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第46回大会には130台のエントリー

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1970年代なかばから、ヨーロッパの各地で順番に開催されてきたインターナショナル・アウトウニオン・ラリー。2ストロークエンジンを積んだ前輪駆動の愛らしいモデルが誕生したことを、多くの愛好者と共に祝ってきた人気イベントだ。

会場には2ストローク3気筒ならではの、のどかな響きと水色の煙が漂う。2018年はスイスで、第46回目の2019年は英国での開催となった。この国を代表する自動車コレクター、フレドリック・フォルケスタッド以外に、オーガナイザーとしての適任者はいないだろう。

第46回インターナショナル・アウトウニオン・ラリーの参加車両

「今回の英国では130台のエントリーがありました。115台のクルマと、15台のモーターサイクルです」 とフォルケスタッド。かなり遠方から車両を持ち込む参加者だけでなく、増え続ける自身のコレクションからもDKWや珍しいモデルを出展したという。

会場に並ぶ個性豊かな多様なクルマたち。DKWの複雑な歴史を映し出している。1906年に創業したDKW社は、主にオートバイを製造して成長。1920年代末になると自動車の製造に着手した。

1932年には、DKW社を含む4社が経営統合しアウトウニオン・グループへと発展。今のアウディのロゴマーク、4リングスの起源となっていることは、ご存知の読者もいるだろう。グループの中でDKW社は、主に乗用車を生産してきた。

1966年まで活躍した2スト3気筒

第二次大戦が終結し、DKWが初めて製造した自動車は2気筒エンジンモデルだった。その後1953年になると、流線型のボディをまとって、2ストローク3気筒エンジンが搭載される。

1958年にかけて、4ドアサルーンと3ドアエステート、珍しいカブリオレのボディタイプへ発展。湾曲したフロントガラスを持つボディで、アウトウニオンの名前を使用した初めてのモデルには、1.0Lエンジンを搭載。独立したシャシーを持つ構造だった。

第46回インターナショナル・アウトウニオン・ラリーの参加車両

最高速度は136km/hと、競争力も高いモデルだったといえる。ジム・クラークも、レーサーとしてのキャリアを積み始めた頃に乗っている。

1966年にDKW F102の生産が終了されるまで、2ストローク3気筒エンジン、美しいボディに仕上げられたクルマの動力源として頑張ってきた。今のアウディの基礎をなすクルマたちだといっていい。

英国ではDKW F102の価格は高く、かなり珍しいモデルだったが、1951年にDKWオーナーズクラブが誕生している。当時はまだ戦前のクルマも日常的に使用されていた頃だ。

第46回アウトウニオン・インターナショナルは、英国西部、サイレンセスターにある王立農業大学に本部が置かれ、11カ国から合計300名のオーナーが集結。フォルケスタッドによれば、ニュージーランドや南アフリカからの参加者もいたという。

1600kmの距離を自走して参加した人も

「多くの参加車両は自走して会場へやって来ました。最も遠方からの自走参加者賞は、1600km以上をドライブしてきたオーストリアのオーナーへ贈られました」 とフォルケスタッドが笑顔で話す。

多くのオーナーはDKWを日常の足として用い、整備も難しくはないという。エンジンに不具合を抱えて困っていた21歳のロバート・コルステイン。参加を諦めかけたそうだが、フォルケスタッドへ電話をしたそうだ。

第46回インターナショナル・アウトウニオン・ラリーの参加車両

「日曜日の夕方に助けを求める電話がかかってきました。幸運なことに状態の良いクランクシャフトが、部品棚に1つあったのです。月曜日にワークショップへコルステインが取りに来ました」

「彼はエンジンを途中で降ろして、クランクシャフトを交換したそうです。それから組み直してDKWを再始動させ、西部のコーンウォールから会場までたどり着いたんです」

今回のアウトウニオン・インターナショナルは計画に3年間を掛けているが、大成功と高い評価を得た。特に、土曜日の午後にコッツウォルズ周辺の道路を使用したロードランは、ルートがしっかり研究されていた。

美しい景色の中に広がる、交通量の少ない道。ドイツからの参加者は、「夢の中で運転しているようでした」 と話していた。

今回は、英国で開かれた第46回アウトウニオン・インターナショナル・ラリーの参加車両を、オーナーのコメントと一緒に何台か見ていこう。

アウトウニオン・ユニバーサル(1960年)

オーナー:デイブ・ダイアモンド

アウトウニオンに属していた、DKW製の機能的なユーティリティ・モデル。サイドヒンジのリアドアを持ち、シートは折り畳むことができるステーションワゴンだ。ヨーロッパ本土では人気の高いクルマだったが、英国の道路では滅多にお目にかかれなかった。

もともと、このアウトウニオン・ユニバーサルは南アフリカで製造されたクルマ。いまでも支持するドライバーは多い。

アウトウニオン・ユニバーサル(1960年)

「このユニバーサルは10年ほど前に手に入れました。とても楽しいクルマです。わたしは2ストロークエンジンを積んだクルマに興味があるんです。サーブやDKW F102も所有していますが、公道ではほとんど走りません」 と話すのは、英国南部、ブライトンからやって来たオーナーのデイブ・ダイアモンド。

「運転席のドアのヒンジが後ろについている、スーイサイドドアが特徴です。すべてのアウトウニオン・ユニバーサルがこのタイプだと思います。オリジナルではエンジンの排気量は903ccのはずですが、このクルマには1.0Lのユニットが搭載されているようですね」

「手を加えたいところは沢山ありますが、調子は良いです。DKWは部品を見つけるのが大変です。所有する期間が長くなるほど、保管してあるスペアパーツの数も増えていくものですよね」

アウトウニオン1000SP(1962年)

オーナー:ロン・デ・ロウ

初めてアウトウニオン1000SPがお披露目されたのは、1957年のフランクフルト。当時最もグラマラスなデザインのボディをまとった、DKW/アウトウニオン製のモデルだった。

フォード・サンダーバードにも似たボディを持つコンバーチブルが作られたのは、わずか1740台。ドイツのコーチビルダー、バウア社が製造を担当している。1000SP全体で見ても、6400台ほどしか製造されていない珍しいクルマだ。

アウトウニオン1000SP(1962年)

メカニカルでは、アウトウニオン1000Sと同じだが、最高出力は5ps増強されている。白亜のボディが美しい1000SPのオーナー、ロン・デ・ロウは、妻のジェットと、友人のハリー・ボーアとともにインターナショナル・アウトウニオンの会場へやって来た。

彼はオランダのオーナーズクラブの会員。学生の頃から、DKWのクルマを運転してきたという。

「DKWなど、アウトウニオン製のクルマは大切に維持され、修復される傾向が高いと思います。特にこの1000SPは歴史的に重要なモデルの1つなので、今でも現存率は高い方だといえます」

「しかしアウトウニオン1000SPは特別なだけに、部品を探すのは難しくなっています。ボディはハンドメイドだったので、スペアのボディパネルを見つけても(カタチが微妙に違うため)クルマに合わない傾向もありますね」

続きは後編にて。