2019年、都内でIT系の会社を経営し、インスタグラムで1万人のフォロワーを持つインフルエンサーでもあったさはらえりさんはある事件に巻き込まれた。

2019年8月、お盆休み初日の土曜日。茨城県守谷市である会社員の男性が東京方面へ車を走らせていると、突然猛スピードで白い車が前に割り込んできた。しばらくすると走り去ったが、再び前に割り込み怒鳴りながら車線をはみ出してきた。

あおり運転の車に強引に止めさせられると、男がその車から降りてきた。スマホを守ろうとした瞬間、ブレーキから足が外れてしまい男の車にぶつかってしまった。その瞬間、あおり運転の男はメガネが吹き飛ぶほどの力で男性を殴った。男性は、口とあごを切る怪我を負った。

男性はその後警察に通報し、被害届を提出。この一部始終はドライブレコーダーに残っており、各メディアで公開された。警察は傷害容疑で男の逮捕状を取り、指名手配。

一方、世間はあおり運転の車から降りてきた女にも注目した。ガラケーで男性を撮影していたことからネット上では「ガラケー女」と呼ばれ、その正体を特定しようとするネット民が動き出した。

そして、ネット上で「ガラケー女」が特定されたという投稿が現れた。あるネット民が殴った男のSNSを見つけ、フォローしている人を調べていくうちに、なぜか無関係のさはらさんのアカウントを発見。彼女が過去に投稿した写真の中に、同乗者の女と似た服装、似たサングラスをかけた写真がたまたまあった。たったそれだけで、「ガラケー女」だと特定したと誇らしげに投稿され、さはらさんの名前と顔写真、勤務先やSNSも拡散された。

さはらさんのもとには激しい誹謗中傷のコメントやDMが殺到していた。

さはらさんは自身のSNSを更新。「起きたら犯罪者扱いされててびっくりですが完全に事実と異なりますので無視してください」と発信したが、かえって批判が殺到してしまう。

さはらさんは、いくつものネットの誹謗中傷問題に向き合い続けてきた小沢一仁弁護士とタッグを組むことになった。小沢弁護士は会社としての声明文を出すことを提案したが、さはらさんはまず警察への相談を選んだ。

警察署で4時間、ネットの書き込みを確認してもらったものの、結局警察は動いてくれなかった。しかしネットの状況を確認すると、流れが変わり始めていた。「本当にこの女性は同乗していた人なのでしょうか」「ガラケーでインスタをやっているとは思えませんが」などと疑問の声がコメント欄に増えていたのだ。

するとさはらさんは、散々この話題を拡散しておきながら、少し危なくなると削除して何事もなかったように装う者が続出していることに気づく。
彼女は、匿名だからと逃げられると思っている人たちを炙り出すと心に決めた。

小沢弁護士から「流れが変わってきているので、声明文を早く出した方がいい」と連絡が入った。

日付が変わった頃、自身の会社のホームページに声明文を掲載。声明文には、情報が全く事実無根であること、投稿をリツイートなどで拡散することも名誉権を侵害する可能性があること、そして虚偽の情報を広めている者に対して法的措置を取ることを検討している旨が明記された。

事件の報道から3日後、あおり運転の男が傷害などの容疑で逮捕された。同乗していた女も、男を匿った容疑でその数時間後に逮捕された。

逮捕の報を受け、さはらさんのもとには謝罪のメールが届くようになった。しかし、先ほどまで激しく罵っていた人間が手のひらを返すように謝罪してくるその姿にさはらさんは、これで許したらきっとまた同じことを繰り返すのではと小沢弁護士のもとへ赴き、徹底的に闘う意志を伝えた。

小沢弁護士は最初に釘を刺した。「もし裁判をする場合、お金、時間、労力がかかります。自分の名誉回復のために、お金を自分で払う気持ちでいてください」。

そして、誹謗中傷してきた人たちへ和解もしくは裁判を持ちかけるために、名前・住所・メールアドレスなどを明らかにする「発信者情報開示請求」の手続きを進めていくことを説明した。

当時の手続きでは、まず投稿があったサイトに対して情報開示を求める申立が必要で、TwitterやFacebookなど海外企業への申立には翻訳料や海外送達費などで1件数十万円近くかかるケースもあった。

さらに裁判所への費用や、発信者が開示に同意しない場合には通信会社への民事訴訟も必要になる。こうした手続きを経てようやく契約者の情報が開示され、誹謗中傷した相手に通知書を送付して和解もしくは裁判を起こすことができる。発信者を特定するための情報は投稿からおよそ3か月で消えてしまうことが多く、早急に動く必要があった。

さはらさんはデマが拡散されていることを知った時点で、全ての誹謗中傷コメントやDMをスクリーンショットして保存していた。数が多すぎるため全てを3か月以内に開示させることは不可能だが、100件に絞って裁判を進めることに。

そしてさはらさんは記者会見を開いた。拡散の恐ろしさを世に問い、損害賠償請求を行っていくことも明言。しかし会見後、新たな誹謗中傷が届くようになった。

そんな中、ある市議会議員が、自身の名前のSNSで「あおり運転指名手配 さはらえり容疑者」「早く逮捕されるよう拡散お願いします」などと投稿。名前がはっきりしているこの市議に対しては、翌日に慰謝料100万円を求める通知書を発送した。

小沢弁護士のもとには和解を申し出るメールが100人以上から届き始め、直接謝罪に訪れる人もいた。

謝罪や和解を申し出てきた人たちとは、慰謝料を支払い、以後さはらさんに関する情報を発信しないことなどの条件を加えて和解。

デマ拡散から1か月以内に、Twitter社には57件、Facebook社には35アカウントの投稿に対して情報開示を申立。その他の媒体に対しても1か月半以内に申立を行った。

2019年10月、まずインスタグラムの誹謗中傷投稿全ての発信者情報が開示されることになった。匿名で誹謗中傷していた人たちが、匿名ではなくなっていく。賠償金支払いの通知書が次々と届くなか、「書類を受け取ったが自分じゃない」「ハッキングされた」「払わない」と直接拒否するものもいた。

前述の市議からは謝罪の手紙が届いたが、慰謝料についての言及はなかった。その後も連絡が噛み合わず、2019年10月に民事訴訟を提起。

報道を受けて市議はFacebookに謝罪動画を投稿したが、一方的な対応に批判が殺到。市議は謝罪会見を開いた。

デマ拡散から2か月半後、Twitter社からようやく情報が開示されたものの、3か月の期限まで残り2週間と迫っていた。こうして、匿名のまま逃げ続け和解も希望しなかった人たちとの裁判が始まった。

5ちゃんねるでの投稿者には11万円、「自首をおすすめします」とインスタグラムに投稿した人にも11万円の支払いが命じられた。映像と音声という人の直感に訴えやすい形でデマを拡散させた動画配信者には33万円、市議にも弁護士費用を含む33万円の損害賠償の支払いが命じられた。トレンドブログの投稿者には55万円、「もし指名手配犯の同乗者なら出頭してください」と仮定的な投稿をした人にも22万円の支払いが命じられた。

総務省では、ネット上の誹謗中傷に対して発信者特定や削除手続きの円滑化の法整備が進められ、被害者が相談しやすい窓口の整備も進んでいる。

さはらさんは「匿名だからなんでもやっていいわけではない。リツイートというすごく簡単な行為で加害者になるということをもっと広げたい。今回私が被害者という立場になりましたけど、自分がというよりは、周りの大事な人がいつの間にか加害者になりうるという警鐘をしようと思いました」と訴える。