『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』著者・阿部幸大(撮影/はぎひさこ)

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 昨年7月に発売された著書『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(光文社)は、2024年の1年間を通じて全国の大学生協で最も読まれた一冊となった。

 論文の書き方に新たな視点をもたらし、多くの学生や研究者に影響を与えた本書。今回のインタビューでは、執筆の舞台裏や本書に込めた想いを聞いた。

◾️「蛮勇ではあった」今回の書籍化

――『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』が生まれたのは、阿部さんが2020年に公開したブログ記事「アートとしての論文」が公開初日で2万PVを超えるほどの反響があり、その読者の一人だった光文社の編集者・江口さんからオファーがあったんですよね。

阿部:ええ。

――その書籍化のオファーが届いた際、一般的な文章作成術をテーマにした本を企画としてまず提案されたんですよね。あとがきにも書かれているように、その企画は却下されたとのことですが、どのような意図があったのでしょうか。

阿部:まず基本的に、人文系の学者は1冊目に博士論文を改稿して本として出版するものなんです。ゴリゴリの専門的な研究書を出して、いわば「こいつはちゃんとした研究ができる人材だ」と業界で認められたうえで、一般向けの本を出すなら出すというのが通例です。

 だからじつは1冊目からアカデミック・ライティングの教科書を出すというのも一種の蛮勇ではあったんですよね。ましてや無名の自分が『誰でも上手くなる文章術』みたいな本を出しても、たとえば「筑波大学助教」っていう肩書はあるものの、研究者界隈からはむしろ胡散臭く見られるだろうし、一般読者が相手でも、数多くある類似書籍に埋もれてしまうだろうと考えていました。

――結果としてアカデミックライティングの本を出版されたわけですね。記事がヒットしたときから書籍化することは想定されていたのでしょうか?

阿部:日本に帰国したら、アカデミック・ライティングについてまとめたものを何らかの形にしようとは考えていました。ノウハウが溜まっていたので、本という形式かどうかはともかく、「どうにかお金にできないかな」なんてことは考えていました。

――お金に、というのは意外でした。

阿部:お金というのは冗談……いや冗談でもないな。いまArs Academicaという研究コンサルティングの会社も経営しているんですが、研究成果を社会に還元するにあたっては、そこにお金が発生してビジネスになるような選択肢もあるべきだと思います。もちろん研究の目的は金儲けではないので、そこを混同すると危険ですが、とくに大学が沈みゆく今後の日本では重要になってくるでしょう。

◾️業界批判の意図「“嫌われ役”を買って出よう」

――本書を読んでいると、阿部さんが矢面に立ちながら「人文学の業界全体のレベルを底上げしたい」という強い使命感を持っているように感じました。

阿部:その使命感めいたものはどちらと言えば、後からついてきたものですね。そもそも俺はメソッドを開発し、試して、上手くいったものを誰かに教えていく、ということが得意だし好きなんです。論文指導の会社をやっているくらいで。

――自分が向いていることであり、好きなことだった。

阿部:そして同時に、論文の書き方が体系的にカリキュラム化されていないことにも問題意識を持っていました。アカデミック・ライティングについて書かれた本は、大型書店なら本棚一つを占めるほど数多く出版されています。しかし、それらを読んでも「論文を書くヒント」ぐらいは得られても、「どうすればゼロから独力で完成させられるのか」を十分に説明できている本はありません。

―― なかったから、阿部さんが作ったと。

阿部: そうです。この本は「アメリカのアカデミック・ライティングの方法論を輸入したもの」と思われがちですが、ちょっと違うんですよね。たとえば第一章で述べた「アーギュメント(論文における主張)」という概念は、たしかにアメリカの学生なら誰でも知っているし、それが論文において重要であることは多くの本に書かれています。それを日本に導入しました。しかし、アーギュメントとはなんであり、それがどのような意味で論文の核となり、どうすれば作れるのか、それをアメリカの教育現場や教科書が、拙著のように教えているわけではありません。くわえて、本書では冒頭でそれを書いたことが重要です。

―― まず最初にアーギュメントについて説明していることが、大きなポイントだったんですね。

阿部: はい。論文におけるアーギュメントの重要性を第一章で説明している本と、分厚い本のどこかで「アーギュメントが重要だよ」とだけ触れられている本とでは、読者によるアーギュメント理解はまったく異なるものになる。結果的に、拙著は「アーギュメントの本」となりました。

――特に9、10章では、大学院生時代に阿部さんが直面した「人文学の論文には価値があるのか?」と自問したことで辿り着いた結論に至るまでの思考の軌跡が綴られています。矢面に立ちながら、業界では言いにくいであろうことも真正面から綴られている印象があります。

阿部:9、10章で述べている内容もさることながら、あまり指摘されないことなのですが、そもそもこの本ってアカデミック・ライティングの教科書でありながら、日本の人文学の現状を批判し、刷新しようとしている本でもあるんですよね。従来のカルチャーを破壊しようとしている。だから一部の人にはカチンとくる本で、陰ではそういう人に煙たがられていると思いますが、その「嫌われ役」を買って出ることに躊躇はありませんでした。

