数日後、居酒屋にいくと3人の女性がいて…

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【前後編の前編/後編を読む】「2人目いらない」はずの妻が突然の心変わり→即妊娠… 真相を知って“歪んだ愛おしさ”をおぼえた53歳夫の胸中

 一般論だが、夫婦であれ恋人関係であれ家族関係であれ、人間関係はおしなべて相手への「最低限の敬意」が重要である。敬意があればケンカがこじれても暴言を吐いたり暴力をふるったりはできないはずだ。ところがこの「敬意」というのが、男女間の「情愛」「情熱」とは少し方向性が違うのか親和性が薄いことがある。

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 そもそも「恋愛」は個人的なものだから、反社会的であってもいいのだ。情熱をぶつけあい、地獄までともにしたい、ときには地獄に引きずり込んでやりたいと願う激烈な感情が恋愛だから。それに対して、「結婚」は、社会の最小単位であり、互いに尊重しあいながら生きていかなければ成立しないものだ。だから敬意が必要となる。その分、情熱や情欲が薄れるのはしかたがない。そもそも別のものだと考えたほうが合理的かもしれない。

数日後、居酒屋にいくと3人の女性がいて…

「僕は軽やかに、ふわふわと冗談を言いながら生きていきたいだけだった。でもそれは自分の中で感情というものがうまく育っていなかったからだとわかった」

 徳田智博さん(53歳・仮名=以下同)はニヤッと笑いながらそう言った。「なんだか人生、複雑に生きている男がいるんだけど会ってみる?」と友人に紹介されたのが智博さん。見た目爽やかな万年青年風なのだが、軽やかに見えるようふるまうことが習い性になっているタイプのようだ。

「友人たちにはバレてると思うけど、僕は小心者なんですよ。自分の器の小ささをいちばんわかっている。だからこそ、正義感が強く、器の大きな妻に従うしかないような結婚生活でした」

転校先で“お調子者”を演じて

 若いころから女性には「だらしなかった」と彼自身が言う。飽きっぽいのと深刻なのが嫌で、相手ときちんと向き合うことができなかった。

「若いころの恋愛は、チャンスがあれば全部ものにしたいという感じだった。恋愛とは呼べないものでした」

 都内のサラリーマン家庭に生まれた智博さんだが、父親が転勤族だったため小学校で3回、中学でも2回転校している。転校するたび、自分の中で別のキャラクターを生み出して、学校ではいつも人気者だった。最初の挨拶で、当時人気だった芸能人の真似などをして笑いをとるのが得意だった。

「いまだにあちこちの同窓会に呼ばれます。この学校ではどういうキャラだったかを思い出すのが一苦労ですが、どこでも明るくてバカなヤツというのは共通しているし、周りも事細かに覚えているわけではないから大丈夫なんです」

腹をくくっていた母

 家庭は完全に母子家庭のようなものだったという。父親は仕事一筋の会社人間で、急な出張にも急な転勤にも、一言も文句を言わずに従っていた。週に何度かは酔って帰ったり、いきなり同僚を連れてきたりもしたが、母は何も言わなかった。いつ人が来てもいいように、常に常備菜を用意しておくような人だった。

 たとえば2週間後に東京から札幌に転勤だと言われても、母は平然と荷物を造り、あらゆる手続きを手早くおこなっていた。

「あんな無茶な転勤制度、さすがに今はないでしょうね。当時はまだ、会社のためなら死ねるみたいな人が重用される時代だった。母は、そういう夫と一緒になったのだからと腹をくくっていた。そんな感じだったんでしょう」

 母は放任ではなかったが、干渉するタイプでもなかった。母の中で子どもとの距離感を決めていたのかもしれない。

女性にだらしない「おじさん」

 彼が都内の高校に合格したあとも父の転勤は続いた。ただ、彼は転校するのが嫌だったので、親戚の家から通学することにした。両親と暮らしたのは15歳までだ。4つ違いの妹はその後も父親の転勤につきあわされていた。

