数百万円を得ても23歳を迎える前に死ぬ…吉原の遊女を襲った「疫病」が200年後の現代で大流行している理由

■今年のNHK大河ドラマの舞台
NHK大河ドラマの影響か、江戸の遊郭である吉原が人気である。今までの大河ドラマは戦国時代と幕末動乱の時代が多く、江戸時代も赤穂浪士の討ち入りなど物騒な話だけだったが、昨年の紫式部(後半で刀伊の入寇などはあったが)に続き平和な時代が取り上げられたことの背景にはウクライナ、中東ときな臭い現実の世界があるのかもしれない。
遊郭といえば売春の場である。そう言ってしまうと身もふたもないが、かつて、皇太子時代の英国王チャールズ3世が王族を「人類最古の職業の一つ」と言って娼婦に擬(なぞら)えたように、売春行為の歴史は古い。性的サービスの代償として金品を得る行為は洋の東西を問わず古代から存在したことは間違いないが、歌舞音曲などの芸能や神殿の巫女などとの兼業も多かった。
わが国でも宴席に侍る遊女や白拍子といった女性が春をひさぐことは珍しくなく中世から各地に遊郭はあったが、徳川時代、幕府の御膝元である江戸では、吉原に公認の遊郭が置かれた。当初は日本橋人形町にあったが、明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤に移転した。最盛期には3000人から5000人の遊女がいたという。
■貧しい農村から少女たちが買い集められた
貧しい少女が全国から買い集められて、性愛のみならず歌舞音曲、和歌や茶道などの厳しいトレーニングを受けた。花魁と呼ばれる高級遊女を筆頭に美貌と教養を身に着けた遊女は現在のスターのような扱いを受け、なじみになって性的関係を結ぶには数回通って巨額の(現在なら100万円単位の)散財が必要であったという。
農業生産技術や物流が未発達で諸藩の福祉政策も無きに等しい当時、ひとたび凶作になれば餓死者が続出したという。農村で餓死するよりはと言って幼い娘を人買いに託すという悲劇は第二次大戦前の日本でも見られた(これが二・二六事件を起こした軍人たちのモチベーションになったことを思い出していただきたい。もちろんクーデターはもってのほかであるが)。
莫大な借財を背負って買われてきた遊女たちは、遊郭で教育係の女主人や先輩遊女のトレーニングを受け、12歳くらいで禿(かむろ)として見学を兼ねた先輩遊女の介助を手始めに17〜18歳でデビューする。20代前半で十分な蓄財ができれば晴れて遊女を卒業して好きな男性と所帯を持つこともできたし、それ以前に豪商やお金のある武士に身請けされて妾、場合によっては正妻の座に就くこともできた。ただ、こういった幸運を手にしたのはほんのごく一部である。
■遊女の死亡年齢は平均22.7歳、その死因は…
遊女の投げ込み寺とされた三ノ輪浄閑寺の過去帳では、遊女の死亡年齢は平均22.7歳であったという(西山松之助『くるわ』)。過去帳に死因は記載されていないが、その多くは感染症、特に梅毒と結核であったと考えられる。実際、この両疾患は骨に変化がみられることがあり、浄閑寺に限らず江戸時代の墓地から出土した遺骨にはしばしば特有の変化が観察される(鈴木尚『骨が語る日本史』)。

梅毒の感染経路のほとんどは性的接触であるため、男女ともに性器あるいは口腔に硬結(しこりのこと)や潰瘍ができる。ただ、梅毒の特徴はこの初期の症状が痛みを伴わないことで数週間以内に自然に軽快する。その後、数カ月を経て全身に発疹(ほっしん)がみられるが、これも強い痛みや痒みはなく、やがて軽快してゆく。
このように症状が軽く、自然に軽快することが、梅毒患者が感染を自覚せず性交渉によってさらに次の感染者を広げてゆく原因である。
■日本では新規患者が毎年「倍増」
そもそも梅毒とは細菌の一種「Treponema pallidum」による慢性感染症である。未治療の場合、垂直感染では死産や重篤な先天障害、成人でも神経血管梅毒により死に至る。
