世界に影響を与えた100冊の本&文書をリスト化するとこんな感じ

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by Flickr: David Blackwell.'s Photostream

何十年・何百年と1冊の本が読み続けられることは非常にまれなことですが、一方で今もなお読まれている本も存在します。「軽い読書にオススメ」とは言えませんが、聖書やシェイクスピアから「ベルゼバブの孫への話」といった聞き慣れないものまで、「人類の歴史に大きな影響を与えた」という観点で選ばれた本&文書をまとめたのがマーティン・セイモア・スミスのThe 100 Most Influential Books Ever Written(世界を変えた100冊)です。海外での書評としては、このリスト自体が人文学のイントロ・入り口としてはよくできているので、原著に当たるべしとなっているものが多くなっており、これら100冊を入手して読破すればある種の達成感が得られるだけでなく、もっと違う価値を自分自身にもたらしてくれるはずです。

The 100 Most Influential Books Ever Written by Martin Seymour-Smith - The Greatest Books
http://thegreatestbooks.org/lists/45

◆01:一九八四年[新訳版]:ジョージ・オーウェル/高橋和久 訳


〈ビッグ・ブラザー〉率いる党が支配する全体主義的近未来。ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改竄が仕事だった。しかし彼は、以前より完璧な屈従を強いる体制に不満を抱いていた。ある時、奔放な美女ジュリアと出会ったことを契機に、伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に惹かれるようになるが……。


◆02:アエネーイス:ウェルギリウス/杉本正俊 訳


ローマ最盛期の詩人ウェルギリウス(前70~前19)が晩年の10年間に取り組んだ『アエネーイス』は、ギリシアの『イーリアス』『オデュッセイア』に比すべきラテン語最高の叙事詩として、すでに刊行前から上々の評判を得ていた。主人公のアエネーアースには時の権力者アウグストゥスの面影があるといわれ、作者の死によって未完に終わったこの作品は、アウグストゥスの強い意向を受けて出版された。
だが刊行されるやただちにベストセラーになった『アエネーイス』が、はるか後世のルネサンス期を超え、今日まで長く愛好された事実は、単に一権力者の強い推薦を受けたからというだけでは説明しきれない。むしろそれはひとえにこの作品が、歴史の転回点に立つ人間の諸問題を的確に捉え、つねに新しい読者を獲得する「読み物」としての魅力を、豊富に持っているからこそであった。たとえばアエネーアースはトローヤからイタリアまでの長い遍歴の途中、カルターゴーの女王ディードーとの悲劇的な出会いを経験するのだが、詩人が主人公を、魔女や妖怪などではなく、このような感性豊かな女性に巡り会わせた瞬間に、ひとりの個人の心に焦点をあてた新しい文学の地平が開かれたと言ってよい。作品は、「ローマ建国」を語るという叙事詩の大枠は守りつつ、戦争など人間集団が引き起こす厄災や、社会の課す重圧の下で苦しむ人々の姿を赤裸々に描いて、詩人の領分を大きく広げたのだ。
『アエネーイス』が長く読まれた西欧では、それは『聖書』を補完しつつ相対化させる、精神文化の重要な源流の一つであった。そこに溢れるローマ的心情、その言葉に反映するローマ的美、読むたびに生き生きと蘇る物語の世界は、これからも読者を魅了し続けるに違いない。
しかし日本では、『アエネーイス』は、「ホメーロスの模倣」であるという一時一部に行われた説の影響を受けて、タイトルの知名度に比して、作品自体の独特で無比の味わいは、今もあまり知られていないのが現状ではあるまいか。本訳はこの「誤解」を解き、『アエネーイス』をわれわれの古典とすべく、現代人が心から堪能できるような訳を試みた。(すぎもと・まさとし)


◆03:天地創造に関する比喩的解釈(Allegorical Expositions of the Holy Laws):アレクサンドリアのフィロン


アレクサンドリアのフィロン((ラテン語:Philon Alexandrinus、ヘブライ語:יוסף בןפילון האלכסנדרוני、紀元前20/30年? - 紀元後40/45年?)は、ローマ帝国ユリウス・クラウディウス朝時期にアレクサンドリアで活躍したユダヤ人哲学者。豊かなギリシア哲学の知識をユダヤ教思想の解釈に初めて適用した。ギリシア哲学を援用したフィロンの業績はユダヤ人には受け入れられず、むしろ初期キリスト教徒に受け入れられ、キリスト教思想のルーツの1つとなった。

なお、入門書として「アレクサンドリアのフィロン入門」というのがあります。

◆04:論語:孔子/金谷治 訳


以下のレビューが非常に参考になります。
論語を通読することが出来たのは、この本のおかげである。学生時代から、何度も手に取ってみては、「なんじゃこれは?」と、まったく興味を持てずにいた。なんか古くさい本、ぐらいにしか思えなかった。哲学科の他の学生たちも、実存主義やら構造主義やら、フランスやドイツの哲学をありがたがっているヤツばかりで、そんな雰囲気に飲み込まれていたからだろう。

しかし、年を重ねるに連れて西洋哲学が生きる力になり得ないことを、イヤというほど味わった。そんなとき呉智英氏の「現代人の論語」を読んで、「論語」に対する味方が変わり、お説教ではなく、当時の革命家が書いた本だと思って読んでみると、なかなかにおもしろいことに気付かされた。

もっとざっくばらんに、自分なりに読めるようになると、ますます共感を得られる文章に出会えて、手放せなくなった。白川静氏の言うように、敗北者の書であるという見方も、今の自分の姿から心地良いのかも知れない。

中年になったからこそ味わえたのか、人生の挫折を味わったからこそ読めるようになったのか、本当のところは僕自身にもわからないけど、いろんな処世の書より、心の深いところへ届く言葉が満載されていることを知ってしまった。それもこれも、金谷先生が仰るように、翻訳スタイルとしての「論語」を上梓して下さったからだと感謝している。


◆05:人間悟性論〈上巻〉:ジョン・ロック/加藤卯一郎 訳


「人間知性論」とも訳される書籍で、内容としてはWikipediaによると以下のようになっています。
本書の中心的な主題は人間の知識である。人間の知識がどれほどの範囲内において確実性を持ちうるのかを明らかにすることが重要な問題であり、ロックは内省的方法によってこの問題の研究を行っている。このことによって、ロックは人間の理解がどのような対象を扱うのに適しており、またどのような対象には適していないのかを明らかにすることを試みる。

