「死因の欄には"刑死"とあった」16分間、吊されていた元オウム幹部の最後の姿【2021編集部セレクション】
※本稿は、佐藤大介『ルポ 死刑 法務省がひた隠す極刑のリアル』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
■異様だったオウム元幹部たちの“死刑報道”
2018年7月6日朝、安田好弘弁護士は大阪の伊丹空港にいた。オウム真理教の教祖だった松本智津夫(教祖名・麻原彰晃)元死刑囚の弁護人を務めていた安田弁護士だが、元教団幹部の新実智光元死刑囚、中川智正元死刑囚について、再審や恩赦についての弁護を担っていた。
その日は、大阪拘置所に収監されている新実元死刑囚と面会するため、早朝の便で東京から大阪に向かっていたのだった。
安田弁護士は、伊丹空港に到着した後、東京・赤坂にある自身の事務所に電話を入れた。羽田空港を出発する間際の午前7時半過ぎ、報道各社からの問い合わせを通じてオウム元幹部への死刑執行があるとの情報をつかんでおり、確認をするためだった。
そこで、松本元死刑囚のほか、これから面会に行く予定だった新実元死刑囚、そして広島拘置所に収容されていた中川元死刑囚に、刑が執行されたことを知った。「再審準備のための弁護人として、新実さんと中川さんとは定期的に面会していました。1カ月に1回くらいでしょうかね。その日は新実さんと午前中に会う段取りになっていました。(執行のニュースを聞いて)国家の強さというものを、まじまじと実感させられましたね」
午前7時半過ぎに、安田弁護士のもとへ記者からの問い合わせがあったことからわかるように、松本元死刑囚らへの執行は事前に報道各社へリークされていた。当日の午前8時過ぎから、テレビ各社が「法務省が松本死刑囚らの死刑執行手続きを始めた」と速報し、新聞・通信の各社もインターネット上で報じている。
特別番組を組んだ民放の中には、死刑が確定している元教団幹部の顔写真をボードで示し、執行が確認された人物には「執行」というシールを張り付けるなど、選挙での当確を打つような手法で報じたところもあり、報道は一気に過熱していく。
■確定死刑囚13人を死刑執行ができる拘置所に移送
死刑が執行されると法相による臨時記者会見が行われるが、通常は開催の1時間ほど前に法曹記者クラブに通告され、会見の具体的内容は明らかにされない。死刑執行があったのか、誰が執行されたのかは、各社の担当記者が刑事局など法務省の幹部に取材をして確認するしかなかった。
だが、この日は上川法相の臨時記者会見を待つことなく、午前10時過ぎに菅義偉官房長官が記者会見で松本死刑囚の死刑執行について「報告を受けている」と認める発言をしている。
また、法務省も午前中のうちに執行された7人の氏名や執行場所を発表し、こうした動きを受けて地下鉄サリン事件の遺族やオウム真理教の元幹部・上祐史浩氏が記者会見を行うという異例の展開となっていたのだ。
地下鉄サリン事件や松本サリン事件など、オウム真理教が起こした一連の事件に関する刑事裁判はこの年の1月に終結していた。これを受けて法務省は3月、死刑が確定した元幹部13人全員が収容されていた東京拘置所から、7人を仙台、名古屋、大阪、広島、福岡の各拘置所に移送した。いずれも確定死刑囚が収監され、死刑を執行する施設のある場所だ。
移送は死刑執行に向けた準備の一環とみられていた。
■死刑を恐れなかった新実元死刑囚
安田弁護士は「もう、いつ執行されてもおかしくない状況でした。今日か明日か、という状態の日々が続いていました」と振り返る。だが、新実元死刑囚が執行に対する恐怖を口にすることはなかったという。
「彼は死刑になることを、僕の前ではまったく恐れていなかったですね。松本死刑囚への信仰心は強固で、教祖への執行を阻止したいという気持ちはありましたが、彼の口から死刑に関する考えを聞いたことはありません」