――それは阿部さんだからできることだったんですね。

阿部:そう思います。アカデミアというのは狭くて陰湿な業界なので(笑)、ふつうは「嫌われたらやっていけない」とみんなびびってしまうし、じっさいそういうところがあります。しかし、俺の研究のフィールドはアメリカなので日本の保守的な大学教員に敵視されてもとくに問題ない。そして停滞し続ける日本の人文学の状況を変えるには、この断絶を導入するしかない。その先陣を切ったという感じです。

◾️「5年以内に、この本の影響力が各所で可視化されてくる」

――第2章では、元・名古屋大学教授、戸田山和久さんの著書『論文の教室』が(期末レポートや卒論といった範囲での)論文を「問いがあり、その答えを主張し、その主張を論証する文章」と定義していることについて引用し、阿部さんは「論文の成否における条件は問いの有無は本質的に関係がない」と主張されています。

阿部:そのとおりです。

――業界の重鎮である戸田山さんの主張を、ましてや最も読まれているアカデミック・ライティングの本を、ここまで正面から否定していることに驚きました。

阿部:論文における「引用して批判する」という行為は個人レベルでの軋轢を生むようなものとは大きくかけ離れています。本書で最もストレートに批判したのは戸田山先生の著書『論文の教室』ですが、その章では同時に、多くの人に受け入れられているような理解を刷新することで大きなアカデミックな価値が生まれるということも説明していて、その実演としてやったわけです。

――戸田山さんからはどんな反応がありましたか?

阿部:戸田山さんとはイベントで対談させていただいて、そのあとも個人的に仲良くしてもらっているのですが、最初は「俺の本を批判してるのに推薦文の依頼? ふてえ野郎だな」と思ったらしいです。

――それは怒ってるのでは(笑)?

阿部:冗談っぽくおっしゃっていましたけどね(笑)。

――本書で戸田山さんの主張を批判しているのにもかかわらず、戸田山さんが本書への推薦コメントを寄せていることも不思議に感じます。

阿部:本では批判しておいて、なおかつ帯コメントを依頼すること、その「矛盾」するように見える行為自体が、アカデミアにおけるコミュニケーションのありかたを伝えるための一つの方法だったわけです。

 帯コメントをお願いしたとき、戸田山さんは「自分がこんなことで怒るような人間ではない、というふうに判断されたんだな」と思って、それが嬉しかったとおっしゃっていました。俺も戸田山さんならこの本に書いた彼への批判が敬意の表明であることを理解してくれるだろうと思っていたので、こちらもそう受け取っていただけて嬉しかったです。

――本書は多くの学生が論文執筆の参考にしていると思います。その一方で、例えば本書を参考にして「問い」を省いて論文を執筆するも、それを読んだ指導教授から「論文に必須の『問い』が欠けているからダメだ」と突き返されているようなことも起きているのではないかと思いました。

阿部:それは予想していましたし、どこかでは確実に起きていると思います。「こいつ、阿部の本にかぶれやがって」と感じる教員もいるでしょうね(笑)。ただ、そういう現状については、いま俺自身がどうにかできるものではないです。

 この本が業界に広く浸透し、パラダイム・シフトをもたらすには、おそらく15年くらいかかるでしょう。この本を読んで実践してくれるメインの世代は、あくまで分布の話で年齢に本質的な関係はないわけですが、おおむね20代から30代だと認識しています。この世代が業界の中核をなすまでには、どうしても時間が必要です。どの業界でも言えることですが、年配者ほど権力を持っていて、ルールを決定できる力があって。アカデミックな業界で言えば、論文を定義する力を持っている。

 ただ、俺はそのような年配の方々を説得することには興味がありません。時間をかけて「あなたたちの考えは違うんですよ」と理解してもらうことは、やれば可能かもしれませんが、それは俺が時間を割いてやるべき仕事ではない。この本を読んで納得してくれた若い世代が、時間をかけて業界を変えていってくれればいいんです。まずは今から5年以内に、この本の影響力が業界の各所で可視化されてくる。彼らが実力をつけて業界を牽引するようになり、そのうち革命を起こしてくれるはずです。

 意外かもしれませんが、いまの日本の人文系はどの業界も規模が小さいので、業界のトップに躍り出ることは難しくないんです。たとえば俺の周辺分野だと、「全国誌」と呼ばれるレベルの媒体に院生時代に2本も掲載されたら、それでもう全国トップレベル。だから1年くらいの指導で、そうなっちゃうこともあるんです。

――本書が東大・京大をはじめ、大学生協で最も売れていることが報告されているのをみると、実際に大学に通う学生に多く読まれているんだなと感じます。

阿部:本を読んでくれた人や、会社で指導している人が、論文が書けるようになり、研究が楽しくなっていくのを見るのは嬉しいですね。やっぱりアカデミック・ライティング本を読んだり、うちの会社に指導依頼をくれたりする人って、研究やりたいけど上手くいかなくて苦しんでいる人が多いんです。そういう人が俺に教わってスルスルと書けるようになると、「人生救われた」みたいな感想をいただくことも多いんですね。

 もちろん感謝されたくてやっているわけではなく、もともと教えることが楽しいからやっていることではあるのですが、その感謝が発生することは何事にも代えがたいものがあります。その活動もまだ始まったばかりなので、今後の展開にも期待してください。

(取材・文=リアルサウンドブック編集部)