HIKAKIN、世間のYouTuber批判も成長のバネに「僕は打たれ強いタイプなのかな」
YouTubeにアップした動画再生に伴う広告収入で生活する、YouTubeのプロフェッショナル「YouTuber」。HIKAKINはその日本代表として知られ、現在20億回を超える総再生回数を誇っている。2013年にはエアロスミスのツアーに参加し、海外スターとの共演を果たすなど、活動の枠は広がるばかり。そんなHIKAKINに、彼をつくった子ども時代の経験や、YouTuberとしての生活スタイル、YouTuberを取り巻く環境について語ってもらった。
撮影/後藤倫人 取材・文/照沼健太
――「有名になりたい」という気持ちから、YouTubeに投稿するようになったそうですが、芸能人になりたかったのでしょうか?
もともとはビートボクサーとして有名になりたいと思っていたんです。小学生の頃に『力の限りゴーゴゴー!!』(フジテレビ系)という番組内の『ハモネプ』というコーナーで、ボイパ(ボイスパーカッション)のパフォーマンスを観て感動したのがすべての始まりですね。
――小さい頃はどんな子どもでしたか?
教室のすみっこにいる、ちょっと変わった少年という感じでした。それでいてビートボックスができる、みたいな(笑)。あとは運動するのが好きで、スキージャンプは小3からやっていました。でもスキージャンプは部活みたいな感じもあって、やりきった感もあって高3で引退し、それからはビートボックス一本に絞りました。
――HIKAKINさんの動画からは『コロコロコミック』的なカルチャーを感じるのですが、そういった系統のホビーには夢中になりましたか?
はい、ポケモンやデジモン、たまごっちはやってましたし、遊戯王カードには相当ハマりましたね。ミニ四駆やビーダマンとかも好きでした。
――ビートボックスは友達と一緒にではなく、ひとりでやっていたのでしょうか?
基本ひとりでしたね。でも中・高のときはビートボックスができるヤツが友達にいたので、そいつと音楽室で練習したり、文化祭で一緒に披露したりもしました。
――独学で練習を?
そうです。見よう見まねで練習していました。だからYouTubeを見るようになって、「海外にはスゴい人たちがたくさんいる!」と驚きました。
――YouTube以前は、他のビートボクサーのことをどのように調べていたのですか?
当時、映像なしで音だけが投稿される掲示板があったんですよ。実家のパソコンが古すぎて、MP3がなかなか再生できなくて困ったのも思い出です(笑)。
――高校生の頃からYouTubeチャンネルを開設していたそうですが、主戦場としてYouTubeを選んだ理由は?
イベントとかで「盛り上がってますか〜!?」みたいなことを言えるタイプの人間でもないので、自然とYouTubeを選びました。
――人前に出ることがあまり得意ではないんですね。YouTubeに顔出しの動画を投稿するのはハードルが高くなかったですか?
うーん…人前で話すのが苦手なだけで、ビデオなら友達に話してる感覚に近いというか。だから素に近い状態でいられていると思います。
――YouTuberへの道を進むことになったきっかけは?
2011年、ビートボックスのパフォーマンスを依頼されたYouTubeのイベントで、アメリカのトップYouTuberである、ミシェル・ファンさんの講演を聞いたことです。当時はまだ「YouTuber」という言葉もなかったのですが、「アメリカにはYouTubeセレブと呼ばれる人が複数いて、私は実際にYouTubeに動画をアップすることで生活している」という内容でした。僕にとってはYouTubeが仕事になるということ自体がとにかく衝撃でしたね。
――なるほど。そこからどのように活動しましたか?
その講演の会場でYouTubeの中の人とお会いしたのですが、そこで「こうやれば伸びるというポイントがあるのですが、やってみませんか?」と言われて、「お願いします!なんでもやります!」と(笑)。
――具体的にはどういったポイントを変えていったのでしょうか?
その方にスケジュールを立てていただいて、月3本アップするようにしたり、動画の最後には「チャンネル登録してね」って言ったり。今では当たり前とされているけど、当時は誰も知らなかったことを、教わった通り忠実にやっていきました。
――その後、仕事をYouTube1本にできると確信したのは、いつごろですか?
2011年10月ですね。その方とお会いしたのが同年6月で、「3ヶ月あれば大丈夫です」と言われていたんです。で、実際に3ヶ月目の9月時点で大丈夫というところまできたんですが、僕は心配症なのでもう1ヶ月様子を見ました(笑)。
――YouTuberになると決め、それまでの職場であるスーパーの仕事を辞めるにあたり、ご家族には相談されましたか?
もちろん話しました。でもわりと軽いノリの反応で、言われたのは「(収入が)スーパーの給料を超えないとダメ」ってことくらい(笑)。
――スーパーでの経験が活きていることなどありますか?