新実元死刑囚は、安田弁護士の助言を受けながら、法務省の中央更生保護審査会に「恩赦の出願書補充書1」という文書を提出している。中央更生保護審査会は、恩赦を実施するか審査する機関で、新実元死刑囚は大阪拘置所に移送後の5月に恩赦の申請書を提出しており、その意見補充書として書かれたものだった。
文書では、自らが一連の犯行において「首謀者、主犯ではなく、従犯として処断されるべきもの」として、死刑が不当であると主張している。その上で、「生きとし生けるものとしての『私』と見た場合、どんな悪人であろうが、生きて償うことの方が、慈愛に満ちた行為の選択です」と述べ、無期懲役に減刑することを求めている。
また、犯行に至ったことについては「霊性と知性が足りなかったのでしょう。深く反省しています」とし、「今後も、事件の責任を他人に転嫁せず、その責任を真摯(しんし)に受け止め、反省の日々を送る所存です」とつづっている。この補充書の提出日として記されているのが6月28日。死刑が執行される、わずか8日前だった。
■刑務官との会話で夫の死刑執行を悟る
新実元死刑囚は2012年8月、オウム真理教の後継団体「アレフ」の元信者だった女性と獄中結婚しており、死刑執行後、遺体はこの妻が引き取った。執行があった日の模様などをつづった妻の手記が、月刊誌『創』の2018年12月号に掲載されている。
手記によると、妻は新実元死刑囚が大阪に移送された後、連日のように面会を続けており、執行当日も午前8時に大阪拘置所を訪れた。面会の申し込みをすると、受付窓口まで来るように放送で呼ばれ、出向くと刑務官に「今日は会えません」と言われたという。
妻は一旦、拘置所の外に出たが、午前10時過ぎに拘置所から電話があり、新実元死刑囚の刑が執行されたことを告げられた。遺体と遺品の引き取りのため、すぐに拘置所へ向かった。拘置所内の応接室で渡された死亡診断書には、死因の欄に「刑死」と書かれ、執行時間は「8時33分」、死亡確認時間は「8時49分」と記されていたという。
その時の気持ちを、妻は「16分も吊るされてたんだ、と思いました」と、つづっている。
■「もう夫は罪人ではありません」
遺体とは拘置所で対面できず、搬送された葬儀会社で会うことができた。「服の下に手を入れ、心臓の上に手を置くと、熱いままでした。本当に穏やかな顔でしたので、『やっと楽になれたんやね』と言いました」。
葬儀会社の職員からは、棺(ひつぎ)に入っていた物として500ミリリットルのペットボトルのお茶と水がそれぞれ1本、饅頭(まんじゅう)2つ、そしてプラスチックのコップが渡された。執行直前に渡されたとみられ、水のペットボトルが少し減っていたという。
妻の自宅に搬送された新実元死刑囚の遺体は、そこで4日間を過ごし、火葬された。布団に寝かされた遺体には、はっきりと執行の痕跡が残っていた。
「枕に血が広範囲に滲(にじ)んでいましたので、首の包帯をめくってみると、縄の跡がくっきり凹み紫色になり、首の右側から出血したようでした」
妻は、手記の最後でこう述べている。「死刑制度自体にはわたしは反対の意見ですが、夫は日本では死刑に値する罪を犯しました。それに対して夫は、命をもって罪を償ったんだ、とわたしは信じています。もう夫は罪人ではありません」
■起床直後に刑務官に連れられ…
オウム真理教の元幹部13人が死刑を執行された際の状況について、法務省は詳細を一切公表しておらず、知ることは極めて難しい。そうした中で、手掛かりとなるのが別の確定死刑囚からの情報だ。
「(2018年)7月6日金曜日の朝のことである。午前7時30分に起床のチャイムが全館に鳴り響いた直後、帽子に金線が入った幹部職員と、ほか数名の看守が足速(早)に私の居室前を通り過ぎた。
