それぞれの国や、文化や、言語を異にするビジネスパーソンたちが商談を行い、電子メールを交換し、テレビ会議を通して議論する場合、それぞれの当事者がともに理解できる共通語を使用するのが効率的である。今回は、そうした共通語のメリットとその歴史について考えていく。

 ある日東京のホテルのスイートルームに日・中・韓そしてマレーシアの企業のトップが、それぞれの部下を連れて商談をしているとしよう。この場合、もしそれぞれのトップが自国の言葉しか話せず、外国語を理解しないということであれば、当然に4ヶ国語の通訳が必要となる。しかし、複数の通訳の手配や、必要とされる時間などを考慮すれば、これは効率的とはいえない。仮に、立場や交渉力の違いにより、自国の言語をその商談用の主言語としようと誰かが言い出せば、その言語以外の国のトップたちは不満を示すことだろう。しかし、国際ビジネスに必須の貿易、法律、また金融などの用語に明るく、かつ4カ国語を自由にあやつるような有能な通訳を雇うことは至難のわざである。

 このような状態のときこそ、誰にも公平となる第3国の言語である共通語を使用するメリットが生まれてくる。もしトップたちが、いずれの側にも偏らず、現代の国際的共通語である英語を話し、理解することができれば一挙に問題が解決される。この寓話こそが、古代においても各地で共通語が生まれた理由である。共通語の誕生は、多くの場合にビジネスのためでもあった。このような共通商用語のことをリンガフランカと呼んでいるが、その歴史は古く、多くの場合異民族間の貿易に使用されてきた。当然のことながら、その因果関係は別として、政治、軍事、経済などの場面においても、民族や国家の発展のために、リンガフランカは大きな役割を果たしてきたといえる。

 現代の英語以外の主要な言語である中国語、フランス語、スペイン語、アラビア語、またインドネシア、マレーシア、ブルネイ3ヶ国の国語であるマレー語、そしてアフリカ東海岸諸国の公用語であるスワヒリ語などは、このような異民族間の商用共通語として誕生したもの、またはある国や地方の特定言語が上記のような理由により、他の地域や民族にも共通語として使用されるようになり発達してきたもののいずれかであると言っても過言ではない。

 リンガフランカは、語義的には「フランク人の言語」というイタリア語である。それぞれの母語が異なる異民族間のコミュニケーションのために使われる混成通商語をいう。語源的には、東地中海を中心に行われた沿岸貿易に使用されたイタリア語・フランス語・ギリシャ語・スペイン語・アラビア語などの混成語をいう。これらの複数言語が混交し語彙や文法が簡略化したもので、この意味では前回紹介したピジン英語も含まれる。また、混成語ではなく、関係する複数の言語のうちの一つが共通語として使用される場合もある。AさんとBさんの話し合いで、Aさんの言語を使う場合、あるいはまた両者が理解する第3国の言語を使う場合も、その言語をリンガフランカと呼んでいる。上述した中世の地中海貿易で、とくにアフリカ北岸を中心に行われた取引に使用された混成語をサビール語(Sabir language)と呼ぶが、これはロマンス語系のイタリア語やスペイン語などを基盤とし、それにアラビア語などが加えられて成立した共通通商語であった。

 このように異なる言語を話す人々の間で使われる共通語をコイネー語(Koine)ともいうが、元は特定地域の方言だった言葉が、より広い地域における共通語となった言語を指す。コイネーとはギリシア語で「共通語」を意味し、紀元前4世紀から6世紀にわたり、ヘレニズム世界で使用されたギリシア語のことで、現代ギリシア語の祖といえる言語である。元はギリシア中南部地方の方言であったアッティカ方言にイオニア方言の要素が加わって生まれたものであるが、アレキサンダー大王の遠征ともに、ギリシアやマケドニアばかりではなく、アジアやアフリカにも及ぶ広大な地域での共通語となっていった。

 東アフリカ諸国の公用語として使用されているスワヒリ語も、インドネシア、マレーシア、ブルネイ3ヶ国の国語であるマレー語も、ともに元は通商言語であり、いずれも8世紀ごろに形成された。前者は同地域とアラビア諸地域との貿易に用いられ、後者はムラユ族と呼ばれる一民族が同地域で発生する香木や胡椒などの珍貨を小舟に載せて、多くの島々を巡る島嶼貿易の用具としてのムラユ語を中心として、それに各地の方言が加わってできた共通商用語であった。(執筆者:亀田尚己 同志社大学商学部・同大学院商学研究科後期課程教授 編集担当:サーチナ・メディア事業部)