ポルシェやメルセデス・ベンツも部品取りに 米国の廃車置き場で見つけた欧州車 62選(4)【ジャンクヤード探訪記】
メルセデス・ベンツSL R107
1971年から1989年の間に、メルセデス・ベンツのR107(ロードスター)とC107(クーペ)のSLは計30万175台が生産された。そのうち3分の2以上が米国へ輸出されている。人気ゆえに現存率は高く、ジャンクヤードで見つけることは稀だ。オール・アメリカン・クラシックス(ワシントン州バンクーバー)というジャンクヤードにあるとなれば、なおさら珍しいと言える。
【画像】フォルクスワーゲンと共同開発したエントリーレベルのスポーツカー【ポルシェ914を詳しく見る】 全29枚

メルセデス・ベンツSL R107
ジャガーXJ6
1枚の写真でクルマの前後を同時に撮影できることは滅多にない……。だが、こうして撮れてよかった。普段なら、ジャガーXJ6のシリーズ1とシリーズ2を後ろ姿だけで見分けるのは難しいからだ。こちらはシリーズ1の4.2Lモデルで、2万5505台生産された左ハンドル仕様のうちの1台であり、その大半は米国へ輸出された。
この1台は、アリゾナ州マリコパのヒドゥン・バレー・オートパーツで見つけた。

ジャガーXJ6
ルノー・ドーフィン
ルノー・ドーフィンは絶大な人気を博し、1956年から1967年の間に世界中で200万台以上を販売した。845ccのリアエンジンを搭載した経済的なフランス車だが、米国では栄光と没落を経験した。当初は熱烈に迎えられ、1957年には2万8000台、1958年には5万7000台、1959年には10万2000台を売り上げた。
これにより、フォルクスワーゲンに次ぐ第2位の輸入車ブランドとなっただけでなく、一部の州では首位を獲得した。しかし、市街地走行には問題なかったものの、わずか27psでは、当時デトロイト製のV8エンジン搭載車がひしめく州間高速道路での走行には明らかに力不足だった。また、錆びもひどく、販売台数はやがて減少していった。

ルノー・ドーフィン
ちなみに、ルノーはかつて英国のエリザベス女王にドーフィンを1台贈呈しており、女王の息子(現在のチャールズ3世)はこのクルマで運転を覚えたそうだ。
この車両はニューメキシコ州ラスベガスのウリバリ・オート・トウイング・サービスで見つけた。
フォルクスワーゲン・ビートル
米国内のどのジャンクヤードにも、少なくとも1台はフォルクスワーゲン・ビートルが眠っているに違いない。何しろ、総生産台数2150万台のうち、500万台近くが大西洋を渡って米国に運び込まれたのだ。長年にわたりベストセラー輸入車の名をほしいままにしており、その人気は今も高く、現存台数も多い。しかし、コンバーチブルに出くわすのは間違いなくレアアースだ。こちらは比較的後期のフューエルインジェクション車と思われる。この車両もウリバリ・オート・トウイング・サービスで見かけたものだ。

フォルクスワーゲン・ビートル
ポルシェ924
ポルシェ924は販売面で成功を収め、1976年から1988年の間に15万台が販売された。そのうち約3万7000台が米国へ輸出され、取材時点ではそのうちの2台がウリバリ・オート・トウイング・サービスの敷地内に保管されている。こちらはベースモデルだが、同敷地内にはより希少な924Sも存在する。
同じ基本仕様の2.0L直列4気筒エンジンは、アウディ100、フォルクスワーゲンLTバン、AMCグレムリン、スピリット、郵便配達用バンにも採用されていた。

ポルシェ924
マセラティ・ビトゥルボ
さて、これはあまり見かけないクルマだ。マセラティ・ビトゥルボである。信じがたいことに、ターナーズ・オート・レッキング(カリフォルニア州フレズノ)には2台ある。1981年から1988年にかけて生産されたこのイタリア製高級GTは、ツインターボチャージャー付きのV6エンジンを搭載していた。
イタリアから生まれたクルマの中でもあまり目立たない存在で、製造品質の問題にも悩まされ、ブランドの評判を著しく傷つけた。米国はビトゥルボにとって最大の輸出市場だった。

マセラティ・ビトゥルボ
プジョー504
1968年から1983年にかけてフランスで生産されたプジョー504は、頑丈でタフ、そして信頼性が高いという点で確固たる評判を築いた。こうした特質は、ラリーシーンでの成功にも寄与した。504は3大陸、8カ国で組み立てられた。
「アフリカの働き者」という愛称で呼ばれ、ナイジェリアでは2006年まで生産が続けられた。504を壊すのは容易ではないが、誰かがこのセダンを廃車にしてしまったようで、2017年にエンジンが停止した状態で同ジャンクヤードに牽引されてきた。504は1970年代に米国で販売され、ディーゼルエンジンとガソリンエンジンの両方が用意されていた。この車両もターナーズ・オート・レッキングにあった。