21世紀現在、毎年世界で1200万人以上の新規感染があり、発展途上国や、先進国でも経済的に困窮したアフリカ系米国人、欧州でも昨今増加している移民に多い。わが国では過去10年間に新規患者が毎年倍増しており、報告数も一昨年、昨年は1万4000人を超えている。従来、ハイリスクと考えられてきた男性同性愛者(MSM)に加えて、異性間交渉による若年女性の感染や感染を知らないで妊娠した女性における胎児・新生児の垂直感染が増加している。
梅毒の起源については、聖書の昔から地中海沿岸に存在した病原体が変異によって強毒性を獲得したという説とコロンブスが新大陸に到達して現地の病気を持ってきたという二説があったが、1998年に梅毒トレポネーマの全遺伝子配列が解明され、16世紀に新大陸からもたらされたことが判明した。さらに、過去10年世界的に拡大しているSS14株は20世紀に主流をしめていたニコルス株と遺伝子配列に差があり、生物学的性状や抗菌薬感受性に差がある可能性が高い。
■僧侶も含めて100人中60〜70人が感染
16世紀初頭、イタリアに広まった梅毒は瞬く間にヨーロッパ全土に広がったのみならず、1512年には日本において“唐瘡(トウカサ)”として初めて記載された。ヨーロッパに伝来して20年を経ずして聖フランシスコ・ザビエルを追い抜き、火縄銃を追い越しての渡来である。
おりしもルネサンスに比すべき日本の戦国時代、梅毒は社会の上下を問わず広がった。有名な武将では黒田如水、加藤清正、結城秀康(家康の次男)、前田利長(利家の長男)、浅野幸長、斉藤義龍などが梅毒で死亡したと疑われる。関ヶ原で石田三成との義に殉じた大谷義継も通説ではハンセン病であるが梅毒で顔が崩れていたとする説もある。
先に述べた吉原をはじめとする遊廓における売春が公認されていた江戸時代、梅毒は特に庶民階級で広がっていった。中神琴渓は『生生堂医譚』(1795年)の中で40年前は梅毒を羞じて交際を断つものが多かったが、近年は僧侶も含めて100人中60〜70人が罹っており、「江戸の水道水のまぬと梅毒を病まぬは男の内にあらず」と言い放つ者がいると嘆いている。
江戸中期に香月牛山は『牛山活套』(1699年)において「楊梅瘡」は最終的に廃人になるために「人之を悪み嫌ふこと、大風に類する也」と記されているが、江戸後期には梅毒が川柳や狂歌に歌われる「軽い病気」になっていった。

■なぜ江戸中に感染者が広がったのか
橘尚賢『徽瘡證治秘鑑』(1799年)ほか、多くの梅毒治療の書籍があらわされたが、温泉療法や漢方薬の組み合わせで到底、治療効果は期待できるものではなかった。
解体新書で知られる杉田玄白はその回想録『形影夜話』(1802年)に「已に痘瘡・黴毒、古書になくして後世盛に行はるる事あるの類なり」とし、江戸初期の輸入感染症であることが当時の医師の共通認識だった。
さらに、浅田飴で知られる幕末の大家・浅田宗伯は『栗園醫訓』に「婦人を診する、必ず先ず経期の当否、胎産の有無を詳らかに問ふべし。壮男を診する、黴毒の有無を諦視すべし」(女性を診たら妊娠の有無を念頭に置き、壮年の男性を診たら梅毒を鑑別疾患に入れるように)としている。
明治維新前の日本では一夫多妻が認められており、さらに男性が遊女や芸妓と関係を持つこと、女性の役者買いや同性愛者の陰間買いなどが褒められることではないにせよ、公然と行われてきた。特に江戸では参勤交代で地方から江戸屋敷に上ってきた武士とその使用人、職人などの男性が多く、性のはけ口として吉原をはじめとする遊郭の存在は大きかった。その中で、人気の遊女や遊び方のガイドブックが、大河ドラマにも登場した『吉原細見』で、現在の風俗雑誌やSNSのようなものである。これでは性感染症患者は減るわけがない。
■「過去の病気」と思われていたが…