つまり本書『人間悟性論』はあらゆる事柄を明らかにすることではなく、人間の行為に関連するものを知ることを研究の目標としている。ロックは基本的な視座として知識の限界を識別することで悟性を観察対象とする。そして観念が発生する起源、悟性が観念により得る知識の性質と範囲、そして信仰や見解の根源について順に検討する。


◆06:人口論:マルサス/斉藤悦則 訳


内容のレビューとしては以下が非常にわかりやすいです。
本書の原題は、第二版以降で以下のようになる。
『An Essay on the Principle of Population, or, a View of its past and present effects on human happiness : with an inquiry into our prospects respecting the future removal or mitigation of the evils which it occasions.』
拙訳すれば
「人口の原理に関する小論、または人類の幸福に対する過去および現在の影響についての見解:
人類の幸福に対する影響を引き起こす悪徳の将来の除去や緩和についての見通しの研究による」

人口の原理について
マルサスは基本的な二つの自明である前提を置く。
・第一に食糧(生活資源)が人類の生存に必要である。
・第二に異性間の情欲は必ず存在する。

この二つの前提から導き出されるのは、次のような考察である。
人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが生活資源は算術級数的にしか増加しない。
人口の増加が生活資源を生産する土地の能力よりも不等に大きいため、
するとそこには必然的に貧困が出現する。
人口増の継続は、生活資源の継続的な不足をもたらし、重大な貧困問題に直面する。
人口が多いために労働者は過剰供給となり、また生活資源は過少供給となるからである。
このような状況で結婚することや、家族を養うことは困難であるために人口増はここで停滞することになる。
安い労働力で新たな事業などが進められることで、初めて生活資源の供給量が徐々に増加することが可能となり、
最初の人口と生活資源の均衡が回復されていく。
社会ではこのような人口の原理に従った歴史が反覆されているのである。

しかし、この繰り返しはいつか行き詰まるのではないか。
地球は有限だからである。
貧乏人が貧乏なのは貧乏人のせいである。ということになりはしないか。
誰か教えてください。


◆07:年代記〈上〉ティベリウス帝からネロ帝へ:タキトゥス/国原吉之助 訳


どのような内容かというのは以下のレビューが理解しやすいです。
古代ローマ最大の歴史家といわれるタキトゥスによる、ローマ帝国2代皇帝ティベリウス帝から5代ネロ帝に至るまでの歴史を描いた歴史書。

名文家としても名高いタキトゥスの筆致は臨場感にあふれ、激動の時代が間近に迫ってくるかのよう。

暴君の代名詞といってもいいネロはもちろん、他の四人に対してもタキトゥスは容赦なくその暴力性、非道徳性を責め立て、彼らに追随した元老院議員たちの所業を嘆く。

その歴史的判断の是非はひとまず置いておくとしても、タキトゥス節といってもいい語り口は読むものを飽きさせない。

残念なのは欠落部分が多いこと。特にネロ帝の最期の場面がどう描かれていたかが不明なのは非常に残念だ。

ローマ史に関心がある人にとっては必読と言っていい書物だが、ある程度の予備知識はやはり必要。より深くローマ史を知りたい人向け。


◆08:原典訳 アヴェスター:伊藤義教 訳


シルクロードを通じ、通商の民ソグド人によって中央アジアに広く伝えられた、拝火教ことゾロアスター教。その聖典『アヴェスター』は世界最古の宗教経典とされ、「ヤスナ(祭儀書)」「ウィーデーウ(除魔書)」「ヤシュト(神々への讃歌)」などからなる。本書はそのうち最重要といわれる、ヤスナの中の韻詩文を中心に精選し、原典から訳出した唯一の邦訳である。ゾロアスター教は唐の都・長安でも信仰される一方、その“善悪二元論”“一神教”などの思想は、キリスト教や西洋思想、仏教にも大きく影響したと言われる。古典としてのみならず、比較思想にも欠かせない必携書。


◆09:ベルゼバブの孫への話―人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判:G.I.グルジエフ/浅井雅志 訳


人間はどこへ向かうのか。賢者ベルゼバブが語る、惑星地球の三脳生物=人間をめぐる大宇宙史。

上記の簡単な内容説明だけだと意味不明なのですが、以下のレビューを読めばその中身の一端がうかがえます。
『ベルゼバブの孫への話』は難解と言われているが、一般的な哲学書に比べれば要旨は明快、論理は簡潔で、ストレスなくスラスラ読むことができる。これには訳の良さが大いに関係しているのだろう。
またヘプタパラパーシノクとトリアマジカムノというグルジェフ思想の重要概念にしても、ウスペンスキーの『奇蹟を求めて』と読み合わせれば、理解するのはそう難しくはない。
確かに『ベルゼバブの孫への話』と『奇蹟を求めて』の間には、前者の前提が三脳生物・三センター生物、後者の前提が三つの中枢(肉体・アストラル体・メンタル体)・四つの機能(思考・感情・運動・本能)・五つのセンター(本能・動作・性、感覚・意識)といった大きな違いがある。『奇蹟を求めて』が機能主義的なら『ベルゼバブの孫への話』はより解剖学的、生物学的なのである。
しかしそうした違いをあげつらうより、『ベルゼバブの孫への話』の真骨頂は読者が自らの実生活と照らし合わせた時にこそ発揮される。やはりグルジェフが自分の言葉で書いただけあって、彼のメッセージが直に響いて来るのだ。

例えば次のようなことが語られている。

「実際だな、坊や。わしが地球に滞在した時、あちこち旅行してさまざまな種族の猿を見る機会があったが、その時彼らを、わしの第二の天性とも言うべきものになった習慣からよくよく観察してみると、あることが明瞭に見て取れた。
つまり、地球にいる現代の猿の各種族が持っている内的な機能全体、およびいわゆる〈機械的にとる姿勢〉は、正常な形で誕生した何種類かの四足生物の身体に見られるものと酷似しており、それにまた彼らの〈顔の表情〉もこれらの四足生物と驚くほどの共通性がある。
しかし一方では、猿の全種族に見られるいわゆる〈精神的特徴〉は、最も細かな点に至るまで、三脳生物の〈女性〉と正確に一致しているのだ。」P.185

