■大勢の女性が被害に遭っている可能性がある

健全な民主主義を維持するためには強力なジャーナリズムが欠かせない。権力をチェックして弱者を守る報道機関が機能不全に陥っていると、民主主義の土台が揺らぐ。中国やロシアの現状を見れば一目瞭然だ。

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国連が定める「国際女性デー」の2021年3月8日、「HAPPY WOMAN AWARD 2021 for SDGs」の表彰式に出席したタレントのマリエさん。持続可能な社会づくりに貢献するとともに生き生きと輝き、さらなる活躍が期待できる女性として表彰された - 写真=時事通信フォト

残念ながら日本のジャーナリズムの現状はお寒い限りだ。モデルでタレントのマリエによる「枕営業」告発がネット上で激震を起こしているというのに、大手新聞・テレビ局は完全にスルーしているのだ。

なぜなのだろうか? 「古い話で裏も取れていないから報じる価値なし」「一芸能人の暴露話に付き合っていられない」などと思っているのだろうか?

だとしたら大間違いだ。マリエの告発は公益性が高く、報道機関が最優先で取り組まなければならないテーマだ。芸能界全体にセクハラが蔓延し、大勢の女性が被害に遭っている可能性があるのだから。

■競争力の源泉である「裏取り」をしない報道機関

マリエの告発は実名入りで衝撃的だ。15年前の18歳当時、当時テレビ界で売れっ子だった島田紳助から肉体関係を迫られ、現場に居合わせた出川哲朗やお笑いコンビ「やるせなす」からも煽られた。その後、紳助司会の番組を降板させられたという。

紳助はすでに芸能界を引退している。一方、出川と「やるせなす」の事務所は告発内容を否定している。

確かに現状ではマリエの証言以外に証拠がなく、どこまで本当なのか分からない。だからといって大手メディアがスルーする理由にはならない。自ら裏取りすればいいのだ。報道機関にとって裏取りは競争力の源泉なのだから、当たり前のことである。被害者側に証拠集めを丸投げしているのであれば、報道機関として失格だ。

■「#MeToo」報道はピュリツァー賞を受賞

マリエの告発は4年前に米ハリウッドで表面化したセクハラ事件と酷似している。大物プロデューサーのハーベイ・ワインスタインがカネと権力を武器にして、数十年にわたって性的暴行やセクハラに手を染めていたのだ。

だが、大手メディアの対応は日米で百八十度異なっている。アメリカでは大手メディアが被害者の声を集めるとともに綿密な裏取り取材を重ね、2017年に特報を放っている。これこそ世界的な「#MeToo」運動の起点であり、公益にかなったジャーナリズムのお手本だ。

特報をモノにしたのは、高級紙の代表格ニューヨーク・タイムズと硬派雑誌の代表格ニューヨーカーだ。世界的な反響を呼び起こし、翌年の2018年4月にはジャーナリズム最高の栄誉であるピュリツァー賞を受賞。しかも、両メディアが獲得したのは同賞の中で最も格が高い「パブリックサービス(公益報道)」部門の金賞である。

米コロンビア大学のピュリツァー賞事務局は両メディアの功績について次のようにコメントしている。

「権力者の暴走を暴き、社会に大きなインパクトを与えた意義はとてつもなく大きい。ハリウッドの頂点に君臨する大物プロデューサーが何人もの女性を性的に虐待してきたというのに、これまで何も表沙汰にならなかった。今回の報道によってカネと権力を持つ性的虐待者が責任を取らされるだけでなく、女性の権利確立に向けて世界的な運動が始まったのである」

■告発者を全面支援する米大手メディア

言うまでもなく、被害者側の話を一方的に伝えていてはピュリツァー賞にはかすりもしない。両メディアは加害者のワインスタイン側も含めて多角的に取材している。

ニューヨーク・タイムズ紙を見てみよう。同紙は被害者の説得に当たるとともに、何カ月もかけて裏取り取材に奔走している。

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インタビュー、裁判記録、電子メール、社外秘文書――。証拠集めのルートはさまざまだ。証拠はワインスタインと被害者の間の守秘義務契約を含み、インタビュー相手は現従業員・元従業員や映画業界関係者ら何十人にも及んだ(ワインスタインは有力映画会社ミラマックスとワインスタイン・カンパニーを経営していた)。

