化したことで、育児や親の介護だけでなく持病との付き合い方などのなライフイベントが就労に影響を及ぼし、さらに、若手世代との価値観やコミュニケーションの違いが、職場の摩擦として表面化する事案も目立つようになってきました。
個人的事情、現場の人員不足、仕事における価値観のずれなどが絡み合い、簡単に「加害者」と「被害者」を分けることは非常に困難です。
しかしこうした場合において労務対応で重要なのは、法的な白黒だけではありません。組織として、どのように立て直すのか。また従業員をどのように支えるのか。その視点での課題の取り組みが必要になってきます。
【後編記事】『人を見下し、上司にセクハラ通報を仕掛けた30代「現場クラッシャー」の末路…会社の意外な判断とは』では、実際の裁判事例をもとに今回のケースの対応方法と解説。CさんとB子さんのその後もお伝えします。