世の女性が読めば憤慨するかもしれないが、猿と女性の類似は否定できない事実だ。
どんなに美しい外見や優雅な仕草をしていても、一皮剥けば女性の〈精神的特徴〉は最も細かな点に至るまで猿と同じである。
これは私自身が自らの経験から得た本質的理解であり、自信を持って請合える〈真理〉である。
かかる〈真理〉ある故に私にとって『ベルゼバブの孫への話』は、人生の指南書、人間関係を理解するための実用書になっている。

他のレビューでも言われているが、本書の言葉は不思議と心に響いて来る。
恐らくその響きは読む人それぞれに異なるのだろう。
しかし人生に悩んだ時、物事に行き詰まった時、本書をひもとく者はグルジェフから生きる力をもらったように感じるのではないだろうか。


◆10:存在と無〈1〉現象学的存在論の試み:ジャン・ポール・サルトル/松浪信三郎 訳


人間の意識の在り方(実存)を精緻に分析し、存在と無の弁証法を問い究めた、サルトルの哲学的主著。根源的な選択を見出すための実存的精神分析、人間の絶対的自由の提唱など、世界に与えた影響は計り知れない。フッサールの現象学的方法とハイデッガーの現存在分析のアプローチに依りながら、ヘーゲルの「即自」と「対自」を、事物の存在と意識の存在と解釈し、実存を捉える。20世紀フランス哲学の古典として、また、さまざまな現代思想の源流とも位置づけられる不朽の名著。


◆11:自由と尊厳を超えて:B・F・スキナー/山形浩生 訳


核戦争、食糧不足、環境破壊…。人類が直面する問題を我々はどう解決すればいいのか。行動の原因を心ではなく環境に求め、よりよい世界を科学的につくりだすことを説く。20世紀の心理学界に絶大な影響を与えたスキナーが、自由と尊厳の見方をくつがえして波紋を呼んだ名著、待望の新訳。


◆12:カンディード 他五篇:ヴォルテール/植田祐次 訳


本を読む楽しみ: ヴォルテール 「カンディード」 自分の庭を耕すこと」というブログのエントリーが内容の説明としてはかなりわかりやすいです。
哲学の恩師パングロス博士から教えられたライプニッツの最善説を純真なカンディードは純粋に信じているのだが、現実は悲惨さや苦難ばかりが続き、辛く厳しい事件で埋め尽くされている。故郷を追われ、恩師パングロスや愛するキュネゴンドとは死に別れてしまう。いったい最善説が教えてくれる最善の状態とは何なのだろうか。このような苦しく厳しい現実であっても最善と呼べるのであろうか。時には、好いことが巡りくる。死に別れたと思った恩師や愛人に再会するのである。しかし、それは束の間で、すぐに生き別れてしまう。

主人公やその周囲にいる人物ばかりでなく、物語に登場する王侯貴族、聖職者、軍人、市民などの人物たちも、自分自身のエゴからくる悪意に操られているか、運命によって翻弄されているかで、幸せな者などはいない。宮廷の腐敗、宗教裁判、戦争、海賊、裏切り、詐欺、梅毒など数えたらきりが無いヨーロッパ社会の暗い面の現実を訴えている。

しかし、一つだけ例外の場所がある。南米奥地にあるエルドラドである。エルドラドは伝説の理想境であるが、カンディードはここに偶然から迷い込んでしまう。そこでは、金銀宝石が地に満ち溢れるが、人々は見向きもしない。食べ物は豊富に行き渡り、人々の心は豊かで慈悲深い。このように夢のような理想境であるにも関わらず、カンディードはエルドラドに留まらないで、厳しい現実が待つヨーロッパへと戻っていくのである。夢や幻ではなく現実を直視して、そこで力強く生きよというヴォルテールのメッセージが感じられる。実際、カンディードは、エルドラドを除くとほとんどの場所で過酷な現実と向き合うのだが、くじけることなく前に進み続けるのである。


◆13:ソローの市民的不服従―悪しき「市民政府」に抵抗せよ:ヘンリー・デイヴィッド・ソロー/佐藤雅彦 訳


1846年、29歳のソローは「人頭税」の支払いを拒んで逮捕=投獄された。その体験をもとに政府が“怪物”のような存在であることや、彼自身“良き市民として生きていく覚悟”を説く。


◆14:コモン・センス 他三篇:トーマス・ペイン/小松春雄 訳


「コモン・センス」とは日本語で言うと「常識」という意味であり、世界史などでこの名前を知っている人も多いはずですが、書籍と言うよりは「パンフレット」に近いものの、その影響力はすさまじく、当時の250万人の人口のうち最初の3ヶ月で12万部、そして最終的に50万部にも達しており、新しい「常識」を打ち立ててどれだけ歴史を変えたかというのは以下のレビューが簡潔にまとめています。
「常識」を疑い、問い直し、新たな「常識」を作り出すのは難しい。現在の日本でもそうだが、社会的に深く根付いた「常識」(通念、認識、慣習、制度etc.)を問い直し、反対派の言説を論破し、新たな「常識」を紡ぎだして普及させていくのは非常に骨の折れるプロセスである。本書トマス・ペイン『コモン・センス』はまさに既存のイギリス植民地体制下の「常識」の非常識さを露にしつつ、独立という新たな「常識」を社会に提示し、受容せしめることに成功した歴史的な文書である。

誇るべきイギリス憲法を読み解き、その構造上の欠陥を明らかにする。世襲君主制こそが無用な内乱を防止し平和に寄与するという「常識」を論破する。さらに、イギリスは「祖国」であるという愛国的な「常識」。アメリカの繁栄はイギリスによってもたらされたのであり、今後もイギリスとの結びつきが必要であり、利益になるという経済的「常識」。独立しようにもアメリカはイギリスの軍事力には到底対抗できないとする軍事的「常識」。イギリスからの分離に壁となって立ち塞がる社会的に広く深く根付いたこれらの「常識」の数々を、ペインは一つ一つ根拠を提示しながらその非常識さを平易にかつ説得的に浮き彫りにしつつ、独立宣言こそがアメリカにとって最も理にかない、かつ現実主義的な道であることを論証していく。

