フレッシャーズ編集部

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10日の「八方・陣内・方正の黄金列伝」(読売テレビ)では、通常MCの一人として出演している、月亭方正がゲストとして出演。

落語家になって7年半経ったが、芸人として活躍していた山崎邦正時代の苦悩を明かした。

芸人になって3年目に「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」に抜擢されて、一気に人気者になった。

アイドル的存在として扱われていたが、徐々に人気は下降。
芸人としては三大悪の「アホ・ヘタレ・スベリ芸」のレッテルを貼られてしまった。1番年下でイジられるのは当然で、アホやヘタレと言われるのも仕方がなかった。
だが、「スベリ芸、おもろないっていうのが、めっちゃくちゃイヤやった」と激白。

スベリキャラとして扱われるのがとにかくイヤだったという。
スベリキャラとしての扱いは、「腹が立つのと、恥ずかしいのと、悔しいのとで、辞めたろかなホンマに…」と、真剣に芸人を辞めることを考えるほど辛かった。

笑わせるために芸人になったのに、人から笑われてしまうことばかり。
いつしかリアクション芸人として言われるようにもなったが、自分ではそう思ってはいなかった。
当時は、「心が病んでいたというより、心が死んでいた」と、かなり精神的に追い詰められ、枕に向かって「わあ〜」と叫んでいると、涙がポロポロ出てくることもあった。

そんな状態の中で、28歳のときに最も辛い仕事の「モリマン対決」が始まった。
「それで1年の半分はイヤだった。なんでこんなんやらなアカンの?」という気持ちで、12年間も続いた企画。

リング上で、女芸人のモリマンと体を張って対決。
頭に被ったパンストを脱がしあったり、熱々の八宝菜をかけあったり、中でもゴボウしばきあい対決はとにかく嫌いだった。
見ている方は面白かったが、「何が面白いのかわからん。みんなが笑っていたらいいけど、そこには笑わせているという何かがないと…。(モリマン対決は)笑われている…」と、方正本人が"おいしい企画"とは思えず、屈辱でしかなかったと明かした。

その後、39歳のときに自分の人生を振り返り、「初心の芸人像に戻ろう」と思った。
初めて桂枝雀の落語を聞き、「コレや!」と感じて、即座に落語家に転身することを決意して、月亭八方に弟子入りを志願。

2012年には落語に専念するために大阪に移り住み、2013年には、山崎邦正から月亭方正に改名した。

そして、「スベるとか落語にはありえへん。とにかく一生懸命にできる。師匠には、命を与えて頂いた」と、本来自分が求めていた、"人を笑わせる"ことができるようになり、今は幸せであると語った。