「親戚は自営業だったんです。父の遠縁にあたる夫婦で、子どもがいなかったから置いてくれたんだけど、このおじさんが女性にだらしないタイプで……。よく浮気のアリバイに使われました。僕は野球好きだったので、おじさんは『トモを連れて野球を見に行く』と仕事を途中で投げ出す。そして球場へ行くと、女性が待ってる。とりあえず席につくとおじさんはすぐに『いいか、試合が終わったらここに電話するんだぞ』と行きつけの飲み屋の電話番号を渡す。そのままおじさんは出て行って女性とどこかへ行くんでしょうね。試合終わりに電話すると、その店にいることもあればいないこともあって。いないときは店で待たせてもらいました」

 仕事一筋、会社のためなら何でもできる父と、自分の楽しみのために妻に嘘をつきまくるおじさんとの対比は、思春期の彼にはおもしろかった。自分はどっちの道を生きていくのだろうと考えると、どうしてもおじさんに軍配が上がったという。

「まだ女を知らないのか」

「高校生2年くらいのとき、おじさんに『おまえ、まだ女を知らないのか』と言われたことがあります。どぎまぎして答えられなかった。その数日後、おじさんの知り合いの女性と3人で居酒屋にいき、帰りにその女性にお持ち帰りされました。彼女はおじさんの恋人ではなかった。おじさんは浮気のことを僕がおばさんに言わないよう、同じ穴の狢にしたかったんだろうと思います。そのときは『大人のやることはわからない』と混乱しましたが、今思えば、おじさんはかわいい人だった」

 彼の受験勉強のさなか、深夜に階下からおじさんとおばさんの大げんかが響いてきたことがある。ついさっき、にこやかに熱いうどんを運んできて「がんばってね」と言ったおばさんが金切り声を上げていた。いろいろなものが壁にぶつかって割れたり壊れたりする音も聞こえた。

「浮気がバレたんだろうなと思いました。高校生だってそのくらいはわかります。だけど翌朝、僕が起きて降りていったらおじさんがごはんを食べながら『おはよう』と言い、おばさんが『卵焼きと目玉焼き、どっちがいい?』と聞いてきたのはびっくりしました。ふたりはもう離婚するんじゃないか、朝にはどちらかがいなくなっているんじゃないかと思っていたから、夫婦ってわけわかんないなと思った。うちの親はあんなすさまじいケンカをしたことがなかった。でもおじさんとおばさんは、なんだかんだ言って仲がよかった。あの若い時期に、どういう男女が本物なんだろうかと考えさせられました」

就職し、「腐っていた」時期を支えてくれた啓子さん

 無事に大学に入って20歳になったころ、両親と妹が都内に戻ってきたが、彼は同居はしなかった。おじさんとおばさんの家がおもしろくなっていたからだ。家業を手伝うこともあった。

「僕は大学でデザインの勉強をしていたんです。それを活かせる就職先があればいいけど、そうでないなら就職という形をとらなくてもいいと思っていた。ただ、たまに会うと父からは『どこでもいいから安定した会社に入れ』と言われました。ちょうどバブルが弾けて就職戦線に異状ありという状態だったから、どこかに滑り込めるかどうかギリギリでしたね」

 運がよかったと智博さんは言うが、好きなデザイナーの事務所に入社することができた。ところがここで人間関係につまずく。彼のデザインが、先輩の名前で会社に提出されていたり、雑談で企画を話したらいつの間にか、本当に上司の企画として上がっていたりするのだ。4年ほどたったころ、「クリエイターのくせして、この会社はパクリばかりかよ」と智博さんは社長の前で先輩たちを糾弾し、そのまま会社を辞めた。その数年後、会社は倒産したという。

「腐りきりましたね、人間不信にもなった。そのとき僕を支えてくれたのは、同僚だった啓子です。2歳年上の彼女は、癖のある人間たちのまとめ役でもあった。僕のすぐあとにやはり会社を辞めています。啓子とはときどき会って、愚痴を聞いてもらっていました。彼女もきっとつらいことがあったはずなのに、いつも励ましてくれた」

 彼女のアパートで一緒に暮らすようになった。とはいえ、何の約束もしていない。彼女はそのことにも文句ひとつ言わなかった。そしてすぐに転職して仕事を始めたが、彼はなかなか気持ちを切り替えることができなかった。

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 実家にはなかった「おもしろさ」「本物の男女関係」をおじさんとの生活から見出した智博さん。【記事後編】で紹介する彼の言動に与えた影響は小さくなさそうだ――。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部