偏差値30台から東京学芸大学を専攻首席で卒業し、東大の大学院で日本画を研究。その後、社会人1年目でギャルになった由女さん(26)。もともと美術の先生を目指していた彼女がギャルに目覚めた意外な理由から、教職をめぐる問題、また日本画の魅力についても聞いた。(全3回の1回目/2回目につづく)

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由女さん ©志水隆/文藝春秋

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3つの教員免許を持つ由女さん

――今日はよろしくお願いします。卒業証書もご持参いただきましてありがとうございます。

由女さん(以降、由女) 教員免許も持ってきました。教員免許は3枚あって。

――中学校と高校の免許ですね。

由女 そうですね。中学校と高校の美術、高校の工芸の3つの教員免許を持ってます。

――たくさん教員免許を取られたんですね。

由女 東大の大学院に進む前に東京学芸大学に行ってたんですけど、学芸大は先生になるための大学なんで、基本的に教員免許を取らないと卒業できないんです。

 と言いつつ結局先生になってないんで、すいませんなんですけど(笑)。

――名字で使われている◯という漢字はかなり珍しいものですよね。

由女 うちのファミリーがいなくなったらこの名字は消えるくらい、珍しいそうです。

――「◯ファミリー」はやんごとなき一族なんですか。

由女 いや、和歌山県の中流家庭です(笑)。

教育熱心な家庭で育った子ども時代

――東大では日本画を研究されていたそうですが、一族が芸術系とか?

由女 地元は和歌山県の橋本市というところなんですけど、橋本市にある高野口町という町は、国会議事堂の椅子張りとか新幹線の椅子で使われているパイル織物の国内随一の生産地でして。

 すでに廃業しちゃったんですけど、父親の家ももともとそこで織物屋をやっていたので、ものづくりの家系ではあるかな。

――学芸大の後に東京大学大学院に進まれたということですが、教育熱心なお家だったんですか。

由女 ですね。むちゃくちゃそうでした。

「母がみっちり教えてくれました」専業主婦の母親に叩き込まれた“勉強方法”

――幼稚園から塾に通ったり?

由女 ありましたね。幼稚園から英語教室に通っていて。両親は大学を出てないんで、子どもの教育を充実させたいという気持ちが強くあったみたいなんですけど、学業で成功体験があるわけじゃないから、右往左往やってたんじゃないかと思います(笑)。

――「右往左往」ということですが、どんな勉強法だったんですか。

由女 母が専業主婦だったので、みっちり教えてくれました。幼稚園の段階でひらがなの読み書きと足し算引き算は、全部母親に叩き込まれましたね。あと、英単語とか、音声で英語を学ぶ「フォニックス」とかもやってました。

 私は左利きなんですけど、小学校1、2年の時に右利き矯正をして失敗したんです。失敗した人ってあまり聞いたことないですけど、4歳の時には読み書き計算が全部できるくらい、既にめちゃくちゃ左手で字を書いてたんで、もう矯正できなかったんですね。まあ、それくらい親は熱が入っていたということです(笑)。

――勉強自体は得意だった?

由女 それだけ叩き込まれてたんで、周りに比べたらできましたよね。

 小学校に入ってから進研ゼミ小学講座をはじめたんですけど、他の「チャレンジ」家庭に比べて執拗にやらされまして。全部自力で満点取れるまでやり直しさせられるから寝られないし、それで夜中までビービー泣いてると、父親に「黙れ!」って怒鳴られるみたいな。

小6で灘中合格判定→中学入学後に偏差値30台になったワケ

――ご両親には、我が子を有名大学に行かせたいとか、何か明確な目標があったんですか。

由女 親のモチベは謎ですよねえ。とにかく勉強さえしておけば苦労しないだろうっていう、そういう思いだったんじゃないかな。

 あと、私は小さい頃から愛嬌があるタイプではなかったので、「バカとブスは東大に行け」じゃないですけど、それで苦労しないように、親心だったんじゃないかなと思いますね。

 かたや妹はランドセルのCMのオーディションとか出させられて、勉強はそんなにやらされてなかったんで、子どもの適性に合わせてたのかなと。

――そのまま順調に成績も上がっていって。

由女 何の自我もなく、大人たちに言われるがままひたすら勉強したら、小学校6年の時点で灘中の合格判定が出るくらいになって(編注:灘中は男子校だが女子も受けられる模試を受験した)、全国模試のランキングに名前が載ることもありました。

 親には小3くらいからずっと「県立の中高一貫校に行くのよ」と囁かれ続けていたこともあり、死ぬほど勉強して地元のそこそこ優秀な中高一貫校に入りました。今考えれば死ぬほど勉強するほどの学校じゃなかったと思うんですけど(笑)。

――中学受験の反動で、中高時代は勉強しなくなったりしませんでしたか。

由女 まさにそうですね。そもそも、親が私に勉強を教えられる限界が小5ぐらいにきてしまって。中学受験をした段階で、高度すぎて口出しできなくなったんです。

 私自身は何の目的もなくずっとドリルをやってたもんですから、受験に合格して完全に野放しになった中学から何もしなくなり、偏差値は30台まで落ち込みました。

「美術部に入って絵を描いてみたら…」美術の先生を目指すようになった理由

――社会人1年目でギャルになったそうですが、中高時代はメイクとかファッションには興味がなく?