ハリウッドでは何年にもわたり、ワインスタインをめぐってセクハラ疑惑がささやかれていた。それでも決定的な証拠があるわけでもなく、疑惑が表面化することはなかった。多くの被害者は泣き寝入りを強いられていたわけだ。ニューヨーク・タイムズ紙とニューヨーカー誌が立ち上がるまで。

■ワインスタインは逮捕・起訴され、23年の実刑判決に

取材は女性記者ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーが担当。2人が共著『その名を暴け』(新潮社)の出版前に同紙とのインタビューで語ったところによれば、一番大変だったのは被害者の説得だ。2人が説得に際してよく使ったフレーズがある。

「あなたの身の上に起きた悲劇は取り消せません。でも、私たちに協力して真実を語ってくれれば、同じような悲劇が繰り返させるのを防げます」

それでも2人は被害者から実名告発の同意を得るのに苦心した。実のところ、スクープ掲載日(2017年10月5日)の数日前になっても実名告発を決意した被害者は一人に限られていた。調査報道に定評のあるニューヨーク・タイムズ紙が十分な証拠を集め、全面支援を約束していたのに、である。それほど実名告発のハードルは高いということだ。

その後、ワインスタインはどうなったのか。報道がきっかけになって捜査当局が動き出したことで逮捕・起訴され、2020年3月には23年の実刑判決を言い渡されている。

マリエの告発は「芸能界でよくある話」ではない

日本の芸能界でもかねて「枕営業」のうわさがある。そんななか、吉本興業を代表する芸人であった紳助をめぐって実名告発に名乗り出る女性が現れたわけだ。「芸能界=ハリウッド」「吉本興業=ワインスタイン・カンパニー」と見なせば、ここにはワインスタイン事件と同じ構図がある。

大きな違いが一つある。マリエは孤立無援なのだ。大手メディアから完全に無視され、ネットや週刊誌上で話題になっているにすぎない。なぜなのか? 大手新聞社で社会部経験のある現役ベテラン記者に匿名を条件に聞いてみたところ、新聞界は以下の理由で消極的であるという。

第一に、「われわれは次元の高い問題を扱っている」というゆがんだプライドを持っている。そもそも芸能ネタにニュース価値を見いだしておらず、枕営業は仮にあったとしても下品であり論外と考えている。

第二に、ジェンダー問題に対する感覚がマヒしているため、時代に追い付けていない。マリエの告発は「芸能界でよくある話」ではなく、女性の人権に直結するテーマであるのに、人権問題として取り上げる発想に至らない。

第三に、調査報道に真剣に取り組んでいない。「マリエはうそをついているかもしれない」と考えて訴訟リスクを気にしている。自ら証拠を集める気概を欠いている。だから「警察が動いた」「刑事告発が起きた」といった“事実”を得られなければ、何も書けない。

■フジテレビがニュース番組で「枕営業」を取り上げない理由

では民放テレビ局はどうか。新聞社以上にマリエに触れにくい状況に置かれている。吉本興業やジャニーズ事務所を筆頭に芸能界とズブズブの関係にあり、芸能界に対して忖度しがちなのだ。今春スタートしたTBS系朝番組「ラヴィット!」では出演者の大半が吉本興業の芸人であることが話題になっている。

自局番組と関係していればなおさらだ。マリエの告発で焦点になっているのは、彼女が紳助と共演していたフジテレビ系バラエティ番組「クイズ! ヘキサゴン」である。フジテレビは社内に当時の関係者を抱えているだけに、取材上有利である。だが、同社報道局がマリエや紳助を徹底取材し、自社ニュース番組で取り上げる展開はあり得ないだろう。

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根っこにはメディアのコングロマリット(複合企業)化という問題もある。「メディア集中排除原則」があるにもかかわらず、日本では大手新聞社と大手民放テレビ局は系列関係にあるのだ。新聞社側からの“天下り”が民放テレビ局社長に就くことも多い。こうなると、テレビ局に牙をむいた勢力は新聞社とも敵対する格好になりやすい。