「常識」と思われていたことも時と共に非合理的な非常識になっていく。ペインが教えてくれるのはそのことであり、「常識」には常に再検討の余地があるということである。このような批判的合理主義に、アメリカ独立革命を支えたリアリズムの片鱗が垣間見れるような気がしてならない。『ザ・フェデラリスト』(岩波文庫)と合わせて是非。


◆15:マルクス・エンゲルス 共産党宣言:マルクス,エンゲルス/大内兵衛・向坂逸郎 訳


「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」という有名な句に始まるこの宣言は、階級闘争におけるプロレタリアートの役割を明らかにしたマルクス主義の基本文献。マルクス(1818‐83)とエンゲルス(1820‐95)が1847年に起草、翌年の二月革命直前に発表以来、あらゆるプロレタリア運動の指針となった歴史的文書である。


◆16:告白 上:アウグスティヌス/服部英次郎 訳


一体何を「告白」しているのかというのは以下の殿堂入りレビュアーによるレビューがよくまとまっています。

アウグスティヌスが、神についてなど神学・哲学的なことに思いをめぐらせつつも、現在の視点で過去を語る本。

上巻では、幼少時代から33歳の時までを語っていく。子供時代、学問をおろそかにしたこと、

学問といってもそれは汚らわしいローマ神話などであったことを述べ、神に対するよりも文法の誤りに気をとられる人々を嘆く。

16歳で皆と一緒に盗みをはたらいたこと、演劇に熱中したこと、マニ教に惹かれていったこと、

盗みを共謀し、一方では慰めにもなる友人というものについて、さらに語る。

続いて、マニ教では説明がうまくつかなかったこと、同棲生活、ミラノ司教アンブロシウスとの出会いとカトリックの理解、

10歳の少女(!)との婚約、自らの思考を述べ、ついに洗礼を受けたこと、そしてまもなく母モニカが亡くなったことを述べる。

現在のカトリックとしての立場から過去の自分のあらゆる側面を告白し、弾劾しているが、

自分がどんなに堕落しても息子の洗礼を願い、息子のために祈り続けていた母モニカの姿がそこにはいつもある。

カトリックの厳しい目で自らを省みるため、現代日本に住む無宗教の人間からすると、驚かされることも多い。

本書は上巻だけで9巻に分かれており、さらにそのなかで細かく章に分かれているので、各章せいぜい数ページなので、

少しずつ読むこともできます。字は小さく、訳文は(原文が難解なのでしょうが)時折わかりにくく、

なぜこのように始まった文章がこのように終わるのか?と思わされることもしばしばでした。


◆17:告白 上:ジャン・ジャック・ルソー/桑原武夫 訳


ルソーの「告白」の中身は以下のレビューが理解しやすくわかりやすいです。

ルソー(1779年没)の1712年生〜1765年の53年間の幼年、少年、青年、中年、初老に至る自叙伝である(上・中・下)。青年期以前の追想は文学的である。基底に、ある種の哀しさ、切なさが流れている様に思えた。甘くも苦しいというような相反する感情を懐かしく思い出させる。しかし美化に走りすぎることなく、自分の素質、性格、環境、経験等を率直に述べている。中年以降は人間関係に悩むルソーが被害妄想的になっていく様子が覗える。身分は低いが、世に出たい。が、社交下手ということでジレンマに陥っていく。
 女性に対するルソーの想いはこの自伝の大きな柱である。当時の恋情を語るルソーには熱がある。しかし、妻テレーズへの愛情はどれ程のものだったのか。嬰児を孤児院に入れたという事実がある。経済的事情が原因だと思われるが、罪悪感無しには出来なかっただろう。ルソーの弁明もあるが、道徳的には避けるべきことだったろう。私も「何故に?」と頭を離れなかった。ルソーとテレーズの苦衷が察せられる。ルソーの思想の偉大性は認められるところである。しかし、この行為の妥当性には疑問符を付けざるを得ない。もしかすると「告白」には記されない秘密があるのかもしれない。「告白」は赤裸々に自己を語っているが、孤児院の件は重要な割りに記述がアッサリしているからである。しかし、淡々と語ることによってしか哭声を抑えることが出来ない痛ましい過去なのかもしれない。理想主義者の一面と生活に苦しみ嬰児を手放すという一面の懸隔がルソーの生涯にはある。生きる上での人間の多面性を考えさせられた。


◆18:The Complete Works of Aristotle: The Revised Oxford Translation, Vol. 2:アリストテレス/Jonathan Barne 編


オックスフォード大学出版部が出した全十二巻の全集となっており、日本では新たに岩波書店が創業百年記念出版として、『新版 アリストテレス全集 全20巻+別巻』を出すことになっており、1968年から1973年に刊行された「アリストテレス全集」(全17巻)以来、実に40年ぶりとなります。既に「新版 アリストテレス全集 第1巻「カテゴリー論 命題論」」「新版 アリストテレス全集 第5巻「天界について 生成と消滅について」」が出ており、さらに「新版 アリストテレス全集 第7巻「魂について 自然学小論集」」が2014年2月7日に刊行予定です。

◆19:実証哲学講義オーギュスト・コント


コントは本書の冒頭で三段階の法則を提唱したことで知られている。三段階の法則とはあらゆる概念や知識が三つの段階を経ることを論じたものである。コントによれば人間の精神はこれまで神学的段階、形而上学的段階を経て実証的段階となり、これら段階はそれぞれ特徴的な思考様式を持っている。まず神学的段階ではあらゆる知識は宗教的、神学的な観点から直接的な意欲によって説明される。形而上学的段階では抽象化と人格化が行われ、客体として説明されている。そして実証的段階では事物の観察に基づいて現象は一般的法則によって説明されるのである。このような段階を経て新しい人間の知性の発展段階を捉えた上で、コントは科学の分類を行う。コントはこの分類が諸現象の比較によって求められた一般的な事実の表現であることが必要だと考えていた。コントは序列化によって第一に数学、第二に天文学、第三に物理学、第四に化学、第五に生物学、第六に社会学を据えた。ここでの社会学はコントが初めて呼称した呼び方であり、社会学は秩序としての社会静学と発展としての社会動学があり、前者は有機体としての社会を研究し、後者は三段階の法則に従って発展してきた社会発展を研究する学問と位置づけている。社会発展についてコントは神学的段階では社会は軍事的段階にあり、形而上学的段階では法律的段階、実証的段階では産業的段階にあると考えていた。