由女 勉強と運動ができるヤツが一番エラい世界だったこともあり、ヤンキーとかギャルがいるような学校じゃなかったんで、触れ合う機会があんまりなかったですね。ただ、そういう世界に憧れはありました。

――その後は東京学芸大学に入られたということですが、先生になるのが夢だったんですか。

由女 そうですね。当時は美術の先生になろうと思ってました。

――後に日本画を専攻されるわけですが、もともと絵が得意だった?

由女 小学校6年間、母親に言われて習字をやってたんですけど、私は左利きだから苦労してたんです。

 で、もうこのまま左利きで書道を続けても伸びしろがないと思ってやめて、中学に入ってから友だちのつながりで美術部に入って絵を描いてみたら、うまかったんです。

――絵の素質があった?

由女 というか、書道と同じ要領だったんです。書道も、平面の座標上のある点からある点に対して線を引いたり、払ったりして形をとるじゃないですか。

 それはスケッチとかデッサンの世界でも同じだったし、習字の場合、筆の入る形があるんで右手で書くのが標準仕様になっているけど、絵だと利き手にバリアがない分うまくできたんです。

――当時からそこまで言語化して考えていたんですか。

由女 思いましたね。これって習字と一緒だし、こっちの方が楽で簡単じゃんって。

「公務員になってほしい」という田舎の家庭の影響で決めた進路

――それで美術の先生という進路が固まっていったと。

由女 中高時代は、美術は5で、それ以外はオール2ぐらいまで落ちぶれてましたけど、田舎の家庭だと「公務員になってほしい」というのがあって。

 それに、和歌山県橋本市で生まれ育った自分の世界では、デザイナーとかアニメーターは“絵で食える職業”という認識はなかったんですよね。結局、今はデザイナーやってますけど(笑)。

――学芸大では、美術の勉強をされて?

由女 そうですね。美術の専門的な勉強と、「憲法」、「人権」、あと「教育基本法」といった学校の先生に必要なものを勉強して。

 それに、美術と一口に言っても、絵も彫刻もデザインもあるし、歴史もあるっていうので、そういうのを幅広くやりましたね。

「一番正しいと思った」「そこに正義がある」日本画を専攻した経緯

――その中で日本画を専攻したのはどうしてですか。

由女 これを言うとガンぎまりの人みたいですけど、日本画をやるのが一番正しいと思ったというか、そこに正義があると思ったんです。

――「正義」ですか。

由女 私は、一番きれいにデッサンができるのが日本画家だと思っていて。

 各々、いや彫刻だ、洋画だ、とかって言う人はいると思うんですけど、ものの形とか陰影をきれいに取ったり、理論的に絵を作っていけるのが日本画なんです。

 日本人だから日本画をやるべきだろ、みたいな思いもありますし、ガチで先生になろうと思ってたんで、人にものを教える立場になるなら日本画が最適だと今でも思ってます。

 実際、美術予備校の先生も日本画出身の方が多かったですね。

意識が高かったゆえになれなかった教師

――日本画を描く人は基礎的な画力が高いということですか。

由女 彫刻は彫刻を作るために必要なデッサンを描きますし、建築は建築を作るために必要なデッサンを描く。でも日本画は、“絵のための絵”みたいな感じなんで、単純に絵がうまいんです。

 油絵もありますけど、今そっちはコンセプトアートみたいな世界観になってきてるんで、きれいに絵を描くという時代を脱してて。どっちかというと着眼点であったり、自分の感性で表現やデザインをしていくのが評価される世界なんで、そのもののあり方を形取るという世界ではないんです。

 で、私は先生になるんだったら日本画だというのがあったし、日本人だったら日本画をやりたい、という気持ちでしたね。

――そこまで熱い気持ちがあった中で、教師とは別の道に進んだのはなぜですか?

由女 本当に学校の先生になるつもりで入ったんですけど、あまりにも意識が高かったがゆえに、大学2年生のときにバーンアウトしちゃったんです。

撮影=志水隆/文藝春秋

「優秀な人ほど先生にならない」教師を目指した真面目な女子大生→夢を捨てて“金髪ギャル”に大変身…東大院卒ギャル(26)が大学で気づいた“教育の残酷な真実”〉へ続く

(小泉 なつみ)