■「男性・日本人・中高年・プロパー」の大手メディア

マリエが大手メディアに協力を求めなかったのは、セクハラ被害者の告発に冷たい業界の体質に気付いていたからではないか。

二つ事例を挙げよう。一つはジャーナリストの伊藤詩織による告発。2017年5月に記者会見を開き、名前と顔を出してTBSの元ワシントン支局長・山口敬之にレイプされたと公表した。ところが、大手メディアはまるで申し合わせたようにスルーした。

もう一つは2018年の「財務次官セクハラ疑惑」。テレビ朝日の女性記者が財務省事務次官・福田淳一からセクハラを受け、自社のニュース番組で報じようとしたところ、社内で握りつぶされた。結局、彼女が『週刊新潮』にネタを持ち込んだことで疑惑が表面化した。

大手メディアが防波堤になってくれないのであれば、告発者は誹謗中傷を一身に受け止めなければならない。マリエの場合、ネット上では「自伝本を宣伝しようとしている」「証拠も示さないで一方的に騒いでいる」「売名に使われて出川がかわいそう」といった批判が渦巻いている。

要するに、大手メディアは社会的弱者にとっての駆け込み寺になっていないのだ。

大手メディアが女性の性的被害に無頓着なのは構造問題なのかもしれない。各社とも女性役員をほとんど取り入れてないのだ。それどころか「男性・日本人・中高年・プロパー」と四拍子そろっており、多様性とは対極の世界にいる。これでは弱者に対する配慮が欠けるのも当然といえる。

■NHK元ディレクターのたかまつななが声を上げた

ワインスタイン事件ではニューヨーク・タイムズ紙とニューヨーカー誌の特報を発端にして、ハリウッドの有名女優をはじめ被害者が次々と名乗り出るようになった。両メディアの協力の下で勇気を出して実名告発に踏み切った女性たちの行動に勇気付けられたのだ。

日本では大手メディアがスルーしているだけに、マリエに続いて沈黙を破る女性はなかなか現れない。

唯一、芸能界に身を置いていたジャーナリストのたかまつななが声を上げている。ブログ記事を書き、「高校生のときに出番前、舞台袖で、お尻をずっとさわられ続けたことがある」「女芸人の先輩が胸をガッツリ揉まれていたのを見たことがある」などと証言。「#マリエさんに連帯します」のハッシュタグを付けてツイートもしている。

「今はテレビに出なくてもいいと割り切っている」と言うたかまつなな。2020年7月までNHKのディレクター職にあった。

■結局、週刊文春が孤軍奮闘するだけなのか

実は、NHKはマリエの告発を取り上げる報道機関としては絶好の立ち位置にある。というのも、コングロマリットとは無関係であるうえ、事実上の税金である受信料で成り立つ公共放送だからだ。芸能界に忖度する必要はないし、資金力・取材力でも頭一つ抜けている。コストの掛かる調査報道であっても、その気さえあれば全面展開できるポジションにある。

しかしNHKも動き出す姿勢を見せていない。「15年前の話で証拠もない」と決めつけ、さじを投げているのだろうか。

そんななか、『週刊文春』が気を吐いている。マリエ本人にインタビューしているほか、紳助や出川側にも取材し、4月22日号で特集している。弱者の立場から権力をチェックする本物のジャーナリズムに一番近い日本メディアは文春かもしれない。

結局、文春が孤軍奮闘するだけで大手新聞・メディアは傍観するだけで終わるのか。それとも最後にはNHKや朝日新聞が立ち上がって真相を暴き、「日本版ピュリツァー賞」として新聞協会賞を受賞するのか。後者の可能性は限りなく小さい。(敬称略)

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牧野 洋(まきの・よう)
ジャーナリスト
1960年生まれ。慶応大学経済学部卒業、米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクール修了。1983年、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員や編集委員を歴任し、2007年に独立。早稲田大学大学院ジャーナリズムスクール非常勤講師。著書に『福岡はすごい』(イースト新書)、『官報複合体』(講談社)、訳書に『TROUBLE MAKERS トラブルメーカーズ 「異端児」たちはいかにしてシリコンバレーを創ったのか?』(レスリー・バーリン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。
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(ジャーナリスト 牧野 洋)