◆20:純粋理性批判 上:カント/篠田英雄 訳


人間は言葉を持ち、言葉をつなげてものごとを考えるが、カントは人間の能力、つまり「理性」とよばれる能力について、それをどのように働かせたらよいかを徹底して追究した。と言うのも、人間ひとりひとりの生き方は、その人間が自分の理性でものごとをどのように考えるかによって決まるからである。理性は、科学的知識を求める場面だけではなく、道徳とはなにか、美とはなにか、神や宗教とはなにかを考える場面でも働いている。科学的知識だけを絶対視する誤りを避け、また迷信や狂信に陥らないためには、これらのあらゆる場面で理性を正しく働かせるようにすることが必要である。カントは人間の自由と尊厳の確保を目指しつつ、こうした理性批判の道を歩んだのである。


◆21:ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信:ノーバート・ウィーナー/池原止戈夫、彌永昌吉、室賀三郎、戸田巌 訳


心の働きから生命や社会までをダイナミックな制御システムとして捉えようとした先駆的な書。本書の書名そのものが新しい学問領域を創成し、自然科学分野のみならず、社会科学の分野にも多大な影響を与えた。現在でも、人工知能や認知科学、カオスや自己組織化といった非線形現象一般を解析する研究の方法論の基礎となっている。


◆22:ローマ帝国衰亡史〈1〉五賢帝時代とローマ帝国衰亡の兆し:エドワード・ギボン/中野好夫 訳


ヨーロッパ古代世界に最大の版図をもち、多年隆盛を誇ったローマ帝国はなぜ滅びたのか。この「消えることのない、永遠の問い」に対する不朽の解答―18世紀イギリスの歴史家E・ギボンの名筆になる大歴史書の完訳。五賢帝時代のローマ帝国の版図、軍事力、繁栄ぶり、そして帝国衰亡の兆しとなる愚帝・暴帝コモンドゥス、カラカラ、ドミティアヌス、エラガバルスの登場をつくる。


◆23:物の本質について:ルクレーティウス/樋口勝彦 訳


この書物の価値は以下のレビューが「本訳書の価値」ということで以下のように論じています。

ちょっと私たちには実感がわきにくいかと、思うのですが、
神などのパーソナルな絶対者の意志を介在させずに、
世界を説明する、ということは、
キリスト教時代に入った西欧では、
言語を絶する、どてつもなく異端的、冒涜的な考え方でした。
ありえないわけです。道徳の意味がなくなってしまいます。
また異端扱いされがちだったプラトン、アリストテレス、プロティノスのような
ギリシア三大哲学者でさえ、神のような存在は想定していたわけです。

その中で、近代自然科学につながる発想を描き出し、
エピクロスとならび、ヒッソリとその貴重な源泉でありつづけた
ルクレティウスの本作品の重要性は、大変なものです。
潜在的に無神論者、自然科学者であった人たちの心を支え続けた本なのです。

その文体の華麗さも、ヒューマニズムの観点から、
本書に高い価値を与え、近代自然科学の発生を促す一助となったでしょう。

また訳者の樋口勝彦氏は、そのラテン語の能力では伝説的存在であったのですが、
残念ながら、完璧主義のためか、その仕事の量のストイックさでも知られた方でした。
本書はそのような樋口先生のお仕事の一つとしても、貴重なものといえます。


◆24:法句経:友松圓諦 訳


423編の美しい詩句からなるブッダ金言集経典中最古の警句集で,仏教の源泉・入門書.法句経一筋に生きた友松圓諦師の流麗な邦語訳は,最高の名訳である.巻末に,師の若き日の現代語訳および解説を付す


内容は以下の殿堂入りレビュアーにしてトップ50レビュアーの解説が理解しやすいです。

 著者(訳者)は、解説中で、法句経について、
「万人のポケットに用意すべきバイブルである」という言葉を
紹介されていますが、これは、誰にでも、きわめてわかりやすい経典です。

 バイブル(聖書)であるなら、その中の、「箴言(旧約聖書の中の一書)」
のような印象です。
 
 著者の訳と、後半には少々小さい文字ですべての
現代語訳がのっています。番号がふってありますので、
両者を容易に行き来することができます。

 無我(「自分」などというものはどこにも存在していない)、無情、
人生は苦しみ…というような仏教的に馴染みある文章も多々のっておりますが、
以下のような、自分を大切にするというような意味合いの言葉も見受けられ、親しみを感じます。

(法句経160 友松訳)

  おのれこそ
 おのれのよるべ
 おのれを措(お)きて
 誰によるべぞ
 
(現代語訳)
 まことに自己こそ自己の救護者である。
一体、誰がこの自己の外に救護者になりうるものがあろうか。
よく制せられた自己にこそ、吾らは他にえがたき救護者を見いだすことが
出来る。

 また、同著者の同じ講談社学術文庫の「法句経講義」という本も持っておりますが、
これは、友松さんによる解説が大半で、法句経の全文はのっておりません(ごく一部だけです)。

 ともあれ、納得できる実証的な内容で、読者の宗教の種類を問わず、
初心者にもわかりやすく、ご興味のあられる方々におすすめさせていただきます。


◆25:天文対話〈上〉:ガリレオ・ガリレイ/青木靖三 訳


コペルニクス体系の基礎を解明し、同時に新しい科学方法論を確立した不朽の名著。地動説論証のためにガリレイが直面しなければならなかったさまざまなスコラ学体系の難関・障壁と、それがいかにして突破されたかが如実に示されている。近代科学の黎明を告げる大著であり、科学革命の宣言書である。


◆26:Dictionary of the English Language(英語辞典):サミュエル・ジョンソン


内容は以下のサイトの「英語の歴史―辞書の編纂」という記事で触れられています。

貧しい本屋の息子として生まれたサミュエル・ジョンソンは、幼い頃の病気のせいで目と耳が悪く、経済的な事情でせっかく入学した大学も中退せざるを得なくなるなど、苦労を重ねた人であったようです。辞書の編纂以外にも、詩人や随筆家、文学批評家としても活躍しました。そのジョンソンが1755年に出版したのがこの A Dictionary of the English Language 。40,000を超える語を収め、単語の意味を説明するために、シェークスピア、ミルトンなどの著名な作家の作品の引用を用いている点が大きな特長。その引用の数は114,000件にものぼると言われ、「引用」を辞書に取り入れるという手法は、後世の辞書の編纂にも大きな影響を与えました。しかも、膨大な数の学者を登用して編纂されたフランス語の辞書などとは異なり、出版されるまでの約9年間、わずかな数のアシスタントを使うだけで、ほとんど自分一人で完成させたという点はまさに賞賛と感嘆に値します。それまでにも辞書の出版はありましたが、内容的には他の辞書をはるかに凌駕し、まさに最初の本格的な辞書と言っても過言ではないと思われます。19世紀末に Oxford English Dictionary が出されるまでの長い間、権威のある辞書として絶対的な地位を維持し続けました。


