伊藤比呂美さん(撮影:村山玄子)

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心身の衰えや認知症、介護にお墓…年齢を重ねると直面するさまざまな問題に対して、私たちはどのように考え生きていけばいいのでしょうか。今回は、エッセイストで作家の阿川佐和子さんと詩人の伊藤比呂美さんによる対談を、共著『サワコと比呂美 女じまい』から一部抜粋してお届け。「歳をとるって面白い!」と思える「女じまいの物語」をご紹介します。

【写真】阿川佐和子さん「結局は、最期までダメな人間でいたほうがいろいろラクではある」

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婚家の墓に入りたい?

伊藤 阿川さんはお墓、どうするの? お父さまが生前に作ったお墓に入るつもりなんですか。

阿川 私は結婚したから、そこには入らない。

伊藤 なんで?

阿川 なんでって(笑)、亭主の墓に入りたくないって強く主張すればできるかもしれないけど、お墓の下でも父に怒られるより、亭主の隣のほうが穏やかだし……。

伊藤 へえー。そうなんですか。

阿川 以前、夫の両親のお墓参りに行ったとき、あ、ここに入るのか、ってちょっと思ったのね。

伊藤 思ったのか。私は若い頃、前の夫と結婚したばかりのとき、夫の家に行くのがホントにつらかった。お墓参りに行って、ここに入るのかーと思うとなんか、イヤでイヤでしょうがなかった。

阿川 え、どうしてですか。

伊藤 夫は本家の長男のひとり息子だったし、お墓は中国地方の奥のほうの山の中のすごいところで、「八つ墓村」のロケをすぐ近くでやったっていうのがそのあたりの人たちの自慢でね。私は都会育ちで田舎に慣れてなかったし、虫はすごいし。何よりその頃、嫁は奴隷奉公当たり前の“2級国民”の扱いでしたから。

阿川 2級国民ってなに?

伊藤 アメリカ人でゲイの友人が使ってたことばなの。セクシャルマイノリティーで、ヘテロの結婚ができないと、1級国民じゃない扱いを受ける、みたいな。それで夫の家は古い価値観をそのまんま引きずってるような家だったから。嫁は嫁でしたよ。夫とは仲が良かったし、義父の姉妹(おばさんたち)もよくしてくれたけど、嫁はやっぱり嫁だった。毎度行きたくなかったけど、争いごとは好まないので(笑)、ぶつぶつ言いながら行ってましたよ、盆と暮れに。

阿川 要するに、いろいろ不慣れだった上に、一言でいえば疎外感が? 私も介護をテーマにした小説でそういう場面を書いたことがあります。実際、弟のお嫁さんが子どもも生まれたばっかりで、わが家に一家で来て、泊っていくことになった。みんなワイワイ、明るく優しく対応してるつもりだったんだけど、突然そのお嫁さんがウワーッて号泣したの。そのときはよくわからなくてあわてたけど、今はわかる。彼女がどれほど疎外感を抱いていたか。

伊藤 うん、わかるわ。

阿川 まだ若かったし、緊張はするし、乳飲み子もいる。しかもウチって強烈家族だから。(笑)

伊藤 ハッハッハッ。でも今どきの妻たちは、夫の親の介護とまったく同じで「夫の実家はイヤ。夫と子どもだけで帰省してもらう」って言えるのよね。ああ、若かった私にそれが言えたら、どれだけラクだったか。

阿川 いやいや、地方の旧家の長男と結婚して、八つ墓村で2級国民って。今にして思えば、詩人としてはかけがえのない経験したんじゃない?

伊藤 そうそう、ホントにそれは思うわ。(笑)

「お墓に入る一員になったのかな」

伊藤 阿川さん、お連れ合いとお墓参りに行って、そこに入るつもりとおっしゃったじゃないですか。

阿川 はい。今のところ、まあ入らない理由がないし。


『サワコと比呂美 女じまい』(著:阿川佐和子、伊藤比呂美/中央公論新社)

伊藤 ちゃんとその、法事みたいな行事にも行かれてる。

阿川 そうそう。そういうことがないと、なかなかあちらの親族と会う機会がないですし。子どもの頃は親の教育がなってなかったから、墓参りは自分とは関係ないものと思ってました。でも、今こうやって亭主のほうの法事なんかに行くと、だんだんおば様たちと顔見知りになっていくの。最初はアウェイな気持ちだったのが、「亭主抜きでも遊びに来なさいよー」とかって言ってもらうと、こういう積み重ねで人間関係って築かれていくんだなーと思って。

伊藤 ああ、いいもんですね。うらやましい。

阿川 そうですね。だいたい後妻だし、本来はアウェイもアウェイじゃないですか(笑)。亭主には子どもがいて、そこらへんはちょっとデリケートな問題でもあるけど、皆さん、なんだかさりげなくやさしくしてくださるのね。そっちのお墓に入る一員になったのかな、っていう気持ちはありますね。

伊藤 そうなのね。私のあの、八つ墓村のイヤーな思い出とは雲泥の差。

阿川 あはは、まあ伊藤さん若かったから。私も、死ぬまでにはそういう親戚との関係性を少しずつ積み上げていかなきゃって思う。つまり、あちらのご親族とかそのあたりの人たちとの人間関係ができてくれば、私もそのグループのひとりだということを、自分で納得するのだろうなと。伊藤さんは、ご亭主の周辺と同じグループに問答無用で入らされてたまるか、っていう気持ちだったのでしょ?