この梅毒に有効な薬が初めて開発されたのは20世紀になってからである。1909年ドイツの細菌学者パウル・エールリッヒは弟子の秦左八郎との共同研究で、ヒ素化合物をスクリーニングし606番目の化合物サルヴァルサンの効果を報告した。さらに1928年にアレクサンダー・フレミングがアオカビから発見したペニシリンが、1943年には梅毒にも有効であることが判明し、やっと人類は梅毒をコントロールできるようになったのである。
その後、1950年代から世界的に梅毒患者は激減し、日本でも年間数百人以下になったため、筆者が医学部学生から研修医の頃には「過去の病気」という認識であった。それがこの10年どうして激増したのか。
一つには経口避妊薬の普及によってコンドーム使用が激減したことにある。加えて、SNSの発達により、非CSW(性産業従事者)との接触機会が増えたこと、そして社会の不安定化が指摘されている。実際、中東や東欧で戦争や革命によって難民が発生すると梅毒をはじめとする性感染症が増加することが知られており、その背景には性暴力や生活のために春を売る女性がいることが報告されている。また先に述べたトレポネーマ自体の変異も関わっている可能性がある。
■「君子危うきに近寄らず」
ここまで述べた梅毒に加えて古典的な性病である淋菌感染症やクラミジア、ヘルペスも増加傾向にある。特に淋菌感染症は抗菌薬耐性の頻度が増えており、その背景には淋菌以外の感染症、特に感冒や非細菌性下痢症に対する抗菌薬の濫用があると考えられている。
一方で、かつて死の病として恐れられていたHIV感染症/エイズは抗ウイルス薬の発達でたとえ感染してもコントロールできるようになり、子宮頸がんや陰茎がんの原因となるHPV感染も有効なワクチンで制御できるようになった(日本では政府の接種勧奨見合わせで遅れていたが最近は回復してきている)。
最後に、性感染症にかからないようにするにはどうしたらよいか。大原則はよく知らない人と性的関係を持たないようにすること、性風俗に行かないこと、どうしてもしなければいけない場合(?)には、せめてコンドームの使用をお願いしたい。オーラルセックスでも感染するので行為の前から装着するのが望ましい。
もう一つ、予防内服という手段が注目されている。先に述べたHIV感染は逆転写酵素阻害薬というウイルスの複製と組み込みを抑える薬を行為の前後で服用することでリスクを下げられるので筆者はMSMやCSWといったリスクの高い患者さんには処方している。ただし、もちろん自費であり結構高額である。梅毒、クラミジア、淋菌に関してはここ数年、広域抗生物質ドキシサイクリンの予防内服を勧める先生もおられる。実際、行為後の内服に一定の感染予防効果はあるし値段も安い。しかしながら予防投与を続けることで耐性菌が出現したり、腸内細菌叢に変化を生じさせたりする可能性は否定できない。
同性異性を問わず、ほかの相手と性的接触を持つことは人間の本能の一つであり、これを否定することはできない。しかしながら「君子危うきに近寄らず」という古人の知恵は大事にしたいものである。
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早川 智(はやかわ・さとし)
日本大学総合科学研究所 教授
1958年岐阜県関市生まれ。83年日本大学医学部卒業、87年同大大学院修了。同大医学部助手、助教授、教授を歴任し、2024年4月より現職。専攻は、産婦人科感染症、感染免疫、粘膜免疫、医学史。日本産婦人科感染症学会理事長、日本臨床免疫学会監事、日本生殖免疫学会名誉会員。著書に『ミューズの病跡学I 音楽家編』『ミューズの病跡学II 美術家編』『源頼朝の歯周病 歴史を変えた偉人たちの疾患』(診断と治療社)、『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)などがある。
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(日本大学総合科学研究所 教授 早川 智)