◆27:方法序説:ルネ・デカルト/山田弘明 訳


以下のレビューが非常に秀逸です。

デカルトのこの本を、今日の私たちは、偏見を持って読まない、ということはできない。
この本は、”我思う。故に我あり。”という、あまりに有名な言葉によって知られ、その言葉にまつわる読者それぞれの思いとともに読まれる。そうした読み方をされることが、運命付けられた本である。
哲学者の、しかも古典的な本ということを考えて読み始めると、冒頭の部分が、あまり哲学的な内容ではないことに戸惑う。
この本は、6部から構成されているが、最初の3部はいわば前置きであり、デカルトの生い立ちと、第4部で展開する彼の哲学の基本的な思想の発見までの経緯が語られている。
その第4部が、この本の中で最も知られている部分であり、”我思う。故に我あり。”という命題と、その後に続く、神の存在という命題を語ってる部分である。それは、日本語訳でもわずか13ページであり、やや拍子抜けするほど、あっさりしている。
第5部では、第4部で提示された命題をもとに、自然に対する思想が展開される。特に、心臓の構造に対する記述が多くを占めている。これは、人間や動物の肉体を機械のような物、と考えたデカルトの思想をよく表している。
第6部では、また第3部までのような、原理的な事よりは現実的な内容に話が移り、この本を出版するにいたった経緯が説明されている。
古典とは、時にこうしたものなのだろう。この本でいえば、第4部のわずか13ページがこの本をあまりに有名にした。しかし、あらためて読んでみれば、他の部分も興味深く読む事ができる。


◆28:神曲 地獄篇:ダンテ・アリギエーリ/寿岳文章 訳


詩人ダンテが、現身のまま、彼岸の旅を成就する物語『神曲』。「地獄篇」は、1300年の聖木曜日(4月7日)に35歳のダンテが、罪を寓意する暗い森のなかに迷い込むところから始まる。ラテンの大詩人ウェルギリウスに導かれて、およそ一昼夜、洗礼を受けていない者が罰せられる第一圏(辺獄)にはじまり、肉欲、異端、裏切りなど、さまざまな罪により罰せられる地獄の亡者たちのあいだを巡っていく。


◆29:ドン・キホーテ〈前篇1〉:セルバンテス/牛島信明 訳


上記の訳書は全6冊なのですが、どのような内容に仕上がっているかというのは以下の「最も偉大にして最も憂鬱な(?)書物」というレビューがわかりやすいです。

上のタイトルはドストエフスキーの発言であるが、いやいやどうして「憂鬱」とは言えないユーモアに溢れた小説である。
従士の言葉に耳も貸さず突進し、ぼろぼろになってサンチョに助けられるドン・キホーテ。
騎士道や名誉心に興味はなく、ただ主人の成功の分け前、島の領主を夢見る心優しきサンチョ・パンサ。

内的リアリティー、人物造形も深く掘り下げられている近代小説の祖たる小説。

訳者の牛島氏が「名ばかり聞こえて実際に読まれていない古典の大作」の『ドン・キホーテ』に一石を投じたのがこの本。
彼が上記の事実を考慮して、読みやすく、また彼のセルバンテス研究の成果をその翻訳に発揮し、
物語をよりスムーズにするような訳に注意を払っている。

もし冗長さの為に読んでいても退!屈だと思うなら、飛ばし読みをしても構わない。
それでもこの小説の面白さは十分伝わるだろうし、この冗長な記述、挿話は当時の習慣的なものである。
セルバンテス自身、序文において「気晴らし」に読んでもらうことを前提としていることだし、
力を入れずにのんびりと読んでみては?

ちなみに風車に突撃するという有名なシーンは〈前編1〉に収録。


◆30:キルケゴール著作集〈第1巻〉あれか, これか:S.キルケゴール


どのような内容かという解説はWikipediaの「あれか、これか」に非常に詳しくまとまっており、以下のようになっています。

本書はヴィクトル・エレミタがとある机の引き出しから二つの手記を入手し、それを出版するに至った経緯を述べるところから序文が始まっている。美的な人生を送ったAの手記と倫理的な人生を選んだBの手記にはそれぞれ全く異なる思想が対比的に示されている。

Aの手記で述べられている美的生活は次のような内容を含んでいる。現代の悲劇と古典の悲劇の内容には悲劇における罪の概念の相違があり、ギリシア悲劇は外因的な葛藤による罪であるが、アンティゴネーのような近代における悲劇は内因的な罪の意識であると見なす。人間の悲哀についても芸術では外部に表現できないような反省的悲哀を取り上げている。そして最も不幸な人間について追憶に妨げられるために希望の中に現在を生きることができない人、もしくは希望に妨げられることで追憶の中に現在を生きていると論じる。キルケゴールは娘が初恋の男を捨てて別の男と結婚し、彼こそ本物であると確信する娘の浅はかさを描き、また作物の収穫を増やすために土地を変えながら種をまく農夫を描く。享楽を追及する美的生活は常に刺激を求めることで対象を変化させ、変化がなくなると退屈になる。退屈は空虚感に基づいて発生し、それは人間に「眩暈」を起こすものである。それを避けるために人間は次々と新しい気晴らしを求めて気まぐれに生きる。キルケゴールの見解によるならば、美的生活の行き着く先は絶望に他ならない。

