学生の窓口編集部

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年末になると混み合うのが「宅配便」。年越しパーティ用の景品が年明けに届いた!なんてことにならないよう、早めに注文しておきたいものです。

宅配便の元祖である「飛脚(ひきゃく)」は、東京〜大阪間を10日で往復できる健脚の持ち主で、通常便の手紙でも6,000円、速達は14万円!と高額を稼げる仕事でした。大名や政府専用の飛脚も存在し、配達中に見かけた「事件」を報告するスパイも兼ねていたのです。

■東京〜大阪、3日の旅で70万円?

宅配便のように個人が利用できる「飛脚」が定着したのは江戸時代で、1663年に大阪の商人がはじめたと言われています。東京〜大阪の長距離便に加え、その街での配達を請け負う飛脚問屋も誕生し、やがて多くの地域に広まっていきました。このシステムは現在も同じで、現在の物流システムは300年以上前に設計されたと表現できます。

主要拠点である江戸〜大阪間は利用頻度が高く、ひと月に3便あったことから「三度飛脚」とも呼ばれていました。10日で1往復、つまりは5日後には荷物が届くのですから、現代でも許容できるスピードです。当時は旅行も徒歩が当たり前で、江戸〜京都の目安が2週間程度、その3倍近くで手紙や荷物が届くのですから、商人にとっては非常に有り難い存在だったのです。

当時の宅配便の料金はいくらぐらいだったのでしょうか? 現在の「郵便」のように、ほかの荷物といっしょに運ばれる手紙でも6千円、専用のチャーター便では14〜15万円と、非常に高額だったと記録されています。

「送料」と考えれば高額すぎですが、現在なら「出張扱い」の距離なので、宿泊費や帰り道の費用ももらわないと割に合いません。往復10日なら日当15,000円ほどとなり、現代の物価に照らし合わせても決して高すぎるとはいえません。

新幹線の東京〜新大阪間はおよそ500km、これを基準に考えても1日100kmも「走る」のですから、誰でも飛脚になれたわけではありません。片道3日、送料70万円!の超・特急便も存在したほどですから、当時の飛脚は花形職業だったのです。

■配達中に「スパイ活動」

飛脚の仕事は「物流」だけではありません。なんと「スパイ活動」も担っていたのです。

飛脚は大きく分けて3種類あり、いま風に表現すると、

 ・飛脚問屋 … 民営の物流会社

 ・継(つぎ)飛脚 … 政府専用

 ・大名飛脚 … 企業専用

で、政府専用便は鎌倉時代以前の駅制(えきせい)をルーツに持ち、「駅」と呼ばれる拠点を中継するシステムのため「継」の名が残されたのです。余談ですが、正月の行事として定着した「駅伝」もこれが起源です。

当時もっとも不足していたのは「情報」で、大名、藩ともに「自分以外」の様子を知るのは至難のワザでした。遠隔地となればなおさらで、反逆者がいないか、悪いことを企んでいないかと、なにかにつけて幕府も「聞き耳」を立てていたのです。この環境でだいじな情報源となったのは飛脚で、

 ・遠く離れた場所にも合法的に行かれる

 ・途中で多くの国(=藩)を通過する

ため、配達中に見聞きした情報は非常に価値あるもので、幕府にたてつく準備はもちろん、一揆や天災、流行病やききんなど、「異常」と思える情報を得ると、飛脚は江戸城の番所に駆け込み伝える義務があったのです。

現代なら「チクり屋」と呼ばれそうですが、クレジットカードの「エキスプレス」も運送業者だった「名残り」ですから、交通機関が発達していない時代の物流は、さまざまな仕事を兼ねていたのです。

■まとめ

 ・誰でも利用できる宅配便は、江戸時代の飛脚がルーツ

 ・東京〜大阪間の特急便を依頼すると、14〜15万円もの費用がかかった

 ・政府専用の「継飛脚」、藩専用の「大名飛脚」も存在した

 ・配達中に見聞きした不穏な情報を、幕府に「チクる」のも仕事だった

(関口 寿/ガリレオワークス)