昭和の頑固オヤジ ガッツ石松さん 数々の“伝説”の根本にあったのは反骨心
◇ガッツ石松さん死去
【悼む】自分の道は自分で決める。最後まで責任を取る。頼られると面倒見はいいが、不正やごまかしは許さず遠慮なく口を出す。ガッツさんは「昭和の頑固オヤジ」そのものだった。
2014年2月掲載「我が道」の担当として、数々の“伝説”を聞かせていただいた。ユーモラスな言動から世間では“天然”と見られがちだったが、どうすれば自分をアピールできるか、場を盛り上げられるかを考えていたという。「俺をバカと思っている人にはそう思わせておけばいい」。ドラマ出演時は台本を徹底的に読み込んで現場に持参しないなど、強い責任感で仕事に取り組んでいた。
根本にあったのは反骨心だ。栃木の寒村生まれで貧しく、食べるため、お金を稼ぐために頭を巡らせた。上京してボクシングを始めたのも、貧乏で荒っぽい自分を疎んだ故郷を見返すため。就職先にジム通いを禁じられると、給料をもらったぶん働いてからきっぱりと辞める筋を通した。
自身の半生記「我が道」にも妥協しなかった。聞き書きスタイルなのだが、筆者が書いた文章を見せると「こうした方が面白いだろう?」と赤ペンで修正を入れてきた。これが面白いのなんの。文才に驚きましたと脱帽したら「俺も記者になれるな」と笑っていた。
3年前、旧ヨネクラジムの米倉健司元会長の訃報を受け、電話をかけた際は「まだまだ人生これから」と話していた。故郷には生前に墓を建てていたが、柱は「鈴木家」と「ガッツ家」の2つ。「どっちも俺だから。OK牧場!!」と強調していたのを思い出す。(中出 健太郎・総合コンテンツ部専門委員)