Bの手記ではAの著者、つまり美的生活にあけくれている友人に対する書簡として書かれている。まず結婚の美的価値について、結婚の本物の課題とは愛欲の要素と厳正な内面性を結合させることであり、率直さと誠実さとが結婚の条件であると述べられる。秘密を持ったまま結婚することはあってはならず、結婚愛において内面的な誠実こそが重要であり、どのような経年劣化に対しても永遠性を保ちうるものでなければならないと考える。つまり人生において人間は「あれか、これか」の一つを選ぶ必要があるのであり、美的生活に対してそれに矛盾する倫理的生活を選ぶことが主張される。この選択は自由に行うことが可能であり、自由な決断によって倫理的生活の義務と自らの使命を達成する。普遍人間的なものを実現しえない人間は自分自身が個性の限界に達している例外者であることを自覚し、それに相応する内面性を獲得することが示される。


◆31:百科全書―序論および代表項目:ディドロ/ダランベール 編/桑原武夫 訳


世界史では非常に有名な本なのですが、その中身については以下のレビューの指摘「意外にアンバランスな内容だった」が非常に納得できるものとなっています。

この本は、名前ばかりが先行しているが、実際は読んだことのあることが少ない、という種類の本の一つだろう。
実際に読んで見ると、その多彩な内容に、驚かされた。
統一感が無いとも言えるし、各項目の作者に、その内容を任せてしまったような印象を受けた。
ディドロによる序論が長いのはいいとして、同じディドロのマニュファクチュールは10ページ、平和という項目は、わずか4ページ。
その一方で、奢侈という項目は、36ページにも上る。
”啓蒙思想”という観点からは、そのアンバランスさは、現代人には理解できない。
一番意外だったのは、技術という項目。科学に比べて低く見られがちな技術について、その重要性を訴えていることだった。


◆32:エネアデス(抄)〈1〉:プロティノス/田中美知太郎、水地 宗明、田之頭安彦 訳


世界、あるいは全存在の構造を認識したいとする欲求と自己を至高のものへ同一化したい憧憬…「すべてのものの上にある神に近づき、合一する」ことを願った哲学書。


◆33:Enquiry Concerning Political Justice(政治的正義):ウィリアム・ゴドウィン


著者のウィリアム・ゴドウィンは無政府主義(アナキズム)の先駆者であり、この書物の歴史的位置づけは以下のようになっています。

1793年フランス革命直後、ゴドウィンの最も成功した著作『政治的正義』(Enquiry concerning Political Justice, and its Influence on General Virtue and Happiness 直訳すると『政治的正義に関する論考と、一般的美徳や幸福へのその影響』)が四つ折り版2冊で、わずか3ギニーという値段で売り出された。たちまち著者は当時の最も有力な社会哲学者として知られるようになり、その本はミルトンの『アレオパジティカ』やロックの『教育論』、ルソーの『エミール』に並ぶ地位を与えられた。サウジーやコールリッジ、ワーズワースのような青年詩人は当時大学生であったが、この本をむさぼり読み、政治教育の糧とした。『政治的正義』は4版を重ね、フランス革命の余波がイギリスで拡大し、首相ピットが騒擾の鎮圧に乗り出すようになり、ゴドウィンは政府や財産への攻撃を第2版後はゆるめた。


◆34:エセー〈1〉:ミシェル・ド モンテーニュ/宮下志朗 訳


 ミシェル・ド・モンテーニュは、16世紀フランスの思想家、モラリストである。彼が残した『エセー(随想録)』は、古典知識の集大成であると同時に、知識人の教養書として古くから受け入れられ、その真理探究の方法、人間認識の深さによってデカルト、パスカルなどの思想家に影響を与え、今日にいたるまで古典的な名著として多くの人々に読みつがれている。
 「わたしは何を知っているのか(ク・セ・ジュ)?」という句は、モンテーニュの言葉であるが、人間の理性、判断力、知識には限界があることを謙虚に認め、試行錯誤を恐れずに真理を追究しようとしたモンテーニュの思想をよく表している。
 新訳にあたり、訳者の宮下氏は以下のように記している。「わたしの基本方針は、とにかく、すっきりした気分で読み進められるような訳文をこころがけること。もちろん、モンテーニュ自身が、すっきりした書き方をしているわけではないから、このあたりは、かなり綱渡り的な作業になるのは仕方のないところ。それでも、なんとかして清新な訳文を構築して、次の世代に、この人生の書を確実に伝えたい」
 一例を次にあげよう。「どこで死が待ちかまえているのか、定かでないのだから、こちらが、いたるところで待ち受けよう。死についてあらかじめ考えることは、自由について考えることにほかならない。死に方を学んだ人間は、奴隷の心を忘れることができた人間なのだ。」

◆35:スピノザ エチカ抄:ベネディクトゥス・デ スピノザ/佐藤一郎 訳


バートランド・ラッセルは言っている。「大哲学者のなかで、スピノザほど気高くて愛すべき人はいない。倫理的にも最高だ。」無神論者として、死後もしばらくはその名を口にするのが憚られていたスピノザ。しかし彼はよみがえった。レッシングやゲーテ、ノヴァーリス、ハイネ。ロマン派の詩人たち、ジョージ・エリオット。そして20世紀には、フロイト、ジョイス、ボルヘス、ドゥルーズ……。
著作のうちでもとりわけ『エチカ』は、読む者を惹きつけてやまない。神=自然を説きながら、人間の自由、真の幸福について、ユークリッド幾何学の形式にしたがってスリリングに論証してゆく『エチカ』。「すべて耀きのあるものは希有であるのに見合って困難でもあるのだ」という結語に向かうこの大古典の新訳登場。


◆36:ユークリッド原論 追補版:ユークリッド/中村幸四郎、寺阪英孝、伊東俊太郎、池田美恵 訳


いわゆる「数学」の地位を確立した本であり、内容としてはユークリッド幾何学を含み、この原著にあたるよりもまずは「ユークリッド『原論』とは何か―二千年読みつがれた数学の古典」の内容を読んだ方が以下のようにしてわかりやすいはずです。

『幾何学に王道なし』はユークリッドの名言として知られている。それ以上に永久不滅なのは、命題・定理・証明という今日の数学書のスタイルを決定づけた著書『原論』である。本書のあまりに無駄のない記述が逆に多くの謎を生み古今の多くの論争を引き起こしている。ユークリッドその人もまた謎である。いったい誰に向かって何を書こうとしたのか。原文を読み解きながら、その真相に迫る。


◆37:雑種植物の研究:メンデル/岩槻邦男、須原凖平 訳


高校の生物で必ず習う「遺伝」の法則を見つけ出したメンデルの本であり、極めて平易に書かれているため、非常に読みやすいです。

栽培植物の新品種を作るための人工交配をヒントに,メンデル(1822-84)はブルノの修道院の庭でエンドウの交配実験を行った.きわめて科学的に遂行された実験を厳密に検証したこの論文は,当時は価値を認められず,1900年になって再発見され,遺伝学の基礎を定める根本法則にメンデルの名が冠せられることとなった.


