東京駅から出る新幹線に深々と頭を下げる人たち。彼らは新幹線の車内を1両あたりに1人、わずか7分で完璧に整える「新幹線清掃員」です。自らを「お客様の旅を盛り上げるキャスト」だと言い切る彼らの姿から見える日本人の職業観とは? 無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』に詳しく描かれています。

新幹線清掃員のプライド

2014年サッカー・ワールドカップブラジル大会で、日本チームは初戦コートジボワール戦で惜しくも逆転負けを喫したが、試合後、日本のサポーターが世界を驚かせた。

応援するチームが負けると、サポーターが怒りをあらわにしてイスを蹴ったり、物を投げたりする事が少なくない中で、日本サポーターたちは自ら持参したビニール袋を広げて、ゴミ拾いを始めたのだった。

アメリカのあるテレビ放送局が自社サイトで、2枚の写真と共に「その作業は徹底されていて、負けたチームのサポーターなのにもかかわらず非常に上品な行動だ」と報じた。この写真がネット上に数多くアップされ、コメント欄に英語やスペイン語などで次のような書き込みがあった。

「彼らの文化と教育。ブラボー!」
「日本は最高だ!」
「彼らはとても礼儀正しい。私たちは彼らから多くのことを学ぶことができる」

掃除を通じて、姿勢を正し、心を整えるのは、日本の文化と教育の神髄の1つである。弊誌でも、トイレ掃除で問題校の建て直しや暴動族の更正を果たしたり、礼儀作法や掃除を取り入れて、学力日本一となった福井県の教育事例を紹介した。

新幹線1両を1人、7分間で清掃

掃除で注目を集めている企業がある。JR東日本の子会社で、新幹線の掃除を担当している鉄道整備会社、通称テッセイである。

東京駅などで新幹線に乗ると、一列に並んでお辞儀をする女性たちの姿を見かける。列車がホームに入る3分前に、1チーム22人が5〜6人ほどのグループに分かれて、ホーム際に整列する。列車が入ってくると、深々とお辞儀をして出迎える。降りてくるお客様には、1人1人「お疲れさまでした」と声を掛ける。

お客の降車が終わると、7分間の清掃に入る。座席数約100ある1両の清掃を1人で担当する。約25mの車両を突っ切り、座席の下や物入れにあるゴミを集める。次にボタンを押して、座席の向きを進行方向に変えると、今度は100のテーブルすべてを拭き、窓のブラインドを上げたり、窓枠を拭く。座席カバーが汚れていれば交換する。

トイレ掃除の担当者もいる。どんなにトイレが汚れていても、7分以内に完璧に作業を終える。チームのリーダーは、仕事が遅れていたり、不慣れな新人がいる場合には、ただちに応援し、最後の確認作業を行う。

7分間で清掃を終えると、チームは再び整列し、ホームで待っているお客様に「お待たせしました」と声を掛け、再度一礼して、次の持ち場へ移動していく。

始発の朝6時から最終の23時まで、早組と遅組の2交代制でこの作業を行い、1チームが1シフトで、多いときには約20本の車両清掃を行う。JR東日本で運行する新幹線は1日約110本、車両数にして1,300両。これを正社員、パート含めて約820人、平均年齢52歳の従業員で清掃する。

30人くらいの海外のお客様全員から拍手

日本人の乗客でも、そのきびきびした動作に感心してしまうが、外国のお客さんにとっては、その動きは信じられないほどのようだ。こんなレポートがある。

21番線で社内清掃作業中、ホームから熱心に作業を見ている海外からのお客様がいらっしゃいました。作業終了後、整列、退場の一礼をすると、ホームで待っていた30人くらいの海外のお客様全員から大きな拍手と歓声をいただきました。

 

見えているから、がんばるわけではありませんが、見えているから、もっともっとがんばらなくてはとも思います。

平成20(2008)年度に国際鉄道連合(UIC)の会合が日本で開かれた際、その分科会がテッセイを視察に訪れた。同年、ドイツ国営テレビが取材にやってきた。さらには米国のラフォード運輸長官も視察に訪れた。