『すわ井上君が処刑される』と感じた私は心の平静を失った。なぜならば、こんなにも早く処刑の言い渡しに来るのを見たのが初めてのことであり、ましてや起床直後で布団を畳み終えたばかりだったからである」
元幹部で、大阪拘置所に移送されていた井上嘉浩元死刑囚が執行された日の様子を、同じフロアに収容されていた岡本(旧姓・河村)啓三元死刑囚は、支援者への手紙に詳しく記していた。岡本元死刑囚は1988年に投資顧問会社「コスモ・リサーチ」社長ら2人を殺害し、強盗殺人などの罪で2004年に死刑が確定した。
「井上君も私と同様、洗顔や歯磨も済ませていなかったと思う。私はこれまで何人もの確定死刑囚とお別れしてきたが、顔を洗う時間や歯を磨く時間も与えられない事があるのだろうかと心の中で疑問が生じ、それを思うと当局に強い怒りを感じた」
「大阪拘置所の対応は、死にゆく者に対する博愛の精神もなく、人間的な暖みすら見せない。義憤にかられた私は、井上君を連行する幹部職員に向ってひとこと文句を言ってやろうかと思ったほどである」(いずれも原文のまま)
■元死刑囚が見たオウム元幹部の「最後の姿」
怒りにかられた岡本元死刑囚は、鉄製の扉にある小窓から通路側の様子をうかがった。そこで目にしたのは、房から出されて刑場へ向かおうとする井上元死刑囚の姿だった。
「前後左右を看守に挟まれた井上君が私の居室前を通り過ぎようとした時に、顔を左側に向け、私の方を見た。彼と私は目が合った。井上君は泰然自若。逆に私の方が目のやり場に困り、うろたえたほどである。そんな彼は動揺することもなく、至極りっぱな態度で去っていった。服装は、白色半袖のTシャツを着ており、下は紺色系のハーフパンツを穿(は)いていた。これが、私が見た最後の彼の姿となった」
■オウム元幹部が移送されてから雰囲気はガラッと変わった
井上元死刑囚が新実元死刑囚とともに大阪拘置所へ移送されて以来、所内の雰囲気は「ガラッと変わった」という。執行に向けて緊張感が高まり、通常約3カ月ごとに収容者に房を移動させる「定期転房」も、元幹部の2人には行われなかったことから、岡本元死刑囚は「執行が近い」と確信したという。
また、所内での井上元死刑囚は「職員の指示に素直に従い、真面目でおとなしく、とても良い男だった」と記している。「居室で文机の上にA3サイズの曼荼羅(まんだら)の絵を置き、それに向って座禅を組んでいた。その彼の姿が私の目に焼きついている」
「面会もあったようで、私の居室前を通り過ぎる姿を何度か見かけた。服は私服を着ており、全体的に清潔で、見る人に好感を与えていた。そんな井上君と所内で同じ空気を吸い、同じ食事を摂ってきた私だからこそ言えるのだが、彼は深く反省し、懺悔(ざんげ)していたように思う」
岡本元死刑囚は手紙の中で、井上元死刑囚への執行を強く批判していた。その岡本元死刑囚は同じ年の12月27日、大阪拘置所で死刑が執行されている。井上元死刑囚の執行から半年余りで、同じ刑場の露と消えたのだった。
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佐藤 大介(さとう・だいすけ)
共同通信社 編集委員兼論説委員
1972年、北海道生まれ。明治学院大学法学部卒業後、毎日新聞社を経て2002年に共同通信社に入社。韓国・延世大学に1年間の社命留学後、09年3月から11年末までソウル特派員。帰国後、特別報道室や経済部(経済産業省担当)などを経て、16年9月から20年5月までニューデリー特派員。21年5月より現職。著書に『13億人のトイレ 下から見た経済大国インド』(角川新書)、『オーディション社会 韓国』(新潮新書)などがある。
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(共同通信社 編集委員兼論説委員 佐藤 大介)