江戸初期の無法集団「旗本奴」vs「町奴」暴力で支配したアウトローたちの末路
無法集団・旗本奴
江戸時代初頭は戦国の遺風がまだ残っており、「自分はまだやれる」と意気込む浪人も少なくありませんでした。「力こそ権威」であると考える武士の意地のようなものが、少なからずくすぶっていたのです。
彼らは「かぶき者」や「奴(やっこ:中間や小者などの武家奉公人)」のような派手な格好や乱れた風俗を好み、奇矯な振るまいをしたと伝えられています。
こうした者の中から、「旗本奴(はたもとやっこ)」と呼ばれる無法集団が現れるようになります。
彼らは自分たちの武力と気概を見せ付けるため、通りがかりの人にケンカをふっかけたり些細なことで斬り付けたりしました。
こうした男たちは後世では「侠客」「男伊達」ともてはやされたりもしましたが実に迷惑な話で、その実態は、元武士や武家奉公人という特権を振りかざす鼻つまみ者でした。
旗本奴の先駆者
そういえば池波正太郎の手になる『仕掛人藤枝梅安』は江戸時代後期の話ですが、武士の権威を笠に着る者も出てきます。
祖父が当時の藩主の隠し子だったという本間左近という男が、血筋を盾に城下で辻斬りを繰り返し、困った藩内の者が梅安に仕掛(暗殺)を依頼するというストーリーがありましたね。
旗本奴の先駆者は慶長15年(1610)前後に現れた浪人の大鳥居逸兵衛(大鳥逸平)で、300人のかぶき者を束ねて行動したと言われています。
彼の活動は正保年間(1644~1648)から盛んになり、「鉄砲組」「鶺鴒組」などの団体も生まれました。

水野十郎左衛門(Wikipediaより)
「大小神祇組」を組織した名門旗本の子・水野十郎左衛門、高坂藩主の加賀爪直澄など、大名や旗本も参加していました。
対消滅した「町奴」
さてその一方で、ろくでなし集団である旗本奴から庶民を守るために立ち上がる人もいました。「町奴(まちやっこ)」です。
彼らの多くは町人出身者でしたが、中には浪人も含まれていました。町奴の頭領・幡随院長兵衛と水野十郎左衛門の対決は、歌舞伎の題材にもなっています。

幡随院長兵衛(Wikipediaより)
また、幕府も旗本奴の振るまいを見過ごすわけにいかず厳正に取り締まりました。寛文4年(1664)には水野十郎左衛門に切腹が命じられます。
一方、町奴も取り締まりの対象になり、貞享3年(1686)の大量処分で一掃されました。
旗本奴も町奴も、結局は暴力で物事を解決しようとするやくざに過ぎなかったということでしょう。彼らは結局、対消滅してしまったのです。
とはいえ、旗本奴や町奴のアウトローの気風はその後も受け継がれ、江戸時代後期には彼らにかわって博徒が存在感を示すようになります。
こうしたアウトロー賛美の風潮は、ご存じの通り現代のエンタメでもしっかり受け継がれていますね。ヒーローを求める庶民の感覚というのは、今も昔も大して変わりがないのです。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書
画像:photoAC,Wikipedia