視察だけではなく、米国のスタンフォード大学、フランスのエセックス大学の学生たちが、研修にやってきて、制服を着て、掃除の実習をしている。日本の「礼」の文化に触れ、驚いていたそうだ。

海外からの注目を集めると、日本のメディアもテッセイを取り上げ始めた。テレビ朝日やTBS、『週刊ダイヤモンド』『週刊東洋経済』『日経ビジネス』など多くのビジネス誌でも紹介された。

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「お母さん、そんな仕事しかないの?」

テッセイの清掃スタッフの1人は次のような体験を語っている。

60歳を過ぎて、私はこの仕事をパートから始めました。親会社はJRだし、きちんとしているし、早い時間のシフトにしてもらえれば余裕を持って家事もお稽古事もできるし。それに掃除は嫌いじゃありません。

 

でも1つだけ「お掃除のおばさん」をしていることだけは、誰にも知られたくなかったんです。だって他人のゴミを集めたり、他人が排泄した後のトイレを掃除するなんて、あまり人様に誇れる仕事じゃないでしょう。家族も嫌がりました。

 

「お母さん、そんな仕事しかないの?」

 

30歳になる娘はそう言いました。3歳になる孫の洋服を買ってあげるのはいつも私なのに。「親類にバレないようにしてくれ」…夫にもそう言われました。

車内の清掃だけをしていたらいいのかと思っていたら、実際に働き出すと、まったく違っていた。自分の持ち場が終わると、さっと移動して、まだ終わっていない場所を手伝う。ホームで困っている人がいたら、自分から声をかける。

ある時、70歳ぐらいの女性が、大きな荷物を引きずっていたので、清掃作業が終わってから、組の先輩と2人がかりで運んであげた。その女性は「本当にありがとうございました。助かりました」と窓ガラス越しに何度も頭を下げた。そんな事が重なるうちに、この仕事がいっそう好きになっていった。

「あんなに立派な仕事をしているなんて思わなかったわ」

仕事も少し速くなり、周囲の人とのお弁当の時間も楽しくなっていった1年目の春、大きな事件が起きた。ホーム上で整列し、お辞儀した際に、車窓のガラス越しに、目が合った人がいた。

「あっ、ヨウコさん」

 

それは夫の妹の顔でした。その横には肩をちょんちょんと叩かれて振り向いた夫の弟も。

 

見られた…。

 

私、新幹線のお掃除をしているところを見られちゃったんだわ。

自分の中ではやりがいのある仕事だと思い始めていたが、世間の人はそう思わない。特にプライドが高い夫の兄弟たちは。

1週間ほどした夜、電話が鳴った。夫の妹からだった。

「働いているとは聞いていたけど、おねえさんがあんなに立派な仕事をしているなんて思わなかったわ。」

 

義妹は本気で言っているようでした。

 

「東北新幹線のお掃除は素晴らしいって、ニュースでもやっていたの、見たの。ずっと家にいたおねえさんがあんなふうにちゃきちゃき仕事をする人だなんて思わなかった。すごいじゃないですか」

 

私はうれしくてうれしくて、なんて返事していいのかわかりませんでした。

この女性は、翌年、パートから正社員の試験を受けて、その面接で上記の話をして、こう締めくくった。

「私はこの会社に入るとき、プライドを捨てました。でも、この会社に入って、新しいプライドを得たんです」

面接した役員たちは、にっこり笑って、うなずいた。

次ページ>>新しく得た「おもてなしのプロ」というプライドを胸に…

「清掃の会社ではなく、おもてなしの会社なのだ」

テッセイの芸術品とも言える清掃サービスは、社内の長年の工夫、苦心を積み上げて、磨き上げられてきたものだ。

かつては「清掃の会社なのだから、掃除だけをきちっとやればいい。客へのお辞儀や声掛けは自分たちの仕事ではない」と反発する声もあった。

しかし、様々な試みを通じて、「自分たちの仕事は清掃だけではない。お客様に気持ちよく新幹線をご利用いただくことだ」「清掃の会社ではなく、おもてなしの会社なのだ」とみんなが理解し、納得した時に、テッセイの現場は大きく変わり始めた。