POPを作るのに使っていたフォトショップとイラストレーターのスキルですかね(笑)。あとは日々の仕事がかなりキツかったので、精神力が鍛えられたのもあると思います。
撮影/後藤倫人 取材・文/照沼健太
教室のすみっこにいた少年時代
――「有名になりたい」という気持ちから、YouTubeに投稿するようになったそうですが、芸能人になりたかったのでしょうか?
もともとはビートボクサーとして有名になりたいと思っていたんです。小学生の頃に『力の限りゴーゴゴー!!』(フジテレビ系)という番組内の『ハモネプ』というコーナーで、ボイパ(ボイスパーカッション)のパフォーマンスを観て感動したのがすべての始まりですね。
――小さい頃はどんな子どもでしたか?
教室のすみっこにいる、ちょっと変わった少年という感じでした。それでいてビートボックスができる、みたいな(笑)。あとは運動するのが好きで、スキージャンプは小3からやっていました。でもスキージャンプは部活みたいな感じもあって、やりきった感もあって高3で引退し、それからはビートボックス一本に絞りました。
――HIKAKINさんの動画からは『コロコロコミック』的なカルチャーを感じるのですが、そういった系統のホビーには夢中になりましたか?
はい、ポケモンやデジモン、たまごっちはやってましたし、遊戯王カードには相当ハマりましたね。ミニ四駆やビーダマンとかも好きでした。
――ビートボックスは友達と一緒にではなく、ひとりでやっていたのでしょうか?
基本ひとりでしたね。でも中・高のときはビートボックスができるヤツが友達にいたので、そいつと音楽室で練習したり、文化祭で一緒に披露したりもしました。
――独学で練習を?
そうです。見よう見まねで練習していました。だからYouTubeを見るようになって、「海外にはスゴい人たちがたくさんいる!」と驚きました。
――YouTube以前は、他のビートボクサーのことをどのように調べていたのですか?
当時、映像なしで音だけが投稿される掲示板があったんですよ。実家のパソコンが古すぎて、MP3がなかなか再生できなくて困ったのも思い出です(笑)。
「好きなことで生きていく」と決めた日
――高校生の頃からYouTubeチャンネルを開設していたそうですが、主戦場としてYouTubeを選んだ理由は?
イベントとかで「盛り上がってますか〜!?」みたいなことを言えるタイプの人間でもないので、自然とYouTubeを選びました。
――人前に出ることがあまり得意ではないんですね。YouTubeに顔出しの動画を投稿するのはハードルが高くなかったですか?
うーん…人前で話すのが苦手なだけで、ビデオなら友達に話してる感覚に近いというか。だから素に近い状態でいられていると思います。
――YouTuberへの道を進むことになったきっかけは?
2011年、ビートボックスのパフォーマンスを依頼されたYouTubeのイベントで、アメリカのトップYouTuberである、ミシェル・ファンさんの講演を聞いたことです。当時はまだ「YouTuber」という言葉もなかったのですが、「アメリカにはYouTubeセレブと呼ばれる人が複数いて、私は実際にYouTubeに動画をアップすることで生活している」という内容でした。僕にとってはYouTubeが仕事になるということ自体がとにかく衝撃でしたね。
――なるほど。そこからどのように活動しましたか?
その講演の会場でYouTubeの中の人とお会いしたのですが、そこで「こうやれば伸びるというポイントがあるのですが、やってみませんか?」と言われて、「お願いします!なんでもやります!」と(笑)。
――具体的にはどういったポイントを変えていったのでしょうか?
その方にスケジュールを立てていただいて、月3本アップするようにしたり、動画の最後には「チャンネル登録してね」って言ったり。今では当たり前とされているけど、当時は誰も知らなかったことを、教わった通り忠実にやっていきました。
――その後、仕事をYouTube1本にできると確信したのは、いつごろですか?
2011年10月ですね。その方とお会いしたのが同年6月で、「3ヶ月あれば大丈夫です」と言われていたんです。で、実際に3ヶ月目の9月時点で大丈夫というところまできたんですが、僕は心配症なのでもう1ヶ月様子を見ました(笑)。
――YouTuberになると決め、それまでの職場であるスーパーの仕事を辞めるにあたり、ご家族には相談されましたか?
もちろん話しました。でもわりと軽いノリの反応で、言われたのは「(収入が)スーパーの給料を超えないとダメ」ってことくらい(笑)。
――スーパーでの経験が活きていることなどありますか?
POPを作るのに使っていたフォトショップとイラストレーターのスキルですかね(笑)。あとは日々の仕事がかなりキツかったので、精神力が鍛えられたのもあると思います。