◆38:新しい女性の創造:ベティ フリーダン/三浦冨美子 訳


内容については以下のレビュー内で詳しく触れられています。

女子大学を卒業後15年が過ぎた著者が同期生200人に当てたアンケートの回答から、女性の現実の生活と女性が順応しようと努力していたイメージがどれほど食い違っているのか、そしてそれはなぜかについて様々な実例や事実を元に基に具体的に記載した本だ。この時代に大学生だった私は、あの頃のあこがれの米国での暖かな”マイホーム”にいる主婦が決して幸せではないと言う事実は衝撃的だった。
女性らしさの賛美フロイトによる母性神話消費者としての女性
こうした様々な「わな」に取り込まれて、主婦となった女性の様々な悩みや苦しみが克明に描かれている。人間の本質的な欲求である「成長したい」という望みを避ける方法が女らしく生きる方法の基盤になっており、「女らしさ」を礼賛する人々がそうしてこそあなたは本当の「女」になれるのだと言い、実際に多くの女性がそうしている。・何事にも熱中しないこと・他人を通して生きることそうして、多くのアメリカの女性たちがこの「わな」の中でもがき苦しんでいる。
とりわけ次の一節は深い衝撃を与えられた「主婦であることが、どんなにひどい虚無感を女性に与えているかを、人々は知らねばならない。有能な現代の女性にとっては、主婦であるということ自体が危機をはらんでいる。ある意味では、主婦として順応したり、また「主婦になりたいだけ」と希望して成長したりした女性は、ナチ収容所で、死だけを待って生きた数百万人の人々と同じ運命にあると言えよう。」


◆39:The First Folio of Shakespeare(シェイクスピア初全集):ウィリアム・シェイクスピア/カールトン・ハインマン 編/ピーターW.M.ブレイニー 序文


この「ファースト・フォリオ」の正式なタイトルは「ウィリアム・シェイクスピアの喜劇、史劇、悲劇」というものであり、以下のような内容です。

喜劇
・1 テンペスト(初出)
・2 ヴェローナの二紳士(初出)
・3 ウィンザーの陽気な女房たち
・4 尺には尺を(初出)
・5 間違いの喜劇(初出)
・6 空騒ぎ
・7 恋の骨折り損
・8 夏の夜の夢
・9 ヴェニスの商人
・10 お気に召すまま(初出)
・11 じゃじゃ馬ならし(初出)
・12 終わりよければ全てよし(初出)
・13 十二夜(初出)
・14 冬物語(初出)

歴史劇
・15 ジョン王(初出)
・16 リチャード二世
・17 ヘンリー四世 第1部
・18 ヘンリー四世 第2部
・19 ヘンリー五世
・20 ヘンリー六世 第1部(初出)
・21 ヘンリー六世 第2部
・22 ヘンリー六世 第3部
・23 リチャード三世
・24 ヘンリー八世(初出)

悲劇
・25 トロイラスとクレシダ
・26 コリオレイナス(初出)
・27 タイタス・アンドロニカス
・28 ロミオとジュリエット
・29 アテネのタイモン(初出)
・30 ジュリアス・シーザー(初出)
・31 マクベス(初出)
・32 ハムレット
・33 リア王
・34 オセロ
・35 アントニーとクレオパトラ(初出)
・36 シンベリン(初出)


◆40:First Principles(第一原理):ハーバート・スペンサー


どのような本かというのは「17 スペンサー・ブーム」によると、以下のようになっています。

総合体系の冒頭に位置し、宇宙全体の進化の原理を論じた哲学書。夏目漱石も大学予備門時代に友人から借りて読んだという。


◆41:ガルガンチュア―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈1〉:フランソワ・ラブレー/宮下志朗 訳


◆42:雇用、利子、お金の一般理論:ジョン メイナード・ケインズ、ジョン リチャード・ヒックス、ポール・クルーグマン/山形浩生 訳


◆43:新約聖書 福音書:塚本虎二 訳


◆44:Guide for the Perplexed(迷える人々の為の導き):モーシェ・マイモーン


◆45:宇宙の調和:ヨハネス・ケプラー/岸本良彦 訳


◆46:ヘブライ語聖書


◆47:The Corpus: The Hippocratic Writings(ヒポクラテス集典):ヒポクラテス


◆48:歴史 上:ヘロドトス/松平千秋 訳


◆49:戦史 上:トゥーキュディデース/久保正彰 訳


◆50:我と汝・対話:マルティン・ブーバー/植田重雄 訳


◆51:易経〈上〉:高田眞治、後藤基巳 訳


◆52:ライプニッツ著作集〈2〉数学論・数学:ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ/中村幸四郎、原亨吉、三浦伸夫、斎藤憲、倉田隆、佐々木力、馬場郁、安藤正人 訳


◆53:カルヴァンキリスト教綱要 (1):カルヴァン/渡辺信夫 訳


◆54:夢判断 上:フロイト/高橋義孝 訳


◆55:カバラ


◆56:リヴァイアサン〈1〉:T. ホッブズ/水田洋 訳


◆57:科学的発見の論理 上:カール・ライムント・ポパー/大内義一、森博 訳


◆58:自省録:マルクスアウレーリウス/神谷美恵子 訳


◆59:社会学大綱 (現代社会学大系):V. パレート/北川隆吉、板倉達文、広田明 訳


◆60:新しい学〈1〉 (叢書・ウニベルシタス):ジャンバッティスタ ヴィーコ/上村忠男 訳


◆61:旧約聖書


◆62:ノヴム・オルガヌム―新機関:ベーコン/桂寿一 訳


◆63:イーリアスオデュッセイア

イリアス〈上〉:ホメロス/松平千秋 訳


ホメロス オデュッセイア〈下〉 (岩波文庫):ホメロス/松平千秋 訳


◆64:自由論:ジョン・スチュアート ミル/斉藤悦則 訳


◆65:教会のバビロニア捕囚