この記事をまとめると

■デリカミニのマスコットキャラクターは公募によって「デリ丸。」となった

■クルマの車名も公募によって決められるケースがあった

■覚えやすくコンセプトに沿った名前ということもあり大ヒットしたモデルが多い

みんなの応募によって名付けられたクルマたち

 今年の東京オートサロンで実車が初披露されてから発売まで話題沸騰となっていた三菱の新型スーパーハイト軽ワゴンのデリカミニ。この車両は、車名のとおりデリカのテイストを軽自動車に落とし込んだモデルとなっており、人気になるのも頷ける仕上がりとなっている。

 そんなデリカミニのCMにも登場し、その可愛らしいルックスが人気となっているマスコットキャラクターの名前が一般公募で募られ、6286件の応募のなかから「デリ丸。」に決定した。

 そこで今回は、マスコットキャラクターではなく、車名そのものを一般公募で募った車種を振り返ってみたい。

三菱パジェロミニ

 デリカミニの遠縁のご先祖さまとも言えるのが、本格的SUVであったパジェロの軽自動車版であるパジェロミニだが、そんなパジェロミニも一般公募で名前を募集した車種だった。

 発売よりおよそ2カ月前の1994年10月に一般紙で「パジェロの弟分」として車名を募集した同車だが、結局非常にシンプルなパジェロミニに決定。

 とはいえこのモデルがなければデリカミニも生まれることはなかったともいえ、パジェロシリーズには1.1リッターエンジンを搭載したパジェロのコンパクト版となる「パジェロジュニア」も登場していた。

日産サニー

 日本向けモデルはすでに2004年に販売を終了してしまった日産を代表する車種のひとつだったサニー。初代モデルはカローラよりも先の1966年4月にデビューしていたが、当時としては斬新なティザーキャンペーンとともに車名も一般公募がなされていた。

 ティザーキャンペーンは登場前年の1965年12月からスタートし、同時に車名の公募も開始。翌年2月には東京オリンピックの会場としても使用された東京体育館を会場に大々的に車名発表イベントも実施されたのだ。

 結局800万通を超える応募のなかから、太陽光や晴天を意味するサニーに決定したのだが、当時はソニーが類似するワードとしてサニーの商標を持っており、同社の了承を得て車名に採用したと言われている。

覚えやすい名前のおかげで民衆の脳裏に色濃く残った

トヨタ・パブリカ

 現在のヤリスの源流となるのが1961年に登場したパブリカだ。当時の「国民車構想」に影響を受け、大衆車として開発されたパブリカは、シンプルな構造ではあったものの、軽量なフルモノコックボディや空冷式の水平対向2気筒エンジン(700cc)を搭載し、コンパクトなボディながら大人4人が乗ることができる室内空間などを有していた。

 この車名は、当時としては超高額と言える100万円を採用者への賞金として公募を開始。100万通を超える応募のなかから、大衆車を意味する「Public Car」を語源とする造語の「パブリカ」に決定したというワケだ。

 そんなパブリカは1969年に2代目へとフルモデルチェンジ。1973年には上級車種として「パブリカ・スターレット」が登場し、その後はスターレット、ヴィッツ、ヤリスとトヨタのコンパクトカーとして存在し続けており、現行型のヤリスの車両型式に含まれる「P」の文字は、初代から脈々と受け継がれているパブリカの系譜を意味している。

日産マーチ

 こちらも残念ながら現在はラインアップから消えてしまった、日産のコンパクトカーであるマーチ。長らく日産のラインアップのボトムラインを担ってきたこの車両も一般公募で名前が付けられたモデルだ。

 発売1年前の東京モーターショーに「NX-018」という車名で参考出品され、長きにわたってティザーキャンペーンがなされた同車の車名は一般公募のなかからマーチという名前に決定したのだが、じつはこの車名、応募総数が多かったものから選ばれたというワケではなく、応募数だけで言えば164位というものだった。

 とはいえ、イメージキャラクターには”マッチ”の愛称でも知られる近藤真彦氏が務め、「マッチのマーチ」という語呂の良いキャッチコピーも功を奏して大ヒット車種となり、同氏も1984年に富士フレッシュマンレースにマーチで参戦してからモータースポーツ活動をスタートし、現在もモータースポーツ界に多大な貢献をしているのはご存じのとおりだ。