【母の教え】大宅壮一文庫理事長・大宅映子「父(大宅壮一)を捕まえに特高が家にやってきたときでも、母はきちんとお茶を出す。これが母でした」
戦争が終わり、このままずっと米や野菜を作ると父が言ったときに、母は「冗談じゃない。わたしは農家の嫁に来たんじゃない。あなたは世の中に対してまだやらなきゃいけないことがたくさんあるはず」と言ったそうです。このときの母の言葉がなければ、今頃大宅家は違う方向に行っていたと思います。
母はわたしの恋愛もうまくいくようサポートしてくれていました。夫との出会いのきっかけは、1枚の名刺がきっかけでした。
夫は名刺を出し、「これ(枝廣宇人)、読めますか」とわたしに言うのです。読めますかと言うのだから、普通の読み方ではないなと。それで、〝八紘一宇〟の家の宇だと思いついて「いえひと」と読んだら、「ぼくの名前を読めた人は初めてだ」と。
そうしてお付き合いが始まり、夫は中古車のヒルマンミンクスを買って毎朝、洗足池から八幡山の家まで迎えにきてくれました。そのとき母が朝ご飯のお弁当を2人分持たせてくれていたのです。外苑前の銀杏並木の横に車を止めて、2人でそれを食べてから会社に行くというのが私たちのデートでした。
毎朝作るのは大変だったと思いますが、いつも相手への愛を行動で示していた母。その思想はわたしたち子どもの心にしっかりと刻まれ、財産となっています。