テキパキとした「プロの仕事ぶり」、「礼儀正しさ」。上述の「新しいプライド」を得たという60歳の女性は、「ここは旅する人たちが日々行き交う劇場で、私たちはお客さまの旅を盛り上げるキャストなのです」と言っている。

いかにお客様に「おもてなし」をし、旅を盛り上げるか、と1人1人の従業員が考え始めると、実に様々なアイデアが湧いてくる。お客へのお辞儀や、チーム一列の整列出場、退場もそんな中で生み出されてきたものだ。

新人はまずそういう形を学び、真似する所から育っていく。そして一人前になると、自分で創意工夫を生み出していく。そこから生まれる自発性が、テキパキとした動きや、お客に対する真心のこもった一礼となる。

単に「マニュアル通りやれ」という命令だけでは、こうした人間は育たない。海外の大学生までもが研修に訪れるという事は、こうした日本文化の深層にある人間観に着目してのことだろう。

おもてなしのプロ

テッセイの従業員たちが「おもてなし」の心で創意工夫を積み重ねていって、駅の設備まで変えていった。その一例がベビー休憩室の設置である。これは授乳やおむつ替えの場所がなくて困っているお客様が多いことにテッセイの従業員が気づき、親会社であるJR東日本に働きかけて、東京駅新幹線コンコース内に設置された。しかし、当初の設計は殺風景で、赤ちゃんを連れて入るという雰囲気ではなかった。

「しょうがないわね。設計をする先生方はきっと男性なんでしょうから」

「見て、このおむつ用のゴミ箱。こんなに大きいところが満タンになったら、重たくて取り出せないわよ」

「だいたい、すごい臭いになっちゃいますよね」

こんな議論を通じて、おむつ用のゴミ箱は上げ底にして、適当な量で捨てられるようにした。頻繁に捨てれば、臭いもしない。さらにゴミ箱のそばに小さなレジ袋を置いて、紙おむつをそれに入れ、封をして捨てられるようにした。

殺風景な壁には、季節ごとに、おひなさま、鯉のぼりなど、飾り付けを変えることにした。まさにお客の旅を盛り上げるために、キャストたちが舞台装置まで考え出したのである。

さらには、新型車両「はやぶさ」を設計する段階で、現場の声をよく知っているテッセイの声が聞きたいという要望がJR東日本側から出され、その基本設計に生かされた。ここまでくると、もはや「清掃員」ではなく、「おもてなしのプロ」である。

リスペクト(尊敬)とプライド(誇り)

遠藤功・早稲田大学ビジネススクール教授は、テッセイが清掃業務を行う、高学歴のエリートなどほとんどいない「普通の会社」ながら、やり方次第では、こんなに輝くことができるというお手本を示しているからこそ、これほどの注目を集めている、という。

そして「テッセイという会社の輝きを根っこで支えているのは、『リスペクト』(尊敬)と『プライド』(誇り)です」と、遠藤氏は評する。

前述の60歳の女性が義妹から「おねえさんがあんなに立派な仕事をしているなんて思わなかったわ」と言われたのは、まさしくリスペクトである。そしてこの女性は「この会社に入って、新しいプライドを得たんです」と語る。

リスペクトを感じた現場は、実行主体としてのプライドをもち、意欲的に仕事に取り組み始めます。よりよくするための知恵やアイデアも、プライドから生まれてきます。

掃除という誰にでもできそうな簡単な作業の中にも、リスペクトとプライドを見出し、そこから知恵やアイデアを出させる。そこに日本人の深い職業観がある。今や世界がそれを学び始めている。

文責:伊勢雅臣

image by: Youtube

 

『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』
著者/伊勢雅臣
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出典元:まぐまぐニュース!