プジョー504
ローバーP5(1961年)
廃車探しに出かけるたび、筆者は何度かローバーP6に出くわしてきたが、P5を見つけたのはこれが初めてだ。特徴的な高いベルトラインを持つ高級セダンで、1973年の生産終了後も長年にわたり、英国首相たちの愛車として選ばれ続けた。
当初は115psの3.0Lエンジンを搭載していたが、後期モデルではビュイック由来の3.5L V8エンジンが採用された。この1961年式は、1958年から1962年の間に生産された2万963台の初代モデルのうちの1台だ。この車両もターナーズ・オート・レッキングにあった。

ローバーP5(1961年)
サンビーム・アルパイン
1959年から1968年の間に、英国製のサンビーム・アルパインは約7万台販売された。米国は断トツで最大の輸出市場だった。こちらは1963年から1964年にかけて生産されたシリーズ3で、アルパインの中でも特に希少なモデルであり、生産台数はわずか5863台に過ぎない。
反対に、最も人気だったのはタイガーだ。アルパインとは異なり、ボンネットの下にフォード・ウィンザーV8エンジンを搭載していたため、そのルックスに見合った性能を備えていた。隣に停まっているボロボロのMGミジェットにも注目してほしい。

サンビーム・アルパイン
この車両もターナーズ・オート・レッキングにあったものだ。
ポルシェ914
ポルシェ914は、ポルシェとフォルクスワーゲンの共同開発車であり、実質的に912とカルマン・ギアの後継モデルとなった。しかし、米国ではポルシェのエンブレムを付けてのみ販売することが決まった。
エンジンは4気筒または6気筒の水平対向エンジンが選択可能で、それぞれ80psと110psを発揮した。1969年から1976年にかけて生産され、11万8978台を売り上げる大成功を収め、911の販売台数を上回った。この車両もターナーズ・オート・レッキングにあった。

ポルシェ914
ポルシェ924
ポルシェ914と912は、1976年に924へと置き換えられた。このエントリーモデルは、水冷式フロントエンジンを搭載した初のポルシェであった。前身の914と同様、このクルマも大量に販売され、1976年から1988年の間に15万台が売れた。
あまり高値はつかないものの、この錆びのない個体は状態が極めて良く、レストアする価値があるだろう。これもターナーズ・オート・レッキングにあったものだ。

ポルシェ924
MGミジェット
ドアの外側にハンドルがないことから、このMGミジェットが初代モデルであることが一目でわかる。ドアにはロック、手動式ウィンドウ、回転式クォーターライト(三角窓)もなく、これらはすべて2代目で歓迎すべき装備として登場することになる。1961年から1964年の間に、948ccと後の1098ccモデルを合わせて計2万5681台の初代モデルが生産された。この個体もターナーズ・オート・レッキングにあった。

MGミジェット
ランチア・ベータ
多くの欧州メーカーは、巨大で収益性の高い米国市場への進出を試みてきた(そして往々にして失敗してきた)が、東海岸や西海岸で限定的な成功を収めた例もある。ランチアは1950年代から1960年代にかけてあまり振るわなかったものの、1975年から1982年にかけて再び本格的に挑戦した。
しかし、販売台数は低調で、最も好調な年でも3000台に達しなかった。このベータ・クーペは、その時代を生き残った希少な1台だ。ターナーズ・オート・レッキングで見つけた。

ランチア・ベータ
フィアット128(1973年)
こちらもイタリアの珍車、1973年式フィアット128ステーションワゴンだ。フィアット128のセダンとワゴンは合計300万台近くが生産され、欧州で爆発的な販売を記録した。1970年代の大半を通じて米国でも販売され、かなりの販売台数を記録したが、やや難のある品質や不十分な防錆処理のため、現存率は低い。この車両もターナーズ・オート・レッキングにあった。

フィアット128(1973年)
メルセデス・ベンツW114 250
理由はよくわからないが、誰かがこのメルセデス・ベンツW114のドアを取り外しておきながら、その後気が変わったようだ。米国ではディーゼルエンジン搭載モデルも販売されていたが、この個体は250であり、かつては直列6気筒ガソリンエンジンを搭載していた。
1968年から1976年にかけて生産されたW114は、信頼性と耐久性において絶大な評判を築き上げた。欧州でタクシーとして運用される際には、宇宙規模とも言える走行距離を記録することも珍しくない。この車両もターナーズ・オート・レッキングに置かれていた。

メルセデス・ベンツW114 250
ジャガーMk1
かつては洗練性を象徴する不朽の名車であったこのジャガーMk1(1955〜1959年)は、かつての優雅さと力強さを失ってしまっている。この希少な、比較的錆の少ない個体は、主に米国市場向けに生産された1万7405台の3.4Lモデルのうちの1台と思われる。一方、英国向けのほとんどの車両には2.4Lのエンジンが搭載されていた。この個体もターナーズ・オート・レッキングで見つけたものだ。
原文:ウィル・シャイアーズ(Will Shiers)

ジャガーMk1