伊藤 そうです。夫のことは好きだったからね。じゃあね阿川さん、そのお墓によく知らない人と入ってですよ、またぞろ知らない人がお参りに来る……。

阿川 誰かわからない下の世代にお花とお線香を供えてもらったとしても、「まぁこれもご縁だし」みたいな。どっちにしろ、私の死んだあとのことだからねぇ。何とも思わないかな。

伊藤 おお、なんとも真っ当だわぁ。私はホント、何も考えてないです。そもそもどこの誰ともご縁がないしね、今は。

子どもに迷惑かけたくない?

阿川 娘さんは皆さん、アメリカでしょう。

伊藤 はい、三人とも。だから、いずれ私もアメリカに戻ることを考えなくはない。私が父や母のときそうだったように、熊本とカリフォルニアを往復するような介護は娘たちにさせたくないし、彼らには現実的に無理な気がしてるのね。

阿川 航空券代だって、十数年前とは比べものにならないくらい上がってるし、行き来が大変になってますよね。

伊藤 私があちらに戻るなら、熊本にあるものを処分して帰っていくことになる。問題は、私がまだ老いきらないうちに……こっちにいて死んだら、残っちゃったものの処分が大変だろうな、とは思う。

阿川 そうなのよ。伯母のとき、本人が認知症になったら銀行に預けたものなんか、いくら家族親族でもまったく触れなくなって大変だった。

伊藤 触れないんですか。

阿川 事前に代理人の手続きをしていればいいのかな。そうでない場合は一切、触れない。だから私が心配なのは、自分もいつ認知症になるかわからないから、もしそうなったらまだ半分正気が残ってるうちにいろんなものを処分しないと、あとの人が本当に困るんだということ。

伊藤 認知症の場合を考えたことはなかった。

身じまい、どうしてる?

阿川 身辺整理っていう意味での身じまい。どうしてます? 私はなるべくモノを増やさないようにはしている、かな。断捨離はできないから、買わないように。

伊藤 今、コレを買ったらどうなるか、は私も一瞬考えます。けど、買っちゃう。本がどんどんたまっていくから、つい最近も本棚を何個も買っちゃったわ。

阿川 まあ、そうなりますよね。仕方ないわよね。だからもう結局は、最期までダメな人間でいたほうがいろいろラクではある。

伊藤 ですね。それに阿川さん、私「反・断捨離」なの。あんなことやっちゃイカンですよ。人間が死ぬときは、いろんなものをいっぱい残して、遺された人がそれを見渡して「あーあ」ってため息をつくのが「死」ってことだと思う。

阿川 お嬢さんたち、残ったものの処分が大変だろうって今言ったじゃない。

伊藤 矛盾してますけどね。でもね、親が死んで、娘たちが「めんどくさいな」とか言い合いながら片付けてくのも含めて、見送りっていうものの一過程なんじゃないかと思うのね。

阿川 へえ、伊藤さんらしい。(笑)

伊藤 それをなんにも経験させてやらないのって、なんだかつまんないんじゃないかな。

阿川 つまんない? 世の中には「子どもに迷惑をかけたくない」って親が圧倒的に多いですけど……。

伊藤 迷惑をかけてこその子どもですよ。迷惑かけて、死んでいく。

阿川 つまり、終活みたいなことはする気はないと。

伊藤 そして、どう考えても娘たちがアメリカから、頻繁に私を介護しにやってくることはないと思う。で、私の父があれだけ寂しい思いをして死んだのだから、私が寂しい思いをしなかったら、やっぱり父の娘としちゃあ間違ってんじゃないかっていう気がちょっとある。

阿川 じゃ、日本でおひとりさまの老後も辞さないと。それは、罪の意識から、ということですか?

伊藤 多少ありますよね。阿川さんはどう考えてるの。お墓はまあ、決まってるけれど。その前のこと。

阿川 いや、亭主が先に死ぬのか私か、どちらが認知症になるかって、やっぱりわからない。

伊藤 先のことを考えてもしかたない、っていうのはよくわかるわね。

※本稿は、『サワコと比呂美 女じまい』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。