2020シーズンにJ1を制覇した川崎フロンターレには、FWレアンドロ・ダミアンとCBジェジエウ。2019年にJ1優勝の横浜F・マリノスには、FWマルコス・ジュニオールやCBチアゴ・マルチンス。これら優勝チームはもちろんのこと、J1からJ3までのJクラブでは毎年多くのブラジル出身選手が登録され、2020年度はJリーグ全体で実に95人のブラジル人選手が在籍した。1993年から2020年までにJリーグに選手登録されたブラジル選手は、述べ715選手にもおよぶ。


インパクトのある風貌と明るいキャラで人気を博した

 いわばJリーグの外国人選手の歴史はブラジル人助っ人の歴史でもあるが、そのなかで鮮烈な記憶を残したひとりが、「カッパ」のニックネームで親しまれた選手だろう。

 サラサラのロングヘアーと、25歳にして薄くなった頭頂部。そのアンバランスさからアデランスのCMに起用されると、「トモダチナラアタリマエ」の独特のイントネーションと甲高い声もあって、小学生の間で人気が大爆発。明るいキャラクターも後押しとなって、テレビ番組に引っ張りだことなった。

 それがアルシンド・サルトーリ。

 1986年にフラメンゴでプロデビューし、1987年にはブラジル・ユース代表として南米ユース選手権で最優秀選手を獲得。同年のワールドユース(現U−20W杯)では4試合に出場して2得点をあげた。

 しかし、選手層の厚かったフラメンゴではポジションを得られず、1990年はサンパウロ、1991年から1993年まではグレミオでプレー。そして、フラメンゴ時代の師匠であるジーコに誘われて1993年春に鹿島アントラーズに加入したが、これがキャリアの大きな転機となった。

 この年から幕を開けたJリーグでは、各クラブがジーコ(鹿島)、ピエール・リトバルスキー(ジェフユナイテッド市原/現在のジェフユナイテッド市原・千葉)、ラモン・ディアス(横浜マリノス/現在の横浜F・マリノス)、ゲーリー・リネカー(名古屋グランパスエイト/現在の名古屋グランパス)など、往年の名手を次々と獲得。多くのビッグネームが来日するなか、ブラジル代表経験のないアルシンドの知名度はゼロだった。

 ところが、本拠地に名古屋を迎えた開幕戦でジーコのハットトリックをお膳立てし、自らも2得点して5−0の勝利に大きく貢献。その後もゴールを量産して鹿島の1stステージ優勝の立役者となり、一躍注目を集める存在になった。

 明るいキャラクターで、アルシンドはたちまち人気者になった。だが一方、ピッチではたびたび烈火のごとく判定に猛抗議し、イエローカードを受けることも珍しくなかった。

 1993年8月7日の横浜M戦では、ジーコにイエローカードを出した主審にブチギレ。審判のお腹にボールをグイグイと押しつけ、それが「審判侮辱」と判断されて2試合の出場停止となる。さらに試合後、審判控室に乗り込んでクレームをつけ、プラス2試合の計4試合の出場停止になった。

 スピードがあって足もとのテクニックも高く、DFラインの裏や空いたスペースを狙う動き出しでボールを引き出してゴールを決める。その決定力で鹿島在籍の2シーズンで50得点をマークした。だが、年俸面で折り合わずに1995年はヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)に移籍する。

 その1995年には、貴重なゴールも生まれている。それまでは「頭は考えるために使うもの。でも、必要な時は使う」と笑わせていたアルシンドが、8月16日の横浜M戦でJリーグ通算60ゴール目を初めてのヘディングで決めたのだった。

 このシーズンも38試合19得点と活躍し、V川崎の1stステージ2位、2ndステージ優勝に貢献。しかし、再び契約更新でクラブと揉めて退団となる。

 1996年は当時JFLだったコンサドーレ札幌(現在の北海道コンサドーレ札幌)でプレーすることになった。だが、4月末の試合では審判に「バカ!」を15連発して4試合出場停止を食らうなど、フラストレーションを溜めてシーズン途中に退団。コリンチャンスやフルミネンセでプレーしたのち、1997年は再びV川崎と契約して16試合10ゴールをマークした。

 その後のアルシンドは1998年にフルミネンセ、1999年にカポフリエンセ、2000年にCFZでプレーし、現役を引退した。

 日本で130試合80得点の通算成績を残したアルシンドは引退後、パラナ州のイグアスの滝近郊に住み、農場を経営。そのかたわら、地元の女子サッカーチームで監督を務めるなど、選手の育成にも力を注いでいる。

 そのアルシンドの名が、日本で久しぶりに聞かれたのは2011年のこと。アルシンドが鹿島に加入する直前の1993年1月に生まれた息子のイゴール・サルトーリが鹿島に加入した。翌年にはフラメンゴに移籍したものの、Jリーグで2試合に出場している。

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 東日本大震災の際も、アルシンドはジーコとともにいち早くカシマサッカースタジアムでのチャリティーマッチへの参加を表明。2019年も来日して鹿島OBによるサッカー教室を行なうなど、鹿島との縁は今も続いている。

アルシンドニナッチャウヨ!」

 これはアデランスのCMでアルシンドが自身の薄毛を自虐ネタにしたフレーズだが、こうしたアルシンドの残した強烈なインパクトを振り返ると、ブラジルから日本にやってきたプレーヤーがアルシンドのようにピッチ内だけでなくピッチ外でも輝きを放つのはなかなかに難しい......ということでもある。